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子供だけの問題じゃない

今の子どもの問題は、子どもだけの問題じゃない。


もう、社会全体の問題だ。

だから、「子どもだけをどうにかしよう」なんていう
対処療法を打ち出したところで、見当違いの解決法になってしまう。


戦後の価値観を引きずるのは、もう止めにしなければならない。



戦後の何もなかった時代。

物があることが幸せだった。

それは、『家族が一緒にいる』ということが、当たり前だった時代の話だ。


夕方になれば、お父さんが帰ってきて、
一緒に夕餉のちゃぶ台を囲む。


ご飯が終わったら、みんなで
トランプをしたり、
花札をしたり、
大声で笑いあったり、
時々、怒られたり、笑
でも、そういう時間の中で
「家族」という絆を育んでいた。


冷蔵庫があれば、それが幸せ。

テレビが家にくれば、それが幸せ。

洗濯機がくれば、それが幸せ。


そんな時代は、親子の触れ合いが自然にあり、
時代のスピードが今とは比べ物にならないくらい緩やかだった。



現代は、物が溢れてしまった。
文明だけが先に進み、人の心を置き去りにしていった。


人と人の触れ合いよりも、
ゆっくりと話しながら、お互いを理解することよりも、
家族で一緒にご飯を食べることよりも、

お金を稼ぐこと。

それが幸せになれる道だと教えられてきた。


世間的にいう「良い子」とは、
親の言うことをちゃんと聞く子であったり、
勉強を自分からする子であったり、
どちらにしても、「親の期待」に応える子に限定される。


しかし、親と子は、心が違う。

魂が違う。


だから、例え自分の産んだ子であっても、
性質は全く違うこともある。

自分が育てられたように育てても、
自分のように育つ保証もない。

また、もっと深刻なのは、親が自分に無価値感を抱いている場合だ。


子どもは、お母さんが大好きだ。
お父さんも大好きだ。

それは無条件なのだ。

なのに、親が自分のことを価値がないと思っていたなら、
子どもは、価値のないものを愛しているという考えを
親から押し付けられる。

しかも、そういう親御さんは、本当は心から愛して欲しい気持ちが
根底にはあるから、矛盾した2つのメッセージを同時に発している。
だから、子どもは混乱するのだ。


価値があるとか、価値がないとか、
そんな考え方は、「幻想」だ。


「死」に直面したときに、
人は何が一番大切なのかを痛切に知る。



子どもが事故に遭って死にそうだというときに、
何を思うのか。


自分の寿命があと1ヶ月だと言われたときに、
どう生きるのか。



ボクは「幸い」に、何度も死のうと思ってきた。
そして、今がある。

この命は、ボクの命であっても、もうボクの命でない。


毎朝、仕事に出かけるときに、子どものケンゴとアイリの頭をなでる。

「今日、これで会えなくなっても、元気で生きていくんだよ。」
という思いを込めて。


毎晩、寝掛けに嫁の頭をそっと撫でる。

「今日も一緒に生きてくれて、ありがとう」という思いを込めて。


その一瞬が、ボクにとっては、「生きる価値」そのものだ。

お金がいくらあっても、その瞬間は買えない。


そういう経験と感動、そして、人生を彩る全ての瞬間が、「価値」そのものだ。

聖なる一瞬だ。
神が与えた時間だ。


今、こうして生きていること自体が、「奇跡」なのだ。


子どもと出会えたことも、
友達と出会えたことも、
愛すべき人に出会えたことも、

腕時計をネジの1本までバラバラに外して、海の中に放り込んで、
自然の営みの中で、「偶然」に腕時計に再び組みあがるくらいの
「奇跡」なのだ。

あなたがここにいるということは。

ボクが、あなたの向かいにいるということは。


そんな、奇跡の塊のような「魂」を、
高々100年ほどの価値観で縛り付けるなんて、
モッタイナイ!


大海の一滴でも、
大河のはじめの一滴になるかもしれない。


子どもを子どもらしく育む教育を
続けていきたいと思う。

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2010/06/13 22:27 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

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