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戦争のリアリティー

みなさん、こんにちは。


世界的に、争いが噴出している時代になりました。

日本はまだ幸いなことに、その渦中にいませんが、
「其の日」は突然にやってくるかもしれません。

しかし、私たちは「それ」を自分で選ぶことができます。
未来を自分たちの手で選ぶことができます。


戦争をしたいと思う人はいないと私は信じたい。

もし、ほんの少しでも、破壊のカタルシスを感じたい、
そんな人には「富村順一さん」の手記を是非読んで欲しいと思う。

この話も、「わたしの出会ったこどもたち」に編集してある。
そこから、要約してみる。



富村さんは、1970年、東京タワーの特別展望台で包丁をかざし、
アメリカ人宣教師を人質に取り、
「日本人よ、沖縄のことに口を出すな。アメリカは沖縄から出て行け」
と叫んだ人だ。



この人の手記に、ボクは言葉を完全に失った。
(以降の書き込みは、ツライ言葉が続きます。)



富村さんの人生は沖縄の苦難を一身に背負っていた。

朝、学校に行くときイモを食べることができずに、
毎日おからを食べて学校に行ったという。

「人は楽しいことだけ想い出して話すと言いますが、
私は悲しいことだけを想い出します。」


主人が「犬に飯をやりなさい」と言って、よく豚や鳥の肉を渡してくれました。
私はよく犬のえさを盗み、ポケットに入れて持ち帰り、
妹たちと分けて食べたことを想い出します。


方言札に悩まされ、正門を通らずに裏門を通ったばかりに、
「なぜ正門を通り、天皇陛下の写真に最敬礼しないのか!」
と教師に殴られ、学校に行かなくなったのが、小学校3年生のときだった。




沖縄戦では、数々の悲劇に遭遇する。

食べている握り飯を日本兵に奪われたこともある。

スパイ容疑で日本軍に惨殺される小学校長を目の当たりにする。

泣き声を立てると米軍に発見される、
という理由で我が子を殺さなければならなかった母親の悲劇もまた目撃する。



地獄としか言いようのない修羅場だっただろう。

しかし、地獄はまだ続く。


沖縄に上陸した米軍は、沖縄の女性を見るなり、
「ライオン」「トラ」のごとく襲い掛かり、暴行したあげく、
父と娘を裸にして、「やれ」と言い、やらなければ、
竹ざおで、「インブ」と「インケイ」をつつき、楽しんでいた。




富村さんは、その光景を見、

「戦争はこわいものではなく、
かなしいものだと思うようになりました。」
と記す。



またある女性が、米兵に輪姦されているのを目撃する。

その後、その女性が教師になっているのを知るが、
同じ道でよく出会うのがつらく感じる。

それで、横道に逸れると、その女性も横道に逸れていて、
ばったりと顔を合わせてバツの悪い思いをしたという話もある。



富村さんが最初に刑務所に入ったのは、冤罪だ。

盗まれたカメラを取り戻しに行った現場で、一緒に行った友人が盗みを働く。
富村さんは共犯者にされるのだが、
取調べ中に拷問を受け、睾丸をつぶされてしまう。


富村さんは、このデッチあげに怒り、
左手の小指を叩き切って刑事に投げつける。



このような体験を通しながら、
富村さんは沖縄の置かれている位置と、
受けている差別を肌で感じていくのだが、

一番衝撃的だったのは、
そのあまりにも過酷な人生の事実に触れたからということではなく、
その過酷な「生」をくぐり抜けながら、
富村さんが驚くほどの「優しさ」を持ち続けているという点にある。



彼は、タワージャックを決行するとき、
チョコレートを30枚買い込んで持参している。


不特定多数の人間を人質に取る場合、
その中に子どもがいて、その子どもに恐怖を与えるのは、
まことに申し訳がない、という配慮からである。

(実際には、子どもは居なかった。
朝鮮の人は居た。
彼らもまた同じ差別を受けてきた人であるということで、
ただちに解放している。)




こんな話もある。

刑務所時代、
部落出身のある巡査が「豚の皮」と呼ばれて差別されていた。


富村さんは、そのことに抗議して、非常ベルを押す。

所長との直談判の末、
差別していた連中は他の交番に回されるのだが、
陰口を叩かれていたその巡査は、そのことを知らない。


「警部や部長に一筆取らせて、
寒い交番勤務にするとは、富村は本当に悪い奴だ。」

と繰り返し富村さんを叱った。



出所の日、人のいいその巡査は、
「富村、どこに行っても、人に嫌がられるようなことはするなよ。」
と言い、

「私の勤務時間にいつ非常ベルを押されるか、
と毎日心配していたが、今日からは大丈夫。」

と言って、富村さんの肩をポンと叩く。


富村さんは、その巡査の最後の言葉を想い出して、
ひとりで笑うことがあると述懐している。

「あの『豚の皮』の巡査、元気かな」と。




このユーモアに満ちた話はボクを感動させる。

人間の優しさが持つ、しなやかな誇りが、
どれほど人の人生を豊かにするかということだろうか。

美しい話である。


戦争のもつ「悲しみ」と、富村さんの持つ「優しさ」が、
光と影のように、お互いの性質を浮かび上がらせる。


これを読んで、まだ「戦争をしたい」という人がいるだろうか。

「戦争をしたい」という人は、
まず、自分の一番大切な人を自分が殺せるかどうか、考えてみるといい。



戦争は、それを現実にする。


もちろん、ボクは「良い兵士」にはなれそうもない・・・。

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2010/05/22 23:54 | 未分類COMMENT(1)TRACKBACK(0)  TOP

コメント

ちょうど、読売新聞の本の紹介で、インドでのレンタルチャイルドを取材した本が紹介されていました。
(レンタルチャイルド 神に弄ばれる貧しき子どもたち 石井光太著 新潮社)

戦争が無くても、戦争と同じ状態が世界各国で行われている。

沖縄の問題だって同じ。
まだ、戦争は終わっていない。
何故、アメリカ寄りにならなければならないのか。
ただ、指導力がないだけではない、もっと奥深く、戦争が続いているのだと思う。
これだけの借金大国。ギリシャよりも膨大な借金を抱えていて、破綻しない日本。
信用で持っている。
その信用を握っているのがアメリカなのだから、アメリカに従わざる得ない。

沖縄の犠牲の上で、のんきに暮らしている私たち。
その叫びを少しでも聞けたのだろうか。

武士道を持った昔の日本人なら、破綻を覚悟で、アメリカに出て行けといえたのだろうけど。。。

No:78 2010/05/24 10:27 | ゆいまま #- URL [ 編集 ]

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