スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

--/--/-- --:-- | スポンサー広告  TOP

孤独と優しさと

およそ「先生」という職業は、

「どれだけ人の悲しみが受け入れられるか」

ということだと思う。



灰谷健次郎さんの「わたしの出会った子どもたち」の中には、
こんな一説がある。


子どもの優しさや楽天性がストレートに通らない世界では、
親や教師が子どもの悲しみを共有するということによってのみ、
子どもたちの奥深くひめているものを引き出すことができるのではあるまいか。



そして、友人である鹿島和夫さんのクラスから生まれた
一つの作品を紹介している。

これは、小学1年生の「詩」だ。




がっこうから うちへかえったら
だれもおれへんねん


あたらしいおとうちゃんも
ぼくのおかあちゃんもにいちゃんも
それにあかちゃんも
みんなでていってしもうたんや


あかちゃんのおしめやら
おかあちゃんのふくやら
うちのにもつがなんもあれへん


ぼくだけほってひっこししてしもうたんや

ぼくだけほっとかれたんや


ばんにおばあちゃん かえってきた
おじいちゃんもかえってきた
おかあちゃんが
「たかしだけ おいとく」
と おばあちゃんにいうて でていったんやって


おかあちゃんがふくし(福祉事務所)からでたおかね
みんなもっていってしもうた

そやから ぼくのきゅうしょくのおかね
はらわれへんいうて
おばあちゃん ないとった
おじいちゃんもおこっとった


あたらしいおとうちゃん
ぼく きらいやねん
いっこもかわいがってくれへん
おにいちゃんだけ ケンタッキーへつれていって
フライドチキンたべさせるねん
ぼく つれていってくれへん


ぼく あかちゃん ようあそんだったんやで
だっこもしたった
おんぶもしたったんや
ぼくのかおみたら
じっきにわらうねんで

よみせでこうたカウンタックのおもちゃ
みせてくれいうねん
てにもたしたったら くちにいれるねん
あかんいうて とりあげたら
わあーんいうて なくねんで


きのうな
ひるごはんの ひゃくえんもうたやつもって
こうべデパートへあるいていったんや

パンかわんと
こうてつジーグのもけい こうてん

おなかすいたけどな
こんどあかちゃん かえってきたら
おもちゃ もたしたんねん
てにもってあるかしたろか おもとんねん

はよかえってけえへんかな
かえってきたら ええのにな



あおやま たかし



6歳の子どもが、両親に捨てられるということは、
想像を絶する絶望だろう。

その絶望の中にあって、
なお優しい人間であろうとするこの美しい人間を前にして、
わたしは言葉がない。


他人の孤独と正面から向き合えるとき、
その「添う」ところに共感が生まれると思う。



本当の優しさを発揮できる人は、
この孤独を胸を掻き毟る程の痛みを伴って共感できる人だけだろう。


もちろん、ボクは「全て」が判るとは言えない。


しかし、胸が押しつぶされそうな痛みを感じることはできる。



江原さんの自伝を読んだとき、
冬の最中に食べるものもなく、
ツケだれもなく素麺をすする美しいシーンがある。

そしてそんな中であってさえ、
こんな寒い日に、こんなヒモジイ思いをしている人が
自分以外にもいたら、
嫌だな。

と寒い冬の夜一人思いを巡らせている風景。


私はこのくだりを読んで、胸がつまった。
苦しくなった。

しかし、嫌な苦しさではなく、
苦しさの中に、暖かさを感じられる苦しさだった。


本当の孤独を知っている人は、強く、そして優しい。


親としては、胸を押し潰されるような痛みに耐えながら、
子どもに「それをさせること」も愛情なのかもしれない。

スポンサーサイト

2010/05/20 23:32 | 未分類COMMENT(2)TRACKBACK(0)  TOP

コメント

親を選んで産まれて来たのに。。。

同じ母親として、産みの苦しみを経て、2~3時間の授乳で睡眠時間も無いけど、それでも愛しい我が子を何故捨てられるのか。
虐待のニュースを聞くたびに、悲しくなります。

いくら虐待されても、捨てられても、子どもは、母親を求め愛する。

切ないですねぇ。

>親としては、胸を押し潰されるような痛みに耐えながら、
>子どもに「それをさせること」も愛情なのかもしれない。

大我の愛でしょうか。
私には、まだ難しいです。

No:77 2010/05/24 09:54 | ゆいまま #- URL [ 編集 ]

Re: 親を選んで産まれて来たのに。。。

ゆいままさん 江

コメント、ありがとうございます。
でも、ご自身の身体のこと。
第一にしてくださいね。

コメントは本当に嬉しいのですけれどね。


> 大我の愛でしょうか。
> 私には、まだ難しいです。

そうですね。
「動機」が全てでしょうね。

あえて、転ばすことも愛情でしょう。

ただ、自身のことが可愛いだけでするなら、
それは大我の愛とはいい難いと思います。

No:79 2010/05/24 14:33 | どんぐり個別指導学院 ひろなか #- URL [ 編集 ]

コメントの投稿



管理者にだけ表示を許可する

 | BLOG TOP | 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。