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誰か教えてください・・・

みなさま、こんにちは。

突然ですが、人間の脳の解明は、人間の科学だけでなく、
文化そのものを抜本的に変えうる力があると思います。


1975年、イギリスの麻薬研究グループが研究中に
「偶然」発見したといわれる「エンケファリン」。

これは豚の脳を研究中に、モルヒネを検出する薬品に
豚の脳が反応したことから始まると言われています。
簡単に言えば、彼らの「実験が下手だった」のでしょう。(笑)


しかし、このエンケファリンは鎮痛、快感作用を身体に及ぼし、
同様の物質も人間の脳から見つかった。

「βーエンドルフィン」である。

モルヒネに似た物質だが、モルヒネの約6.5倍の鎮痛・快感作用があると言われている。

そして、これを皮切りに、次々と「脳内麻薬」は発見されていった。
つまり、人間の快感というのは、脳が出した麻薬物質によるものだったのです。


中国のツボマッサージなども、脳内麻薬を出せるツボはあるらしい。

しかし、それは長時間の激痛を伴い、
その激痛を和らげるために脳内麻薬が分泌されるので、
どこまでそれを試そうとする人がいるのかは分かりません。


しかし、ディスコで踊っているうちに恍惚となってくるのも、
阿波踊りやリオのカーニバルで感じる快感も、
このエンドルフィンが脳のA-10神経という神経を刺激することによって
ひき起こされているようです。


ヨガの行者や、修験者が覚える宗教的な恍惚も、
同様の作用からの賜物によるのかもしれません。


辛い肉体的な単純作業によって、苦痛を麻痺させるために、
脳がこういった脳内麻薬を分泌するのであれば、
とても奇妙な疑問が湧き上がる。



例えば、麻薬漬けの人は「堕落した人間」の象徴のように言われているが、
一方、修行などで宗教的な至高体験をした人(神を見た、など)は、聖人と敬われる。


しかし、大脳生理学からの見地で言えば、
両者の脳内で起こっている現象は「同じ」と言える。

麻薬物質が快感神経を刺激したことによって起こる「恍惚感」である。

違いといえば、それが「体内」で生産されたものか、
或いは、「体外」から摂取したものか、があるだけだ。



すると、そこの「差」も所謂「モラル」で考えるとよく分からないことになる。


ヘロインのような麻薬は「悪」の象徴として、
今も法の規制範囲内に位置しているが、
化学物質としてはとても良く似た分子構造を持つエンドルフィンは
法律の範囲外にある「善」なのだろうか。

将来的に、人のエンドルフィンが精製された場合、
その「麻薬」はどうなるのでしょうか。



体外から摂取する快感物質は「悪」という定義が成り立つかもしれない。
物質自体には「善」も「悪」もないからだ。

しかし、そう定義すると人が摂取する「快感をもたらす物質」は
全て「悪」の範囲にカテゴリーされることになる。

コーヒーもタバコもお酒もチョコレートも、
殆どありとあらゆる料理の全部が「悪」ということになるだろう。
人に必要な「栄養素」だけの食事のみが「善」として許されるのかもしれない。


更に、働くことも寝ることも遊ぶことも、
結果的にそこから発生する快楽を目的として行動しているのだから、
その快楽原則を全面的に否定することは、殆ど不可能だろう。

また、それを否定した「禁欲生活」をおくったとしても、
禁欲によって生じる満足感は、これもまた脳内麻薬が原因で起こっている。


もうこうなってくると永遠の「ニワトリ・タマゴ論」だろう。

ここまで読んで、ボクが「麻薬」を賛成の立場でとられることは、
とても心外です。

ボクは全く、麻薬をやろうとも思わないし、正しいとも思いません。


なぜなら、麻薬を認めてしまったら、
その先にあるのは確実に「人類の滅亡」であるからです。


働くという行為も、
そこから発生する対価に応じた生命の維持を目的にしているけれど、
そこに今は、出世欲などの自己顕示欲や、
他人が喜んでくれるような行為をしたいなどの自己充足感をからめている。

しかし、そういった「報酬的快感」をもっと純粋に、
お手軽に味わえるとしたら、
不安や苦痛もなく、心の隅々まで満ち足りた喜びだけが、
化学的に合成された「脳内麻薬」で味わえるとしたら、
誰が働きたい、と思うだろうか。


或いは、セックスによる快感も、脳内麻薬で純粋に、
そしてもっと強力に味わえるとしたら、誰がセックスをしたいと思うだろうか。

そうなれば、子どももいなくなり、国も何も100年ほどで滅んでしまうだろう。


科学が発達していくことと比例して、
人間の「種」としての維持と、
個人の快楽志向本能との壮絶なせめぎ合いの時代は、
もうそこまで来ていると思います。


私は今、江原さんをはじめとした色々な思想を勉強していますが、
「実践」ということは、
いかに自分の「人間」としての尊厳を失わずに、
「人間」として人生をおくれるかという意味を見出していかないと、
簡単に自らを滅ぼしかねないと思うのです。

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2010/05/16 17:27 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

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