スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

--/--/-- --:-- | スポンサー広告  TOP

カテイの大切さ

わざわざ、カテイとカタカナにしたのは、ちゃんと意味があります。

1つは、「過程」。
もう1つは「家庭」です。
「仮定」は、科学を躍進させるのにも大切ですけどね。(笑)


『ビジネス発想源』という、素晴らしいメルマガがあります。


過去ログが公開されていないので、登録した日からのものしか見れないのですが、1408回目のメルマガに、過程の大切さが書かれてあります。


それは、著者の弘中 勝さんが塾講師として働いておられた頃、主に中学生に授業をしていると、「体験させることの大切さ」をつくづく感じた、ということです。


まずは「やり方」を教えずに、問題に当たらせる。
しかし、解法を知らないので、じきに行き詰る。
そこで、やっと解法を説明する。

そうすることで、解法の重要性を知る、という感じだそうです。

そういう「回りくどさ」が大切であると。



しかし、実際には、そういう「回りくどさ」を体験する事を面倒臭がり、
「やり方があるんなら、早く教えてくれ。」
という大人が多いことに、弘中さんご自身が辟易とされているそうです。


でも、これがある意味で、皮肉にも現在の教育の「成功」パターンなのではないかと思います。

つまり、
「最小限の努力で、最大効果を出す」
ということを、今では本当に小さな子どもから、何の疑いもなく「教え込んで」いるのですから。


「答えが出れば、やり方なんてどうでも良いんじゃないの?」
この考え方で教育も捕らえているから、子どもがドンドン子どもでなくなっています。


子どもは「間違いを体験させ」なければなりません。

「間違い」というと悪い事のようですが、
そうではなく、ただ単にその問題には当てはまらなかった思考パターンを試してみた、というだけのことです。


だから、「早く解けた」ことには何のメリットもありません。
ゆっくりと、じっくりと、丁寧に考えることで、脳の中の色々な分野を刺激して、つながっていくことが何よりも大切なのです。

大きな運河を1本だけ作るよりも、網の目のような水路を沢山作ること。
その方が、広大な土地を肥沃にすることができます。


「過程が大事」とは、そういう意味です。



そして、それを可能にさせるのは、何よりも「家庭」です。


子どもは「親に愛されたい」その一心です。

たましいのレベルでは、病気や遺伝子を使ってまでも、それを体現しようとするそうです。

(つまり、生まれる前に、子どもがそれを選んでくるそうです。

最近、「子どもが親を選んで生まれてくるんですよね?」
と聞いてくるお母さんがとても多くなった」
と、岡山では大きな産婦人科の三宅医院の三宅先生が言われていました。


親が決めた「良い子」を演じる事は、愛情に飢えた子どもにとっては死活問題ですから、自分の内面を押さえつけてでもやります。

しかし、時が経つにつれ、押さえつけていたものが大量になり、いつしか押さえつけられなくなります。
「良い子が突然~」
という事故が起こるのは、この瞬間です。


しかも、それは、本当に些細なきっかけです。
でも、もうずっと我慢してきたことが水面下にあるのです。

薬でも、本当に髪の毛1本分ほどの量で、死ぬ事もある。
大きな風船が爆発するときも、
爆発直前の空気をほんの一息入れたからです。


つまり、きっかけなんてそのくらい些細なことです。


だから、きっかけがそれほど大切なことではありません。

むしろ、その奥に隠されたその子の思い、突き詰めれば「寂しさ」を共有してあげられなかったことが、問題になるのだと思います。


一昨年の9月の4日のニュースに、育児のネグレクトが原因で次男が亡くなった事件がありました。
母親は、6歳の長男に
「お前のせいだ。お前がちゃんとご飯をあげなかったからだ。」
と厳しく怒ったそうです。
(その母親は、付き合っていた男性のところに行っていて、10日ほど家を空けていたそうです。)

事件が発覚後、その長男はこう言ったといいます。
「ママは悪くない。ボクがちゃんと言われた通りにしなかったから・・・」

どんな母親であっても、その子にとっては、たった一人の母親です。
モチロン、この問題には、多くのことが関係してくると思います。

しかし大切なのは、どんな母親であれ、子どもにとっては愛情を求める存在なのだ、ということ。


昔、ウィーンに居た頃、何気なく街を散歩していたら、ホームレスの方でしょうか。
ボロボロの布をまとっていて、髪の毛が半分くらい抜け落ちていて、顔も一見「ギョッ」とするような風貌の女性が歩いているのを見たことがあります。

ボクも無防備に歩いていたので、息が止まるほど驚いたのを覚えています。
しかし、次の瞬間に、そんな自分が恥ずかしくなりました。

その方は、2歳くらいの可愛い女の子を抱いていました。
本当に玉のように可愛い女の子でした。

そして、その方のその子を見る目が、何とも言えない柔らかな、穏やかな眼差しでした。
女の子が声を出して笑う度に、その方の笑顔が見えました。

ボクは、たぶん、その間しばらくは、その場に立ち尽くしていたと思います。
そのくらい衝撃的な出来事でした。

その日、ボクは手帳にこう記しています。

「子どもにとっては、どんな親でも、『親』なのだ。
人からどう思われていようとも、愛情の発露たるものは親なのだ。」

子供は、親が育てたように育ちます。

言葉でいくら立派なことを言ってても、
行動が伴っていなければ、
子供はちゃんと見ているのです。

子供を育てるのには、
「お手本」を見せ続けること。

言葉であれこれ言うよりも、
それが一番良いようです。

スポンサーサイト

2010/05/14 23:41 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

コメント

コメントの投稿



管理者にだけ表示を許可する

 | BLOG TOP | 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。