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「何を言うか」ではなく、「誰が言うか」ということ

私は常々、「何を言うか」ではなくて「誰が言うか」が大切だと思っています。

「勉強することは大切だ」
と言うことは、多分、誰が言っても正しいです。
しかし、『誰』が『どんな状態』で、この言葉を言うのかによって、その重みが全然違います。


父ちゃんが、日曜日に寝っ転がって、お尻なんかポリポリしながら、
バラエティー番組を見て時々、「あはは」なんて言ってる状態で、

「お~い、○○。勉強するって大切だな~。あはは」
なんて言っても、多分、普通の子どもには伝わらないでしょう?(笑)


自分が勉強しなかったせいで、差別やいじめを受けたりして、
でも、それをバネに頑張って、現世的に「成功」したといえる人が、
2人きりのときにしみじみと語る、

「やっぱり、勉強って大切だよ。」
の一言には、万感の思いが込められていると思います。



つまり、人に自分の思いを伝えたいときには、
ある程度、その人のバックグランド、日常を見せておく必要があると思うのです。
そして、言葉を交わせるだけの、『普段の(他愛のない)会話』が、本当に大切なのだと思うのです。


会話の内容なんて、なんでも構いません。

昨日見たテレビのこと。
今日あった学校のこと、会社のこと。
友だちのこと。
親のこと。
勉強のこと。
夕飯のこと。
テストのこと。
今までのこと。
これからのこと。
・・・。


大切なのは、そこにある種のメッセージ性など、なくても構わないということ。

いつもいつも、そこに意味を見つけなければならないような言葉のやりとりは疲れますし、相手を疲れさせます。



「風が気持ちいいね。」

「そうだね。」

とか、


「あ、この卵焼き、美味しいね」

「あ、本当だ! 美味しいね。」

そんな他愛のない会話、そしてちょっとした静寂の時間。

そんな中で、
「そういえばね・・・。」
という本音を話してくれる時間がくるかもしれません。

いずれにしても、急いでいるときに大切な話をしようとは、なかなか思わないということだと思います。



「1」のことを伝えようとするのには、「9」くらいのムダが必要なのかもしれません。
それは、時間もかかるだろうし、手間でもあります。

しかし、その手間を省いて、いきなり「1」だけを伝えても、多分、その「1」は伝わらない気がします。


どこかの週刊誌で借りてきたような、当たり障りのない言葉ばかりを並べる人。
用事ばかりを言う人。
反論のしようもない真理ばかりを言って、実践が伴わない人。


もちろん、私も未熟です。
そんなことは、言えた義理ではないことは、百も承知なのです。

でも、それでも、あまりにも目にあまることもあります。




冗談やユーモアが、「潤滑油だ」ということは、そういうことだと思うのです。
とても苦い薬を、幾重にも包むオブラートのようなもの。
薬だけが飲めるのであれば、オブラートなどは要りません。
しかし、舌に触ってすぐ溶けるのであれば、2重に3重に包む必要もあるでしょう。

でも、あまり大き過ぎると、今度は薬自体が飲みにくくなります。



そのバランスが大切だということです。

必要なことだけを言えば良いと思っている人は、食事もサプリだけを取れば良いと思えるでしょうか。

食事を楽しむということは、結局「ムダ」をも楽しむということと同じです。


そして、その「ムダを楽しむ」ということが、「文化」ということでもあり、
人生を楽しむということになるのだと思うのです。

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2012/09/04 16:27 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

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