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苦しいときは・・・

皆さま、こんにちは。

晴佐久昌英さんという方の詩を1つご紹介させてください。




苦しいときは


苦しいときは 昔を思い出すといいよ

自分が生まれた日

はじめて母のふところに抱かれて やすらいだ朝を

わが子に人生を与えた親の思いを

思い出すといいよ

悩みなく 遊びまわった幼いころ

ころんでもころんでも 世界を信じて

傷が治らないうちに また走りだした夏休みを

思い出すといいよ

夢破れて 死のうとさえ思ったあの夜を

もう 二度と朝は来ないと思っていたのに

やがて魂に忍び込んできた あの夜明けの美しさを





苦しいときは 明日を夢見るといいよ

いつか すべてを月日が洗い清めて

こころに ひとかけらのけがれも痛みもなく

晴れわたった雪山の青空のようになれる日を

夢見るといいよ

苦しみ抜いた末に 優しさのちからを知り

苦しむ人の気持ちが 痛いほど分かるようになり

涙にくれるだれかの隣りに そっと寄り添える日を

夢見るといいよ

苦しみは いつか喜びにかわると身をもって知り

あの最もつらかった一日こそが

最もありがたい一日だったと 感謝できる日を





それでも苦しいときは もう何もしなくていいよ

歩けないなら 歩かなくていいよ

弱ったその身そのままで 黙って座っていていいよ

冬眠に入った天道虫のように 小さく丸くなって

何もしなくていいよ

今日も揺れ騒ぐ 波の底に貝は眠り

風わたる樹々をおおい 星空はめぐる

人は すべてのいのちと結ばれているから

何もしなくていいよ

一粒の苦しみも見逃さない天使たちに囲まれて

誕生への深き眠りに 落ちていこう

あらゆる苦しみは 生みの苦しみなのだから



晴佐久昌英 著 : だいじょうぶだよ : 女子パウロ会



人は、知れば知るほどに、
勉強をすればするほどに、
「分からないところ」が増えていくものです。


それは常に、「わからないところ」というものが、
「わかるところ」の周りにあるからです。


「何もわからない」ところに、「わからないところ」は、
発生しません。
「わからない」ということさえ、思いもしないのですから。笑


読んだこともないのに、

「カントの『道徳形而上学原論』の

『自然が自然的素質を遍く頒与するに際して、
例により合目的な方法を採ったとすれば、
理性の真の使命は、何かほかの意図を達成する手段としてではなくて、
それ自体善であるような意志を生ぜしめることでなければならない。

そしてこのためにこそ、理性が是非とも必要であったのである。
それだからこの意志は、なるほど唯一の善或いは完全な善ではないにせよ、
しかし〔人間にとっては〕最高の善でなければならない。』

における、『最高の善』とは何だろう」

なんてことは、思わないですよね?笑


ということは、「分かるところ」が増えれば、
「分からないところ」も増えていきます。


風船の表面積みたいなものでしょうね。



そして、
その関係は、「苦しさ」と「優しさ」の関係も同じなのかもしれません。


「優しさ」の周りに「苦しさ」がある。


「優しい」人は、人の「苦しさ」を理解できるから、
理解した分、また「優しく」なるのでしょうね。

また、同病相哀れむ、と言う言葉があるように、
同じ苦しみを味わっている人とは理解し合える気がします。


今回の震災でも、長崎で災害に遭われている方々が、
「自分たちよりも大変なんだから」
と物資を送られたという話、本当に涙が出そうでした。

まだ、自分たちも「日常」に戻れていないのに、
他人を労われる強さを人は持っているんですね。


人は神様の欠片(かけら)を必ず持っています。

それを磨ける布は、ただ1つ。

「経験と感動」

なのだと思うのです。

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2011/06/16 16:59 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

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