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親は本当に子供の自立を求めているのか?

「親が子どもに求めているもの。」



日本とアメリカで行われた調査によると、
双方で「自立」が1位になったらしい。



ところが、こと日本の親が、子どもがキチンと自立できるように接しているかと言うと、
どうも疑わしい。

例えば、日本では手伝いをする子どもは小中高生を問わず、
約50%ほどだと言う。

これに対してアメリカではなんと、
約9割の子どもが何らかの手伝いを担当している。



ボクは、「だからアメリカの親の方が素晴らしい」
などという短絡的な結論を言いたいわけではない。


しかし、「勉強」を言い訳にして、
家の手伝いをしないということは、
少し考える必要があると思う。


「ちょっと、太郎ちゃーん。お風呂掃除してくれない?」

「え~、せっかく今、ボク、勉強しているのにぃ~?」

「あら、そうなの。じゃあ、仕方ないわねぇ~。」



などという会話。
日本の家庭では多いのではないだろうか。



子どもにとって、「勉強中」は、手伝い逃れの言い訳の切り札である。



さらに、親は、子どもが「勉強中だ」と言うと、
手伝いをさせることをいとも簡単に諦めてしまう。


これでは、日本の親が子どもに求めているものは、
「自立」ではなく、
「勉強をすること」
ではないかと思われても仕方ない。


或いは、ちょっと意地悪な見方をすれば、
「勉強をしている(素振り)」を親が見たいという、
親の自己満足とも思える感覚なのではないだろうか。


子どもも、その辺りはよく分かっているから、
部屋にカギを付けたりして、
「カギをかけている時は勉強している時だから、
絶対に開けないでよ!
気が散るでしょ!」
などという、勝手な自分の理屈でもって、親を納得させていたりしている。



「なんでも自分で出来るようになってもらいたいんです。」

と保護者懇談でも仰っていながら、
自分で部屋の掃除もさせたことがなく、
まして、料理もさせたこともない。

更には、学校の時間割を見ながら、
翌日持って行くものを親が揃えていたりするなんて、
「自立って、どういう意味で仰ったんでしょうか?」
と聞きたいくらいだ。


それでなくても、授業が終わったら、
机の上の消しカスをゴミ箱に捨てる。
椅子を机の中に入れる。
挨拶をして帰る。

たったこれだけの「常識的」なことが出来ない生徒が、悲しいけれど多い。


「塾も、本人が行きたいって言うので、行かせます。」
と、本人の意向を尊重されるご家庭なのかと思えば、
進路については、結構な割合で干渉して来られる方。



「結局、行くのは本人なんですから、
本人が気に入ったところに行ってもらいたいんです。」
と物分りの良いことを言う方に限って、多いと思う。

どうして、子どもが高校3年生にも大学生にもなって、
受験の付き添いに行ったり、
就職先の心配までしなければならないのだろうか。



そんな年齢にもなって、
ひとり歩きさせるのが心配なようにしか育てられなかったのは、
いったい誰なのかと聞きたい気もする。


親は、子をひとり歩きできるように育てること。

自立して生きていけるように面倒を見ること。

それだけで良いのだと思う。




将来、面倒を見てもらわなければ困るとか、
一緒に住むとか、
スープが冷めない距離に住むとか、
そんなことは、
「親が大切だ」と思えば、
子どもは自然にするものだ。


「昔は良い子だったんですが、今は扱いが難しくて・・・」

などという言葉は、
親離れを必死でしようとしてもがいている子どもに向けられた、
親のエゴ以外の何ものでもない。



子どもの苦しさに「添って」いるのではなく、
親の「思うよう」を押し付けているだけだ、
ということに、親自身が気付いていなかったりしている。



実際、そんな子ほど、素直でマジメであったりするのだ。





自然の摂理で言うと、親は必ず子どもよりも先に死ぬ。




であれば、自分が死んでも子どもがひとりで生きていけるようにすることが、
本当の意味での「優しさ」なのだろうと思う。



自分がいなければ子どもは生きていけない、
というように子どもの依存を煽るように育てるのは、
自分の無価値観を埋めたいだけの、
「甘さ」なのだろう。

優しさと甘さの違いは、長い眼で見て、
その人のためになっているかどうかだ。



その場が、なんとかなればいい。
私の欲望が満たされれば良い。

という、短絡的な考え方は、「甘さ」だと思う。
長期的に見て、みんなが苦しむことになるのだ。


しかし、例えその場が苦しくても、
言いたくない事を言わないといけないような場面でも、長い眼で見て、
「あのとき、ああ言ってくれて、ありがとう。」
と感謝されるようであれば、それは「優しさ」なのだと思う。



「甘さ」で、人に、子どもに、接するのは容易い。


自分が傷付きたくないという、自分だけが可愛い人が、
心の儘に行動すればよいのだから。


一方、「優しさ」で人に接するのは、とても大変だ。

何が「正しい」のかということを
常に自分の良心と向き合っていかなければならない。


そして「正しさ」に「答え」はない。


誰かが定めた「正しい答え」に従ってしか生きられないのであれば、
「あなた」が生きているという実感がないのはないだろうか。



頭だけで、知識だけで、全てのことが理解できて、
それがこの世に生まれて来た「理由」なのであれば、
全てを「知った」ときに、その人は死ななければならない。


幸い、そんな人はいない。(笑)


だからこそ、この世の「経験と感動」が大切なのだろう。


親の役目、先生の役目は、
子どもが精一杯伸び伸びと生きていけるように、
自信を持って歩いていけるように育んでいくことだけだと思う。


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2010/12/13 17:29 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

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