スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

--/--/-- --:-- | スポンサー広告  TOP

『普通』と『自然』 (再掲)

今は、仕事で『どんぐり倶楽部』のHPを本当に隅々まで見させていただいている。

学ぶことが多くて、見飽きないのが、難点だ。(笑)


主催の糸山さんは、勉強する理由をこう答える。

「人生を楽しむため」

全く、その通りだと思う。


今の教育は「短絡的正解追求型思考(単に答えがあってればいいんでしょ?思考)」の子どもばかりを育てている。


ボクも、それは塾で教えていた頃から感じていた。

「で、答えは何なん?」
と聞く生徒が本当に多いのだ。


こちらが「やり方」を説明していても、
とにかく、答えだけを暗記しようとしている子どもたち。


そういう子どもと付き会うのは、本当に時間がかかる。
まずは、雑談から「人の話を聞く」ということの大切さに気づいてもらわないといけない。

「気づく」なんて大げさなことではないのだけれど、要は、話をすることが楽しいと思って欲しいのだ。



人生を楽しむこと。



これを反対から言えば、


「人生の恐れをなくすること」


だと思う。これは、江原啓之先生の言葉だ。



恐れをなくすこと。

病気になることが怖い。
誰かから恨まれるのが怖い。
事故に遭うのが怖い。
破産するのが怖い。


究極は死ぬのが怖い

だろう。




しかし、「死」さえも、「楽しめる」ならば、何にも恐れるものはない。

実際、「死」というものはない。
あるのは、「形を変える」という現象だけだ。

もう少し専門的に言うと、
「波動の振動が変わった」
だけだ。

紫外線や赤外線が目に見えないように、
肉体を脱いだたましいは、肉眼で見えない。

ただ、感じることができるだけだ。




糸山さんも、江原先生もシュタイナーを例に挙げられていることが興味深い。


人生において、「哲学」をしたならば、行き着くところは、同じようなところなのだろうと思う。

あとは、どういうアプローチをしたか、
という違いだけだ。



そういう人たちが現世で出会えば、きっと言葉は要らないのだろう。

それは、「見えている」からだ。



ボクも、生徒たちと話していると、
「○○なんじゃない?」
と言ったことが、
「なんで、センセ、そんなこと知っとん?」
と驚かれることがある。

そういうときは、その情景が脳裏に見えているのだ。
それを共有することで、
「あなたの気持ちはわかるよ」
と伝えると、子どもは安心するのだと思う。

「分からない」・「わかってもらえない」というのは、「不安」なのだ。



子どもたちには温かい言葉のシャワーが大切。

これも糸山さんの言葉だ。


これもそうだと思う。


温かい言葉とは、もちろん、「形」ではなくて、「思い」の方だ。

いくら
「あなたのことが大切なのよ」
と言ったところで、心のない言葉は、子どもには通用しない。

テレビの前に寝転んで、漫画を読みながらオセンベを頬張って、お尻をかきながら、
「あんたのことが大切なのよ。パリ、もぐもぐ」
なんて言われても、全然、心に響かないのと同じだ。(笑)


その辺りは、子どもは本当に敏感なのだ。
特に、評価をいつも気にしているようなこと子どもは、
愛に飢えているから、当たり前だ。

自分はもう十分に愛されていると安心した子どもは、
他人の評価に左右されることはあまりないのだ。


だから、やはり、
「どれだけ言葉をかけたか」
という量ではなく、
「どれだけ心を込めたか」
というところに行き着く。


言葉は結局「容器」でしかない。

「思い」を入れるために、
あるいは、思いをある程度「形」に固定するための
「入れ物」なのだ。


長靴のグラスに水をいれたからって、
水が長靴の形になっているわけじゃない。

それに、何を入れるかは、入れた人が決めることだ。
それをどう受け取られるかは、また別の問題だ。



だから、何度でも、何度でも、体温を届けるために
温かくて飲みやすい飲み物を入れ続けようと思う。


砂漠がいつか、草原になるように、
疲れた心にも、きっとハスの花が咲く日がくるだろう。



スポンサーサイト

2010/11/24 17:28 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

コメント

コメントの投稿



管理者にだけ表示を許可する

 | BLOG TOP | 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。