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「答え」を出さない大切さ

みなさま、こんにちは。


昨日も自習に来ていた中1の人男子。

「センセ!
ちょっとこの問題教えてください。」

どれどれ、とのぞいて見ると、国語の文章問題!(笑)

「あ、ちょっと時間くれる?
センセも読まないと分からんから。


あ~、これはね~・・・。」

等と指導をしておりますが、その間、彼がよく使う言葉は、

「答えがわからん」

ということです。



逆に言えば、「答え」を出す事が、今の教育方法が子ども達に求めていることなのでしょう。


答えを出せる人が「出来る人」で、答えを出せない人が「出来ない人」。


そんな窮屈な二元論の世界に子ども達を押し込めておいて、
高校になる前に、

「さぁ、これから自分の進路は自分で決めなさい。」

なんて急に言われても、面食らいますよね?(笑)




答えを出せば、ある程度、
心を落ち着かせる事ができるのは事実です。

しかし、だからと言って、
人生の目的が「落ち着くこと」だと思うのは、
早計だと思うのです。


私は、敢えて『答え』を出さない事の方が、
大切なのではないかと思います。


そもそも、『答え』とは何か、ということです。


「世界で一番美味しい料理は何か?」


という問題に、明快な答えを出すことはできません。


しかし、そもそも、何故そのような問題に答えなければならないのか、
という答えもありません。



オリンピックや世界陸上で行われている100メートル走も、
「現時点で」の話はできますが、記録が更新される限り、
「世界で最も速く100メートルを走れる人」
の答えは出ませんよね。


そもそも社会全体に「答え」がないのに、
学校で「答え」を求めさせる教育をするのも、
根本的に目的が違うような気がします。




学校では社会性を育む事が求められているのであれば、
大切なのは、考え方の多様性を認めることだと思います。



「自分(だけ)が正しい」ということではなく、
相手の意見や考えに対しても、「そういう見方もあるよね」と思えること。


そして、1つの事実に対しても、一方的な解釈だけでなく、
相手の側からも考えてみること。





日本には、馴染みのないアメリカの習慣に、「Thanksgiving Day」があります。

「感謝祭」と訳されて、11月の第4木曜にお祝いをしています。
もうすぐですね。


その起源としては、1620年12月26日に、
イギリスの清教徒団"ピルグリム・ファーザーズ"が、
イギリス教会の宗教弾圧を逃れ"メイフラワー号"で
アメリカのマサチューセッツ州プリマスに到着したことからです。



上陸した年の冬は寒さがとても厳しく、
さまざまな困難にも見舞われ、
上陸当時100人程いた清教徒のほとんどが寒さや飢え、
そして病気などによって命を落としました。

彼らは、地元の「原住民」ワンパノグ族の酋長マサソイトに食料を与えられ、
何とかその冬を越すことができたそうですが、
生き残ったのはたったの50人位だったと伝えられています。


生き残った人たちは、
先住民であるネイティブ・アメリカン(インディアン)に狩猟や農耕を教わり、
春夏一生懸命働き、結果として秋には収穫できる作物もありました。


そして、その収穫時には、彼らが作った教会に集い、
会食を催して収穫を喜び、神に感謝を捧げたそうです。

この席に、入植者の恩人であるインディアン達も招かれました。



インディアン達は、お礼に七面鳥や鹿の肉を持って来ました。

そして、清教徒の一団とインディアンたちは、
3日間戸外のテーブルに食物を山と積んで、
神に感謝を捧げ、讃美歌を歌ったのです。


これが一般的に言われる『Thanksgiving Day』の起源というわけです。


しかし、この話には続きがあるそうです。



七面鳥で元気になった清教徒らは、
マサソイト曾長の死ぬのを待って
彼らの領土を奪い始めます。



抵抗した息子は殺され、
その首は20年間プリマスの港に晒されました。

彼の妻子と一族も、まとめてカリブの奴隷商人に叩き売られたそうです。




土地を手に入れた清教徒たちは、
働き手と「妻」を最寄りの奴隷市場に買いに行きました。



実は、奴隷市場はメイフラワー号が着く一年前に店開きしていて、
最初の売り物は140人の英国の白人女囚だったという記録が残っているそうです。



新大陸は、まず「神に仕える」男たちが入植し、
ある程度の生活基盤ができたので、
次に必要なのはそれを発展させること。

つまり子孫でした。



それで英政府は、
万引き程度の罪でもみな『島流し』を宣告して、
新大陸に送りこんだそうです。



もし、本当に「神に仕える」清教徒たちが、
感謝祭に伝えられるような心根を持った人たちであれば、
ウーンデッドニーのインディアンの大量虐殺の様なことは、
起こらなかったでしょう。



別に、私はここでアメリカ人を非難しているわけではありません。


ですが、そういうことも、
きちんと子ども達に教えた上で七面鳥を食べるなら、
それでも良いと思います。


「私達のそう遠くない祖先の人たちは、
こういうことをしてきたんだよ。

それについては、どう思う?」


それが、歴史を学ぶ理由です。

そこには、「答え」は必要ありません。


「考える」ということ。

そしてその結果、
「どういう自分でありたいのか」
ということを決めること。

それが目的のような気がします。

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2010/11/20 12:23 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

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