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今度の日曜、10月3日は

みなさま、こんにちは。

今度の日曜10月3日は、
アッシジの聖フランチェスコが帰幽された日とされています。


アメリカのサンフランシスコや、ブラジルのサンフランシスコ川など、
地名にも残るほどの素晴らしい方です。

(サンフランシスコ→セイント・フランチェスコからでしょうね)


織物商人のピエトロ・ディ・ベルナルドーネの息子として生まれ、
家が裕福だったので放蕩生活をおくっていたそうです。

当時は騎士に憧れていたようですが、
実際のペルージャ戦いに参加して捕虜となり、
また病気に罹る等したときに、回心が始まったそうです。


時にフランチェスコ25歳でした。



27歳でキリスト教徒として、活動を始めました。

彼の記した戒律は全ての財産を放棄して、福音を説くものでした。



1226年10月3日、聖フランチェスコは45歳でその現世での生涯を終えますが、
亡くなるときに、

「私が纏っている布も、取ってくれ。
死んだら、埋めて身体も土に返してくれ。」

と、何一つ「所有」という概念に囚われることはなかったそうです。



しかし、考えてみれば、人間が自分の持ち物と考えているものでも、
何一つとして「無」から作り上げているものはありません。


そう、全て「地球からの借り物」です。



着ている布は、植物からですし、植物も地球が支えてくれなければ育ちません。
土地も、人間が勝手にルールを作って、線引きをしているだけですよね。


今、月の土地を買っている人がいるのはご存知ですか?

「遊び」としては良いかも知れませんが、実際のところ、
「何やってんだろう?」
という人の方が多いと思います。


それが証拠に、

「月の土地にも固定資産税を掛ける。年間1㎡辺り10万円です。」

と国連辺りが発表したら、
権利を放棄する人がどれだけいるか想像してみれば分かります。(笑)





死んだ時に何一つ持って逝けるものはありません。

ナザレのイエスさんも、
「地上の住人となるな。地上の旅人であれ。」
という言葉を残しました。


旅に出て、いつもの生活と何ら変わらないものを食べて、
何ら変わらないものを見て帰る人は、殆ど居ないでしょう。


或いは、折角旅に出ているのに、ホテルの中に引きこもっているのも
勿体無いですよね。


旅に出たら、普段とは違う、何か特別な事をしたい。

特別な物を見たい。

特別な物を感じたい。


そう思うのは、至極当然だと思います。

転んで鼻血を出したことだって、後で思えば良い思い出ですよね。

もし、現世に生まれるということが、
そういう「旅」だとしたらどうでしょうか。


モノとしての「お土産」は持って帰れませんよ、
という条件の旅だとしたら。



そしたら、多分1つでも多くのものを
見たり、聞いたり、感じたり、味わったりする人が大半でしょうね。



そういう思いで毎日を生きると、
また違ったことに目が向けられるかもしれません。


「モノ」ではなく、沢山の心に蓄えられた感動、
そして、そこに込められた「思い」こそが大切なのだと思います。


最後に、聖フランチェスコの精神を良く表していると言われる、
『平和の祈り』を記しておきたいと思います。





わたしを平和の道具とさせてください。


憎しみのあるところに愛を、
諍いのあるところに赦しを、
分裂のあるところに一致を、
誤りのあるところに真理を、
疑いのあるところに信仰を、
絶望のあるところに希望を、
闇のあるところに光を、
悲しみのあるところには喜びを
もたらすものとしてください。

慰められるよりも慰めることを、
理解されるよりも理解することを、
愛されるよりも愛することを
  わたしが求めますように。

わたしたちは、与えるから与えられ、
赦すから、赦され、
自分を捨てて死に、
永遠の命を受けるのですから。

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2010/09/28 09:12 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

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