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「落ち穂拾い」の奥深さ

みなさま、こんにちは。

ちょっと先ですが、
10月4日は、『晩鐘』、『種を蒔く人』
そして『落ち穂拾い』などの絵で有名なジャン=フランソワ・ミレーさんの誕生日です。


1814年にフランスのグリュシーという小さな村で生まれたミレーさんは、8人兄弟の長男。
19歳の時に絵の修行を始め、26歳の時にサロンに入選。
しかし、奨学金が停止されていたために、非常に貧しい生活を強いられていたそうです。


当時のエピソードとしては、本当にその日暮らしをしているような貧しい生活をしている時に、友人画家のルソーさんがやってきます。

「ミレー。
実は君の絵を300フランで買いたいという人がいるんだけど、
売ってくれるかな。」

当時は、1フラン当たり金322.58mgの価値をもつものと定められていました。
今、金1gは大体1500円くらいですから、1フランは大体500円くらいです。

とすると、300フランは15万円の計算になり、当時のミレーにとっては見たこともない大金だったに違いありません。

「そんな!
いいのかい、ボクの絵で。」

「ああ、君の絵が良いんだそうだ。」


その後、ミレーは共和国政府より依頼された仕事を受けたりして、経済的に安定していきます。
そして、その頃でしょうね。

貧しかった当時、あの時の自分を助けてくれた300フランを払っていたのは、誰でもないルソーさんその人だったことを知ります。

自分と同じくらいに貧しい画家であったルソーさんが、ミレーさんのプライドを傷つけないようにと配慮した救いの手でした。

それを知って、ミレーさんは号泣したと言います。


その後、ミレーさんは傑作といわれる「落ち穂拾い」を描き上げます。

この絵は、のどかな麦畑の刈り取りの後の、
のんびりとした風景を描いているのではありません。

当時のフランスは、1780年代からの45億ルーブルにも膨らむ財政赤字を抱えていました。
ルイ14世の対外戦争の浪費や、宮廷での贅沢三昧での浪費などが原因のようです。
第三市民には、もう増税しようがないほどに税金を課し、市民生活は苦しさを増すばかりでした。

その後、1789年7月14日にバスチーユ牢獄の襲撃を含め、所謂「フランス革命」の混乱時期に入ります。
その混乱時を超えて、ナポレオン時代を経て、さらに2月革命などが起こる。
まだまだ混乱の時代です。

もちろん、社会が疲弊すると困窮するのは、一般市民です。


ミレーの落ち穂拾いに描かれている3人の夫人は、全員戦争で夫を亡くした未亡人たち。
働き手を失った婦人達は、自分の仕事が終わった夕暮れ時に、近くの農園で生活のために必死に落ち穂を拾ったそうです。
それがあの絵の構図だそうです。


当時、フランスの農家では、麦の収穫はあの死神の鎌のような鎌で刈って、巨大なフォークのようなもので、麦束を集めて脱穀していたそうです。
だから、結構落ち穂があった。

それを集めることも、やろうと思えばできたのでしょうが、貧しい人たちのために残しておく事が、「当たり前」だったようです。

そういう社会的弱者を啄ばむ厳しさ。
疲弊した社会でも必死に生きていくことの気高さ。
そして、そんな社会でも忘れていない優しさ。

その3つが渾然と混ざり合いながらも、強烈にお互いを引き立てあうから、
あの絵は「傑作」として、今日まで残ったのだと思います。

1枚の絵の奥深さ。
すごいですよね。

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2010/08/11 22:32 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

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