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「良いこと」、「悪いこと」って

みなさま、こんにちは。


1月ももう半分が過ぎましたね。
先日は大荒れの天気の中、センター試験もありました。

来週はいよいよ中3の生徒たちの番です。

1つ1つを大切に。
最後までがんばりますよ!



さて、まだ年初めの感覚からなのか、
今年は「良い年」になるのか、「悪い年」になるのか、
テレビやラジオで、そんな話題をよく聞く。


仰ることが良い、悪いは別として、ボクもふと、良い年、
悪い年ということを考えてみた。



良い年。

例えば、宝くじが当たった。
3億円が手に入った。


これが本当に良かったのか、ボクには結構疑問だったりする。


あまり、宝くじが当たったという人が表に出ることはないだろうけど、
宝くじが当たったせいで、勝手にある日急に会社を辞め、
評判を落としたという人の話を聞いたことがある。

宝くじが当たったせいで、近所からの妬み・嫉み・僻みがひどくて、
結局遠方に引越しをしなければならなくなった、という話も聞いたことがある。

(ついでに、その人は、そこでも「宝くじが当たった家」として、苛められているとか・・・)


急に親切にしてくれる人が増えて、
この人が単に「おこぼれ」が目当てなのか、
本当に親切にしてくれているのか、
その辺りが自分でも信じられなくなる、
という声も聞いたことがある。

「結局は金目当てなのか」と・・・。



おそらく、同じ理由で美人の人、スタイルが良い人も
嫌気が差しているのかも知れない。


つまり、現世的、物質的に「恵まれている」ことが必ずしも
「良い」とは、ボクには思えない。
(だからと言って、「悪い」などとは言っていない)


好きな人が彼氏になってくれたけど、
今度は失うことが怖くて、
自分を見失っていく子も沢山見てきた。



その彼氏がちょっと女の子と話をしているだけなのに、
「私より、あの子のことの方が好きになったのかな?」
なんて真剣に悩んでいる子もいた。


「私と一緒にいるよりも、楽しそうに笑っていた」
なんて言っていた。



ちょっと客観的に見れば、言いがかり? とも取れそうなくらいの
被害者意識に苛まれることもある。

だったら、「彼氏」なんて作らない方が、その子らしく楽しく
学校生活が送れたんじゃないかななんて思うこともある。



一方、病気で苦しんだとしても、
普段は何も話しかけてくれなかった父親が、
「おい、大丈夫か? 欲しいものがあれば、言えよ。」
なんて声を初めてかけてくれた。

その一言が何よりも嬉しかった。
なんて言う人もいた。


ボクも、オーストラリア留学中にベル麻痺を患い、
顔の左半分が動かないという、全くの失意の中で
母親の元に戻った時、何も変わらないいつもの穏やかな表情で、

「おかえり。
大変だったね。」

と一言言ってくれた母親の凛とした温かさを
昨日のことのように思い出す。



誰かにひどい仕打ちをされたとしても、
降って湧いたような災難に遭遇しても、
それを理解してくれて、寄り添ってくれる仲間に
出会えることができたこと。

そのきっかけを与えてくれたのが、
「悪いこと」
だとしたら、それってホントに「悪いこと」だったのかな。



全ては変わりゆくもので、それを全ての過程だと考えるならば、
「結果」について、とやかく言うことは、「どの時点」でも早いんじゃないか。

だから、
「人を裁いてはいけない」
というのだろう。



全ては「過程」なのだから。


そして、善悪の判断の基準になるものは、
いつもその人の、その時その時の「ものさし」だ。


昨日の悪いは、今日の良いになるかもしれないし、
今日の良いは、明日の悪いになるかもしれない。


歴史を見れば、そんな例は、沢山出てくる。

タバコは昔、子どもも吸っていて、
健康のために良いと言われていた。

カップ麺のスープは、身体に良いと、
最後まで飲んでくださいと推奨していた。

安土桃山時代、キリスト教は歓迎された。
しかし、江戸時代は、キリシタンに対して弾圧をしていた。


戦争時分は、アメリカ・イギリスに対して、鬼畜米英と言っていた。
ちょっと前の日露戦争のときは、イギリスとは同盟関係にあったのに。

ちょっと昔は、ポケベルを持っていないと、
「ダサい」と言われていた。
今は、ポケベルと持っていると、
「うわ! 化石がある!」
なんて言われるのかな。

霊の話をしようとすると、
「気持ち悪い」
と言われていた。


いずれも今はどうだろう。


変わっていくこと。


その過程を愛すること。

ボク等が生まれる前に選んできた出来事は
変えることができない。

それらは、ボク等が何であるかということを思い出すために
自分たちで用意した「道具」なのだから。

ただ、それをどういう風に受け止めて、
どういう自分でありたいか。


他人を攻撃することは、
自分が被害者だと思い込んでいるからだ。

それはそれで良い。

いつか被害者でいる自分が嫌になるときが来るだろう。

それまで心を添わせることができるか。

それがまた、周囲の人が「自分のため」に用意した環境なのかも知れない。



物事は、1面だけで、
自分が見える範囲だけで、
判断してはいけない。

真実の奥にもまた、真実があり、
その奥にもまた真実がある。


そして、宇宙が膨大なスピードで膨張しているように、
真実もまた、一箇所でじっとはしていない。

ただ、

「どういう自分を表現したいか」
その問いだけが、いつもボク等の目の前にぶら下がっている。


「人に優しくしたい」
と思うのであれば、
「今、私が優しければ、何をするのか」
を考えれば良い。

目的地を目指すために、目的地から離れてはいけない。

ボク等は元々、「目的地」に居るのだ。
だから、ただ、そこに「居れば」良い。

優しくなりたいのなら、
優しくなりたい、と思ってはいけない。

ボク等は元々優しいのだ。



叡智が欲しいのなら、
叡智が欲しい、と思ってはいけない。

ボク等は元々、叡智を授かっているのだ。



愛が欲しいのなら、
愛が欲しいと思ってはいけない。

ボク等は元々愛なのだ。


そういう自分をいつも表現していく。
だから、一瞬一瞬がいつも「聖なる瞬間」なのだと思う。


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2011/01/17 23:51 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

今からでも遅くはありません!

みなさま、こんにちは。

昨日も、『どんぐり倶楽部』についての、
お問合せ、塾の無料体験へのお申し込みを頂きました。


本当にありがとうございます。




そのお話の中で、お母さんが気になる一言を仰いました。

「あの、どんぐり倶楽部についてのホームページを読ませてもらいました。
本もちょっと読ませてもらいました。

うちの子は、9歳を過ぎてしまったのですが、もうダメですか?」



「お母さん、あのですね。

もし、『例えば』ですが・・・。
例えばですよ。

では、私が、『もうダメです』と言ったとして、
お母さんは、そのお子さんを諦められるのですか?」


「いえ、親である以上は、子どもを諦めることなんてできません。」


「ですよね?(笑)

気づいた時から、始めることが大切なのだと思いますよ。」


という話をさせて頂きました。


去年、担当していた中3の子ですが、
2学期の後半まで数学で40点くらいだった子でした。



藁にもすがる思いでいらっしゃり、年始からお世話をさせて頂きました。
本人も、よく頑張ったと思います。


今までのテストのやり直しに加えて、1日3枚のどんぐり問題を解かせていきました。



元々、体力的にも無理の利く子だったことに加えて、
とっても素直に言うことを聞いてくれましたので、
スポンジが水を吸い込むように色々なことを吸収してくれました。


また、一緒に時間を過ごすに連れて、
笑顔が増えてきたのも私としては嬉しいことでした。



ある時、授業が終わって、玄関先でお母さんが、

「あの子の笑い声を、久しぶりに聞いた気がします。」

と嬉しそうに仰って下さったことが、私自身も本当に嬉しかったことを思い出します。


その後、2月の学年末テストで、70点をたたき出しました。(笑)

テストの後に、テスト問題を一緒に解いていきましたが、殆ど自力で解けました。

落ち着いて計算ミスに気をつけてさせていければ、90点以上も取れたテストでした。



これが、本人のやる気を引き出してくれました。

「やったらキチンと結果が出てきた。」ということ。

「やり方は、間違っていなかった」ということ。

その後は、「不安で一杯だった」という入試も、キチンとクリアしてくれました。
今は、その志望校の高校生です。


合格が決まった後の授業で、その子がこんなことを言ってくれたことがあります。



「もし、あの時、
センセに出会っていなかったらと思うと、
ちょっとゾッとします。」



「あのさ、
『求めよ、さらば与えられん』
という言葉を知ってる?」


「ええ、一応。」


「OK。
その気持ちを大事にね。

それが十分に分かったら、今度は、
『自分が求める前に、実はもう与えられている』
ということに気づくから。」



「はい・・・。今は意味が分かりませんけど。」



「うん、それでいいよ。そのうち分かるから。」



「はい。」




究極的には『遅いこと』はありません。
それは、人生のいつのタイミングであったとしても、です。


ただ、「目的」に合わせて、必要な時期というのはあると思います。

中学入試を受けるなら、中学生になって勉強しても間に合いません。



しかし、それは「人生の枝葉」です。

別に、中学入試に合格するために、生まれてきたわけではありませんから。(笑)


全てのことが「人生の目的」につながっています。


そしてそれは、

「(感動を)味わう」

ということに収斂されるのです。

2011/01/09 17:08 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

あけましておめでとうございます。

みなさま、

「あけまして おめでとう ございます」

旧年中は色々とお世話になり、本当にありがとうございました。


今年も「勉強の楽しさ・大切さ」を生徒一人一人に感じてもらえるように
しっかりと精進して参りたいと思います。


今年の正月は、自分の実家、奥さんの実家にはしごで泊まらせてもらい、
しっかりと休養することもできました!(笑)

子供たち、甥っ子、姪っ子たちとも汗をかくほど
一緒に遊ぶこともでき、心も身体もリフレッシュ!

充電完了っ! です。

塾は1月5日(水)から自習用に開けますが、
今から待ちきれないですね~!(笑)


「仕事をするのが待ちきれない」
なんて、良い仕事だな~と思います。


さて、今年もしっかりと頑張って参ります!!

宜しくお願い致します。

2011/01/02 22:09 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

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