スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

--/--/-- --:-- | スポンサー広告  TOP

スティーブ・ジョブズさんのスピーチ 【2】

PART 5. ABOUT DEATH




3つ目は、死に関するお話です。


私は17の時、こんなような言葉をどこかで読みました。
確かこうです。



「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。


そうすればいずれ必ず、
間違いなくその通りになる日がくるだろう。」


それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。

そしてそれから現在に至るまで33年間、
私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。


「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、
今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」


それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、
そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。


自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。


これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、
決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。


何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…
外部からの期待の全て、
己のプライドの全て、
屈辱や挫折に対する恐怖の全て…
こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、
きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。


そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。

自分もいつかは死ぬ。

そのことを思い起こせば
自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、
これは私の知る限り最善の防御策です。


君たちはもう素っ裸なんです。

自分の心の赴くまま生きてならない理由など、
本当は何一つないのです。



              
PART 6. DIAGNOSED WITH CANCER




今から1年ほど前、私は癌と診断されました。

朝の7時半にスキャンを受けたところ、
私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。

私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。


医師たちは私に言いました。

これは治療不能な癌の種別である。
ほぼ断定していいと。

生きて3ヶ月から6ヶ月、
それ以上の寿命は望めないだろう、と。

主治医は家に帰って仕事を片付けるよう、私に助言しました。

これは医師の世界では
「死に支度をしろ」
という意味のコード(符牒)です。


それはつまり、
子どもたちに今後10年の間に言っておきたいことがあるのなら、
思いつく限り全て、
なんとか今のうちに伝えておけ、ということです。

たった数ヶ月でね。


それはつまり
自分の家族がなるべく楽な気持ちで対処できるよう
万事しっかりケリをつけろ、ということです。


それはつまり、「さよなら」を告げる、ということです・・・。


私はその診断結果を丸1日抱えて過ごしました。




そしてその日の夕方遅く、
バイオプシー(生検)を受け、
喉から内視鏡を突っ込んで中を診てもらったんですね。


内視鏡は胃を通って腸内に入り、
そこから医師たちはすい臓に針で穴を開け
腫瘍の細胞を幾つか採取しました。

私は鎮静剤を服用していたのでよく分からなかったんですが、
その場に立ち会った妻から後で聞いた話によると、
顕微鏡を覗いた医師が私の細胞を見た途端、
急に泣き出したんだそうです。


何故ならそれは、
すい臓癌としては極めて稀な形状の腫瘍で、
手術で直せる、そう分かったからなんです。


こうして私は手術を受け、
ありがたいことに今も元気です。

これは私がこれまで生きてきた中で最も、
死に際に近づいた経験ということになります。

この先何十年かは、
これ以上近い経験はないものと願いたいですけどね。(笑)



以前の私にとって死は、
意識すると役に立つことは立つんだけど、
純粋に頭の中の概念に過ぎませんでした。


でも、あれを経験した今だから、
前より多少は確信を持って君たちに言えることなんだけど、
誰も死にたい人なんていないんだよね。(笑)



天国に行きたいと願う人ですら、
まさかそこに行くために死にたいとは思わない。(笑)



にも関わらず死は、我々みんなが共有する終着点なんだ。



かつてそこから逃れられた人は誰一人としていない。

そしてそれは、そうあるべきことだら、
そういうことになっているんですよ。



何故かと言うなら、
死はおそらく生が生んだ唯一無比の、
最高の発明品だからです。

それは生のチェンジエージェント、
要するに古きものを一掃して新しきものに道筋を作っていく働きのあるものなんです。



今この瞬間、
新しきものと言ったら、
それは他ならぬ君たちのことだ。

しかしいつか遠くない将来、
その君たちもだんだん古きものになっていって一掃される日が来る。

とてもドラマチックな言い方で悪いのですが、
でもそれが紛れもない真実なんです。




君たちの時間は限られている。

だから自分以外の他の誰かの人生を生きて
無駄にする暇なんかないのです。



ドグマという罠に、絡め取られてはいけない。

それは他の人たちの考え方が生んだ結果とともに
生きていくということだからね。


その他大勢の意見の雑音に
自分の内なる声、心、直感を掻き消されないことです。

自分の内なる声、心、直感というのは、
どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、
もうとっくの昔に知っているんだ。



だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。




PART 7. STAY HUNGRY, STAY FOOLISH




私が若い頃、

"The Whole Earth Catalogue(全地球カタログ)"

というとんでもない出版物があって、
同世代の間ではバイブルの一つになっていました。


それはスチュアート・ブランドという男が、
ここからそう遠くないメンローパークで製作したもので、
彼の詩的なタッチが誌面を実に生き生きしたものに仕上げていました。


時代は60年代後半。
パソコンやデスクトップ印刷がまだ普及する前の話ですから、
媒体は全てタイプライターとはさみ、
ポラロイドカメラで作っていた。

だけど、それはまるでグーグルが出る35年前の時代に遡って出された
グーグルのペーパーバック版とも言うべきもので、
理想に輝き、使えるツールと偉大な概念が
それこそページの端から溢れ返っている、
そんな印刷物でした。



スチュアートと彼のチームは
この”The Whole Earth Catalogue”の発行を何度か重ね、
コースを一通り走り切ってしまうと最終号を出した。

それが70年代半ば。
私はちょうど今の君たちと同じ年頃でした。




最終号の背表紙には、まだ朝早い田舎道の写真が1枚ありました。

君が冒険の好きなタイプなら、ヒッチハイクの途中で一度は出会うだろう。
そんな田舎道の写真です。

写真の下にはこんな言葉が書かれていました。



「Stay hungry, stay foolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ)」。



それが断筆する彼らが最後に残した、
お別れのメッセージでした。


「Stay hungry, stay foolish.」


それからというもの、
私は常に自分自身そうありたいと願い続けてきた。

そして今、卒業して新たな人生に踏み出す君たちに、
それを願って止みません。



Stay hungry, stay foolish.


ご清聴ありがとうございました。




the Stanford University Commencement address by Steve Jobs CEO, Apple Computer CEO, Pixar Animation Studios
翻訳:市村佐登美さん





youtube版はこちらです。
とても美しい「言霊(ことたま)」だと思います。














ハングリーとは、空腹をさす言葉ですが、心の空腹もありますよね。

世界の三分の二の人々は前者で苦しめられていますが、
今、日本で切実なのは、後者の方でしょう。

年間3万人以上の方が、その「空腹」を満たす事ができず、飢えて死んでいかれます。
そう、「自殺」です。



心の飢えは、身体の飢えと同じようには解消できません。


身体の飢えは、何かを胃袋に入れることで解消できます。

しかし、心の飢えは、何かを他人に与えることで解消できることだからです。



何かを与えると言っても、モノではありません。
そこに込められた心です。

与えるという行為を通じて、自分が持っていることを知ることができます。
誰も、自分が持っていないものは与えられないのです。

そして、自分が持っていることを知ることで、心が豊かになっていくと、
飢えが解消されていきます。


「馬鹿でありなさい」

とは、小ズルく立ち回って、計算高く先回りしないこと。
ゴチャゴチャ理屈を言ってないで、すばやく行動すること。

その大切さを言っているように思います。



卒業という終わりがあることで、その時間を大切に思える。
人生も「死」という終わりがあることで、この一瞬を大切に思える。

節目とは、そういうことを思い出させてくれる時期なのでしょうね。

そして、1日の終わりに、睡眠という「死」を迎えるのであれば、
私たちは、もっと1日1日を大切に生きるべきなのかも知れませんね。


頑張りたいと思います。

スポンサーサイト

2010/10/20 16:05 | 未分類COMMENT(2)TRACKBACK(0)  TOP

スティーブ・ジョブズさんのスピーチ

みなさま、こんにちは。


さてさて、折に触れて思い出したい言葉があります。


私にとっては、こちらのスティーブ・ジョブズさんの
スピーチでしょうか。


これは、ご存知アップルの創始者:スティーブ・ジョブズさんが
スタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチです。


非常に有名になったスピーチですので、
ご存知の方も多いと思いますが、内容は以下のような感じです。





PART 1. BIRTH



ありがとう。

世界有数の最高学府を卒業される皆さんと、
本日こうして晴れの門出に同席でき大変光栄です。

実を言うと私は大学を出たことがないので、
これが今までで最も大学卒業に近い経験ということになります。


本日は皆さんに私自身の人生から得たストーリーを3つ紹介します。

それだけです。

どうってことないですよね?

たった3つです。



最初の話は、『点と点を繋ぐ』というお話です。



 私はリード大学を半年で退学しました。

が、本当にやめてしまうまで、
18ヶ月かそこらはまだ大学に居残って授業を聴講していました。

じゃあ、なぜ辞めたんだ?ということになるんですけども、
それは私が生まれる前の話に遡ります。


私の生みの母親は若い未婚の院生で、
私のことは生まれたらすぐ養子に出すと決めていました。

育ての親は大卒でなくては、そう彼女は固く思い定めていたので、
ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることで手筈はすべて整っていたんですね。



ところがいざ私がポンと出てしまうと最後のギリギリの土壇場になって、
やっぱり女の子が欲しいということになってしまった。

で、養子縁組待ちのリストに名前が載っていた今の両親のところに
夜も遅い時間に電話が行ったんです。

「予定外の男の赤ちゃんが生まれてしまったんですけど、欲しいですか?」

彼らは「もちろん」と答えました。


しかし、これは生みの母親も後で知ったことなんですが、
二人のうち母親の方は大学なんか一度だって出ていないし、
父親に至っては高校もロクに出ていないわけです。


そうと知った生みの母親は、養子縁組の最終書類にサインを拒みました。

そうして何ヶ月かが経って、今の親が将来私を大学に行かせると約束したので、
さすがの母親も態度を和らげた、といういきさつがありました。





PART 2. COLLEGE DROP-OUT


こうして私の人生はスタートしました。

やがて17年後、私は本当に大学に入るわけなんだけど、
何も考えずにスタンフォード並みに学費の高いカレッジを
選んでしまったもんだから(笑)、労働者階級の親の稼ぎは
すべて大学の学費に消えていくんですね。


そうして6ヶ月も過ぎた頃には、
私はもうそこに何の価値も見出せなくなっていた。

自分が人生で何がやりたいのか私には全く分からなかったし、
それを見つける手助けをどう大学がしてくれるのかも全く分からない。

なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を残らず使い果たしている。

だから退学を決めたのです。

全てのことはうまく行くと信じてね。




そりゃ当時はかなり怖かったですよ。

ただ、今こうして振り返ってみると、
あれは人生最良の決断だったと思えます。

なぜなら、退学した瞬間から興味のない必修科目は
もう採る必要がないから、そういうのは止めてしまって、
その分もっともっと面白そうなクラスを聴講しにいけるんですからね。


夢物語とは無縁の暮らしでした。

寮に自分の持ち部屋がないから、
夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、
コーラの瓶を店に返すと5セント玉がもらえるんだけど、
あれを貯めて食費に充てたりしましたよ。


日曜の夜はいつも7マイル(11.2km)歩いて街を抜けると、
ハーレクリシュナ寺院でやっとまともなメシにありつける、
これが無茶苦茶旨くてね。あれは良かった。(笑)


しかし、こうして自分の興味と直感の赴くまま当時身につけたことの多くは、
あとになって値札がつけられないぐらい価値のあるものだって分かってきたのです。

ひとつ具体的な話をしてみましょう。




PART 3. CONNECTING DOTS



リード大学は、当時としてはおそらく
国内最高水準のカリグラフィ教育を提供する大学でした。


キャンパスのそれこそ至るところ、
ポスター1枚から戸棚のひとつひとつに貼るラベルの1枚1枚まで
美しい手書きのカリグラフィ(飾り文字)が施されていました。


私は退学した身。

もう普通のクラスには出なくていい。

そこでとりあえずカリグラフィのクラスを採って、
どうやったらそれができるのか勉強してみることに決めたんです。


セリフをやってサンセリフの書体もやって、
あとは活字の組み合わせに応じて字間を調整する手法を学んだり、
素晴らしいフォントを実現するためには何が必要かを学んだり。

それは美しく、歴史があり、科学では判別できない微妙なアートの要素を持つ世界で、
いざ始めてみると私はすっかり夢中になってしまったんですね。


こういったことは、どれも生きていく上で何ら実践の役に立ちそうのないものばかりです。
だけど、それから10年経って最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する段になって、
この時の経験が丸ごと私の中に蘇ってきたんですね。


で、僕たちはその全てをマックの設計に組み込んだ。

そう、そうして完成したのは、
美しいフォント機能を備えた世界初のコンピュータでした。


もし私が大学であのコースひとつ寄り道していなかったら、
マックには複数書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、
ウィンドウズはマックの単なるパクりに過ぎないので(笑・拍手)、
パソコン全体で見回してもそうした機能を備えたパソコンは地上に
1台として存在しなかったことになります。



もし私がドロップアウト(退学)していなかったら、
あのカリグラフィのクラスにはドロップイン(寄り道)していなかった。(笑・拍手)


そして、パソコンには今あるような素晴らしいフォントが搭載されていなかった。

もちろん大学にいた頃の私には、
まだそんな先々のことまで読んで点と点を繋げてみることなんてできませんでした。

だけど10年後振り返ってみると、これほどハッキリと見えることもないわけです。



そこなんですよ。



もう一度言います。



『未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない。



君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。』




だからこそ、バラバラの点であっても
将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。



自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じること。

点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく。

そう信じることで君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくことができる。

結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。

信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。




PART 4. FIRED FROM APPLE




2番目の話は、愛と敗北にまつわるお話です。


私は幸運でした。

自分が何をしたいのか、
人生の早い段階で見つけることができた。


実家のガレージでウォズとアップルを始めたのは、
私が二十歳の時でした。

がむしゃらに働いて10年後、アップルはガレージの
我々たった二人の会社から、従業員4千人以上の20億ドル企業になりました。


そうして自分たちが出しうる最高の作品、
マッキントッシュを発表してたった1年後、
30回目の誕生日を迎えたその矢先に私は会社を
クビになったんです。


「自分が始めた会社だろ?」

「どうしたらクビになるんだ?」

と思われるかもしれませんが、要するにこういうことです。



アップルが大きくなったので、
私の右腕として会社を動かせる非常に有能な人間を雇った。
そして最初の1年かそこらはうまく行った。


けど互いの将来ビジョンにやがて亀裂が生じ始め、
最後は物別れに終わってしまった。

いざ決裂する段階になって取締役会議が彼に味方したので、
齢30にして会社を追い出されたと、そういうことです。

しかも私が会社を放逐されたことは当時大分騒がれたので、
世の中の誰もが知っていた。



自分が社会人生命の全てをかけて打ち込んできたものが消えたんですから、
私はもうズタズタでした。


数ヶ月はどうしたらいいのか本当に分からなかった。


自分のせいで前の世代から受け継いだ起業家たちの業績が地に落ちた。
自分は自分に渡されたバトンを落としてしまったんだ。

そう感じました。

このように最悪のかたちで全てを台無しにしてしまったことを詫びようと、
デイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスにも会いました。

知る人ぞ知る著名な落伍者となったことで、
一時はシリコンヴァレーを離れることも考えたほどです。


ところが、そうこうしているうちに少しずつ私の中で何かが見え始めてきたんです。

私はまだ自分のやった仕事が好きでした。

アップルでのイザコザはその気持ちをいささかも変えなかった。
振られても、まだ好きなんですね。

だからもう一度、一から出直してみることに決めたんです。


その時は分からなかったのですが、
やがてアップルをクビになったことは、自分の人生最良の出来事だったのだ、
ということが分かってきました。

成功者であることの重み、
それがビギナーであることの軽さに代わった。

そして、あらゆる物事に対して前ほど自信も持てなくなった代わりに、
自由になれたことで私はまた一つ、
自分の人生で最もクリエイティブな時代の絶頂期に足を踏み出すことができたんですね。


それに続く5年のうちに、私はNeXTという会社を始め、
ピクサーという会社を作り、
素晴らしい女性と恋に落ち、
彼女は私の妻になりました。

ピクサーはやがてコンピュータ・アニメーションによる
世界初の映画「トイ・ストーリー」を創り、
今では世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。


思いがけない方向に物事が運び、
NeXTはアップルが買収し、
私はアップルに復帰。

NeXTで開発した技術は現在アップルが進める企業再生努力の中心にあります。
ロレーヌと私は一緒に素晴らしい家庭を築いてきました。


アップルをクビになっていなかったら、
こうした事は何ひとつ起こらなかった。

私にはそう断言できます。


そりゃひどい味の薬でしたよ。

でも患者にはそれが必要なんでしょうね。




人生には時としてレンガで頭をぶん殴られるようなひどいことも起こるものなのです。

だけど、信念を放り投げちゃいけない。



私が挫けずにやってこれたのはただ一つ。

自分のやっている仕事が好きだという、
その気持ちがあったからです。



皆さんも自分がやって好きなことを見つけなきゃいけない。


それは仕事も恋愛も根本は同じで、
君たちもこれから仕事が人生の大きなパートを占めていくだろうけど
自分が本当に心の底から満足を得たいなら進む道はただ一つ。

自分が素晴しいと信じる仕事をやる、それしかない。

そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら進むべき道はただ一つ。

好きなことを仕事にすることなんですね。

まだ見つかってないなら探し続ければいい。
落ち着いてしまっちゃ駄目です。




心の問題と一緒でそういうのは見つかるとすぐピンとくるものだし、
素晴らしい恋愛と同じで年を重ねるごとにどんどんどんどん良くなっていく。


だから探し続けること。

落ち着いてしまってはいけないのです。


【2】に続く

2010/10/18 16:02 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

無駄な努力???

みなさま、こんにちは。


さて、先日の小6のYさんの授業。
いつも楽しく絵を描いて、算数の問題を考えている子です。


前行っていた塾では、先生にせかされて問題を解いていたので、結局、


「できるようにはなったかもしれないけど、
何をやっているのか分かんなかった。」

そうです。


そういう子、実は結構多いんじゃないかなと思います。
子どもには、時間が必要です。


たっぷりと時間を用意して、
自分が納得いくまで「遊ばしておく」と、
自分が納得するまで「あーでもない」「こーでもない」
と悩んでくれます(=遊んでくれます)。

その時間が大切なのでしょうね。


昨日、Yちゃんが取り組んでいた問題は、こちら。


『カタツムリ学園では毎年1月1日の朝6:00から木登り競争をします。

今年は、18mの木登りをします。

ムーリー君は1cm進むのに2分、ローリー君は3cm進むのに5分かかります。

では、最初にゴールするのはどちらで、

どれくらい早くゴールして、

何月何日の何時何分にゴールするのか計算してみましょう。』





さて、Yちゃん、
「どうしよう?」
としばらく悩んでいましたが、おもむろに、
「センセ! ハサミとテープ貸してくれる?」
と聞いてきました。



「いいよ。あそこにあるから、自由に使ってごらん。」


「やったー!」


しばらく自分の席でゴニョゴニョと独り言を言いながら作業をしていたかと思うと、

「できた~!」

とこちらを見せてくれました。



dscn0922.jpg







何だか分かります?


そう、18メートルの木はさすがに作れませんでしたが、
その1/10スケールの180センチの木を作ってくれました!(笑)


そして、そこには、メモリが打ってあります。



dscn0923.jpg






そして、それを1つずつ数えながら、計算してくれていました。


そして、その計算の途中で、

「あ! そうか!
18メートルは、1800センチだから、
1センチ進むのに2分かかるということは、
1800の2倍の分(時間)にすれば良いんだ!

じゃあ、ローリー君は・・・。」


という発見もあったようです。



『普通の塾』の観点から言うと、
「なんて、マドロッコシイことをしてるの?
要領悪いし、時間もかかるじゃない!!!

1問でも沢山解かせた方が、保護者の費用対効果も高いんじゃないの?」
という声も聞こえてきそうです。


確かに、ごもっともです。笑


ですが、それをするのは、

『具象的思考から、抽象的思考に移行した後」だと思います。


少なくとも、小学生のとき、
或いは、「自分でちゃんと確かめたいとき」は、
具象的な、或いは具体的な物で確かめる必要があります。



また、そういう時間を過ごしていないと、
「考える」という土台が出来ていないまま、
「抽象思考」を強いることになりかねません。



このYちゃんも、今は、抽象思考に移行するための練習を積んでいる最中です。

私は、これを「無駄な努力」とは言えません。

絶対に必要な時間です。



Yちゃんは今までの「モヤモヤ」を晴らしたいと、一生懸命です。
(でも、とても楽しそうにしています)(笑)





親御さんがお子さんに

「優しい子になりなさい。」

とよく言っている風景をよく見ます。



或いは、

「人の気持ちが分かる子になりなさい。」

と言われていることもよく聞きます。





でも、そう言われた子どもは、

『優しくする』、

『人の気持ちが分かる』

とは、具体的にどういうことなのかわからないのです。


また、それに「親の期待」が入ると、余計にヤヤコシクなります。(笑)




「Aちゃん。
あそこでお金を落として拾うのに困っているおばあちゃんがいるよね?
お母さんちょっと荷物で両手がふさがっているから、
ちょっと行って、おばあさんのお金を拾うの、手伝ってくれるかな?」


そう具体的に指示してあげると、子どもは何を求められているか分かるので、
行動に移せます。


そして、そうすることで、きっとおばあさんから、

「ありがとうね~!」

という言葉と温かい笑顔も頂けるでしょう。



そうすれば、子どもも嬉しい気持ちになります。


そのときに、

「Aちゃん、ありがとうね。
お母さんも嬉しかったわ~。

今、Aちゃんはとっても気持ちが良いでしょ?

人に『ありがとう』って言ってもらったら、
とっても気持ちが良いよね?

そういう、誰かのお役に立てることで、
自分が良い気持ちになれることを
『優しくする』っていうんだよ。


自分だけが良い気持ちになるんじゃないよ。

それに、相手だけが良い気持ちになるんでもないよ。

2人ともだよ。

いい?


今度、お母さんが、『優しくしてあげてね』って言ったら、

相手の人が、どうやったら喜んでくれるかな? 

『ありがとう』って言ってくれるかな?

そして、どうやったら自分が嬉しい気持ちになるかな?

って、考えて行動してごらん。

分からなかったら、お母さんやお父さんに聞いてもいいからね。」



等と、ちょっと話をすることで、
子ども達は「優しい」とはどういうことかを理解していくのだと思います。


もちろん、1回で全てを理解するとは思えませんので、
繰り返し伝えていく必要はあるでしょうね。(笑)



「ありがとう」ということ。

感謝するということ。


時々、
「人は最終的に感謝するために生まれてきたのではないでしょうか」
という方がいらっしゃいますが、
私は、感謝が目的で生きているとは思いません。



もちろん、非常に大きな意味では「目的」かもしれません。


私は、感謝とは、人間の心(=たましい)の本質なのだと思います。

ただ、それを思い出した、ということ。


つまり、感謝とは、原因であり目的であるということ。




感謝するとき、人は喜びます。

そして、感謝するときは、
誰かや何かとの「つながり」が分かったときです。


その「いのちの源泉」を確認したとき、
人は「感謝」と呼ばれる感情を思い出すのだと思うのです。


具体的な「つながり」が、実感できたときに、
「感謝」という抽象思考が発生する。


そういう意味では、本当の学力とは、
そのまま生きる力を育むことになるのだと思います。

2010/10/11 16:56 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

円の面積を求める

みなさま、こんにちは。

昨日、中学2年の生徒から質問がありました。

「センセ、何で円の面積って、πr^2(パイアールの2乗)なん?」


「あれ? 小学校で理屈まで教わってないの?」


「ううん。なんか覚えてないけど、いつの間にか覚えさせられたって感じ?」


「あ~、そっか。
まぁ、いいや。

あのね、まず、円があります。

(ホワイトボードに円を描く)

はい。
ノートにも描いてよ。OK?


それでね、え~、どうしよっかな。
じゃぁ、ケーキを切るみたいに、8つに切ってみようか。


切れた?
そうそう。


で、その円を上半分と、下半分に分けるよ。
そう、上の半円で扇形4つ、下の半円で扇形4つだね。

それをね、ギザギザの歯みたいに開いてみようか。
そう、小学生が描く『怖い人』の歯みたいな感じな。(笑)

円の中心だったところから、開いてみて。

どう、三角形が上下4つずつ並んだみたいになった?


▽▽▽▽
△△△△


で、この上下の扇形を近づけて合体させます。

どうなるでしょう?」


「え~、あ、平行四辺形みたいになる!」



「そうそう。
でも、もともとその扇形の上の頂点って、円の中心だったでしょ?
で、下の所は、弧だったでしょ?

ということは、上から下に、真っ直ぐ切ったら、その長さって何かわかる?」


「え、半径でしょ?」


「お~!そうそう!(笑)
で、切った分を、反対側に持ってきてくっ付けると?」


「あ、長方形になった!」





「ね!(笑)
ということは、今、8つに切ったけど、これを無限個に切っていって、同じようなことをしていったら、限りなくキレイな長方形になると思わない?」


「あ~、そうか。
え? じゃあ、結局、面積って『たて×横』ってこと?」


「そうよ。
まず、「たて」にあたるのは?」


「半径。
え、でも、横は?」


「横はね、円周率ってあったじゃない? 覚えてる? そうそうπね。
円周の長さは、直径の約3.14倍ってやつね。

はい。
円周の長さは、直径の3.14倍です。
いいですか?

今使った、長方形の横は、円のどの長さと大体同じ?」



「え~、どこだっけ?
あ、まず円を半分にして~、ってことだから、結局半円の弧の長さかな?」



「そうそう。
ということは?」


「ということは? って笑顔で言われても・・・。(笑)


あ! 
円の円周全部が、直径の3.14倍ということは、
半円だったら、直径の半分、だから半径の3.14倍でいいんじゃない!?」


「そうそう。
そしたら、もう分かったじゃん。」


「え?!
たては、「半径」
横は、「半径×3.14」

これをかけたら、長方形の面積だから、

半径×(半径×3.14)=r×(r×π)=r×r×π=πr^2(パイアールの2乗)

ああぁあああ!!
そういうことだったのね~~~ぇっ!」


「ふふふ。(笑)
どう、わかった?」


「ああぁあ、わかった! わかった!!
すげー、センセ、ありがとう!」


「どういたしまして!
また、質問おいでね!」



良い笑顔でした!

こういう笑顔が、塾の先生としてはご馳走ですね。(笑)

2010/10/04 22:20 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

 | BLOG TOP | 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。