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「調和」

調和。


それはきっと、「心がつながっている」と実感したときに生まれるのだろう。


もっと正確に言うと、

「ボク等はもともと1つだった」

ということを思い出すことができたときに、覚える(思い出す)感動なのだと思う。



調和とは、決して「同じ」ということではない。

オーケストラは、様々な楽器があって、ハーモニーを奏でるように、
人の顔はみんな違っているから良いように、
指は、長さや力の入り具合が違うから良いように、
木々の葉は、バラバラにあるから、みんなに光があたるように、

それぞれが「違う」ということを活かしあうことが、「調和」なのだと思う。

それぞれが、持って生まれた「個性」なのだ。



しかし、ボク等は根っこでつながっている。

それを「たましい」と呼んでも良いし、
「潜在意識」と呼んでも良いし、
「超自我」と呼んでも良いし、それは構わない。


ただ、ボク等が「つながっている」ということで「感動」をするためには、

「つながっていない」という経験を通してでしか、

「つながっている」ということを経験することができない。


空気のない水に潜ったときに、空気の大切さを実感するように、
水のない砂漠の真ん中で、水の大切さを知るように、
ある人を失って、その人の有難さを感じるように、

「ある」ことの大切を感じるためには、
「ない」という経験を通じてでないと感じにくい。


当たり前であることが、
当たり前でないということに気づいたとき、
人は人生の有難さを知る。


それを改めて「経験」することができたとき、
人は「感動」するのだと思う。





たとえば、こんな話がある。




新聞配達の少年


たまたま早起きしてしまったので、老人は早朝のすがすがしい空気を深呼吸しようと思い、明るくなりかけの外に出てみた。

するとちょうど、新聞配達の少年が自転車でやってくるところだった。

普段は新聞受けから受け取る新聞は、あの少年が届けてくれていたのかと思い、老人はちょっと感慨深くなった。
老人は少年に、「おはよう」と声をかけて、新聞を受け取った。


 しかし少年は、会釈を返しただけで、あいさつもせずに行ってしまった。

「あいさつをしたのに、あいさつを返さないとは、家庭でのしつけができていないのではないか?」

と思ったが、

「今日はたまたま、初めてあいさつされたので、とまどったのかもしれない。よし、もう一度試してあげよう。」

そう思い、老人は翌朝も早起きして少年を待った。
       


 まだ薄暗い道路を少年は自転車でやってきた。

老人は大きな声で「おはよう!」とあいさつした。
しかし少年はまた、会釈しただけで、何も言わずに行ってしまった。
       


「余計なお世話かもしれないが、あの子の将来のために、あいさつの大切さを今のうちにちゃんと教えてあげなければいけない。」

そう思い、老人は新聞配達所を訪ねた。
その老人の話を聞いてうなずきながら、所長は言った。

「ああ、あの少年のことですね」

笑顔の中に、ちょっと悲しげな表情を浮かべて、所長は話を続けた。



「あの子は、耳が聞こえないし、話すこともできないんですよ」




驚く老人に、所長はさらに話を続ける。



「あの子はお母さんとの二人暮らしなんです。

暮らしもたいへんなようでしてね。
だから新聞配達で、暮らしを助けているんですよ。
それに学費も、新聞の奨学金でがんばっているそうです。
耳と口に障害はあるけど、懸命に生きている。

あんなりっぱな子供は、めったにいませんよ」



そう言うと、所長はハンカチで目をぬぐった。
老人はあまりのショックにその場から動けなかった。
       




老人は、翌日も早起きした。

明るくなりかけの道を、少年がやってきた。

少年が自転車を降りて新聞を手渡した時、老人は手に持っていた画用紙を、パッと少年に向けて差し出した。

そこには、

『おはよう○○くん、いつもありがとう』

と大きな字で書いてあった。

少年は溢れる涙を両手でぬぐいながら、何度も会釈した。

そして力強く自転車に飛び乗ると、次の配達先へと向かって行った。




この話は、「違いを理解する」ということの大切さを教えてくれる。


ボクは職場の昼休みにうっかりこの話を読んでしまって、
不覚にも皆の前で泣いてしまった。

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2010/05/25 09:24 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

戦争のリアリティー

みなさん、こんにちは。


世界的に、争いが噴出している時代になりました。

日本はまだ幸いなことに、その渦中にいませんが、
「其の日」は突然にやってくるかもしれません。

しかし、私たちは「それ」を自分で選ぶことができます。
未来を自分たちの手で選ぶことができます。


戦争をしたいと思う人はいないと私は信じたい。

もし、ほんの少しでも、破壊のカタルシスを感じたい、
そんな人には「富村順一さん」の手記を是非読んで欲しいと思う。

この話も、「わたしの出会ったこどもたち」に編集してある。
そこから、要約してみる。



富村さんは、1970年、東京タワーの特別展望台で包丁をかざし、
アメリカ人宣教師を人質に取り、
「日本人よ、沖縄のことに口を出すな。アメリカは沖縄から出て行け」
と叫んだ人だ。



この人の手記に、ボクは言葉を完全に失った。
(以降の書き込みは、ツライ言葉が続きます。)



富村さんの人生は沖縄の苦難を一身に背負っていた。

朝、学校に行くときイモを食べることができずに、
毎日おからを食べて学校に行ったという。

「人は楽しいことだけ想い出して話すと言いますが、
私は悲しいことだけを想い出します。」


主人が「犬に飯をやりなさい」と言って、よく豚や鳥の肉を渡してくれました。
私はよく犬のえさを盗み、ポケットに入れて持ち帰り、
妹たちと分けて食べたことを想い出します。


方言札に悩まされ、正門を通らずに裏門を通ったばかりに、
「なぜ正門を通り、天皇陛下の写真に最敬礼しないのか!」
と教師に殴られ、学校に行かなくなったのが、小学校3年生のときだった。




沖縄戦では、数々の悲劇に遭遇する。

食べている握り飯を日本兵に奪われたこともある。

スパイ容疑で日本軍に惨殺される小学校長を目の当たりにする。

泣き声を立てると米軍に発見される、
という理由で我が子を殺さなければならなかった母親の悲劇もまた目撃する。



地獄としか言いようのない修羅場だっただろう。

しかし、地獄はまだ続く。


沖縄に上陸した米軍は、沖縄の女性を見るなり、
「ライオン」「トラ」のごとく襲い掛かり、暴行したあげく、
父と娘を裸にして、「やれ」と言い、やらなければ、
竹ざおで、「インブ」と「インケイ」をつつき、楽しんでいた。




富村さんは、その光景を見、

「戦争はこわいものではなく、
かなしいものだと思うようになりました。」
と記す。



またある女性が、米兵に輪姦されているのを目撃する。

その後、その女性が教師になっているのを知るが、
同じ道でよく出会うのがつらく感じる。

それで、横道に逸れると、その女性も横道に逸れていて、
ばったりと顔を合わせてバツの悪い思いをしたという話もある。



富村さんが最初に刑務所に入ったのは、冤罪だ。

盗まれたカメラを取り戻しに行った現場で、一緒に行った友人が盗みを働く。
富村さんは共犯者にされるのだが、
取調べ中に拷問を受け、睾丸をつぶされてしまう。


富村さんは、このデッチあげに怒り、
左手の小指を叩き切って刑事に投げつける。



このような体験を通しながら、
富村さんは沖縄の置かれている位置と、
受けている差別を肌で感じていくのだが、

一番衝撃的だったのは、
そのあまりにも過酷な人生の事実に触れたからということではなく、
その過酷な「生」をくぐり抜けながら、
富村さんが驚くほどの「優しさ」を持ち続けているという点にある。



彼は、タワージャックを決行するとき、
チョコレートを30枚買い込んで持参している。


不特定多数の人間を人質に取る場合、
その中に子どもがいて、その子どもに恐怖を与えるのは、
まことに申し訳がない、という配慮からである。

(実際には、子どもは居なかった。
朝鮮の人は居た。
彼らもまた同じ差別を受けてきた人であるということで、
ただちに解放している。)




こんな話もある。

刑務所時代、
部落出身のある巡査が「豚の皮」と呼ばれて差別されていた。


富村さんは、そのことに抗議して、非常ベルを押す。

所長との直談判の末、
差別していた連中は他の交番に回されるのだが、
陰口を叩かれていたその巡査は、そのことを知らない。


「警部や部長に一筆取らせて、
寒い交番勤務にするとは、富村は本当に悪い奴だ。」

と繰り返し富村さんを叱った。



出所の日、人のいいその巡査は、
「富村、どこに行っても、人に嫌がられるようなことはするなよ。」
と言い、

「私の勤務時間にいつ非常ベルを押されるか、
と毎日心配していたが、今日からは大丈夫。」

と言って、富村さんの肩をポンと叩く。


富村さんは、その巡査の最後の言葉を想い出して、
ひとりで笑うことがあると述懐している。

「あの『豚の皮』の巡査、元気かな」と。




このユーモアに満ちた話はボクを感動させる。

人間の優しさが持つ、しなやかな誇りが、
どれほど人の人生を豊かにするかということだろうか。

美しい話である。


戦争のもつ「悲しみ」と、富村さんの持つ「優しさ」が、
光と影のように、お互いの性質を浮かび上がらせる。


これを読んで、まだ「戦争をしたい」という人がいるだろうか。

「戦争をしたい」という人は、
まず、自分の一番大切な人を自分が殺せるかどうか、考えてみるといい。



戦争は、それを現実にする。


もちろん、ボクは「良い兵士」にはなれそうもない・・・。

2010/05/22 23:54 | 未分類COMMENT(1)TRACKBACK(0)  TOP

孤独と優しさと

およそ「先生」という職業は、

「どれだけ人の悲しみが受け入れられるか」

ということだと思う。



灰谷健次郎さんの「わたしの出会った子どもたち」の中には、
こんな一説がある。


子どもの優しさや楽天性がストレートに通らない世界では、
親や教師が子どもの悲しみを共有するということによってのみ、
子どもたちの奥深くひめているものを引き出すことができるのではあるまいか。



そして、友人である鹿島和夫さんのクラスから生まれた
一つの作品を紹介している。

これは、小学1年生の「詩」だ。




がっこうから うちへかえったら
だれもおれへんねん


あたらしいおとうちゃんも
ぼくのおかあちゃんもにいちゃんも
それにあかちゃんも
みんなでていってしもうたんや


あかちゃんのおしめやら
おかあちゃんのふくやら
うちのにもつがなんもあれへん


ぼくだけほってひっこししてしもうたんや

ぼくだけほっとかれたんや


ばんにおばあちゃん かえってきた
おじいちゃんもかえってきた
おかあちゃんが
「たかしだけ おいとく」
と おばあちゃんにいうて でていったんやって


おかあちゃんがふくし(福祉事務所)からでたおかね
みんなもっていってしもうた

そやから ぼくのきゅうしょくのおかね
はらわれへんいうて
おばあちゃん ないとった
おじいちゃんもおこっとった


あたらしいおとうちゃん
ぼく きらいやねん
いっこもかわいがってくれへん
おにいちゃんだけ ケンタッキーへつれていって
フライドチキンたべさせるねん
ぼく つれていってくれへん


ぼく あかちゃん ようあそんだったんやで
だっこもしたった
おんぶもしたったんや
ぼくのかおみたら
じっきにわらうねんで

よみせでこうたカウンタックのおもちゃ
みせてくれいうねん
てにもたしたったら くちにいれるねん
あかんいうて とりあげたら
わあーんいうて なくねんで


きのうな
ひるごはんの ひゃくえんもうたやつもって
こうべデパートへあるいていったんや

パンかわんと
こうてつジーグのもけい こうてん

おなかすいたけどな
こんどあかちゃん かえってきたら
おもちゃ もたしたんねん
てにもってあるかしたろか おもとんねん

はよかえってけえへんかな
かえってきたら ええのにな



あおやま たかし



6歳の子どもが、両親に捨てられるということは、
想像を絶する絶望だろう。

その絶望の中にあって、
なお優しい人間であろうとするこの美しい人間を前にして、
わたしは言葉がない。


他人の孤独と正面から向き合えるとき、
その「添う」ところに共感が生まれると思う。



本当の優しさを発揮できる人は、
この孤独を胸を掻き毟る程の痛みを伴って共感できる人だけだろう。


もちろん、ボクは「全て」が判るとは言えない。


しかし、胸が押しつぶされそうな痛みを感じることはできる。



江原さんの自伝を読んだとき、
冬の最中に食べるものもなく、
ツケだれもなく素麺をすする美しいシーンがある。

そしてそんな中であってさえ、
こんな寒い日に、こんなヒモジイ思いをしている人が
自分以外にもいたら、
嫌だな。

と寒い冬の夜一人思いを巡らせている風景。


私はこのくだりを読んで、胸がつまった。
苦しくなった。

しかし、嫌な苦しさではなく、
苦しさの中に、暖かさを感じられる苦しさだった。


本当の孤独を知っている人は、強く、そして優しい。


親としては、胸を押し潰されるような痛みに耐えながら、
子どもに「それをさせること」も愛情なのかもしれない。

2010/05/20 23:32 | 未分類COMMENT(2)TRACKBACK(0)  TOP

集団の中で活かされる個ということ

教育の目的は『子どもの自立を助けること』である。

その自明のことを、教育に携わるものは
肝に銘じておかなければならないと思う。



一定の知識を子どもたちに詰め込み、
その結果が、子どもの全てであるとする世界は、人の関係を固定化する。

そこでは、教師も人間であるというごく当然のことが忘れ去られ、
教師は子どもたちの前に君臨し、管理の教育は一層強化されていく。

人間の社会でありながら、人の愛おしさとか、
共に学びあうことの楽しさとは毛頭なく、競争という非常さだけが支配する。


子どもたちに与えられた最初の組織的な自立の場がそのようなものだとすれば、
そして、子どもたちがそれに対して異議申し立てや批判することを許されないとすれば
(実際には非行とか登校拒否とかという形で子どもたちの反乱は起こっているのだけど)、
子どもたちにとって『教育の場』というものは、地獄に等しいもので、
そこはもう早くくぐり抜けたいだけの、何の希望も無い場所になる。


残念ながら、学校というものをそういう風に見ている、
或いは、感じている子はなんと多いのだろうか。


自立を果たすのは子どもたち自身であり、
教師はそれを助けるという関係を、
私達『教育者』は守らねばならない。


そして、それは思想とか、さしあたっての教育観からそうするのではなく、
いわば、その教育者の人間観から、そうせざるを得ないという必然が、
そういう教育を強いものにしているのだ。






かつて高槻市の小学校に勤めていた園田さんのクラスに江島くんという「障害児」がいた。
耳鼻科検診のとき、医者の態度に怯えて泣き出してしまう。

園田さんは次のように言う。

「……切ない瞬間でした。
限られた時間の中で大勢の子どもたちを診なければならない医者の大変さは
充分理解できます。
しかし、入り口から泣き続けていた江島くんの姿は、
お医者さんの目にも留まっていたはずでしょう。


ふだんは、耳が痛くても、鼻が痛くても、
自分で上手く表現できない江島くんなんです。

そんな彼にとって、今日のような個人検診は、
またとない機会なんです。


あの時、最初からお医者さんの方が椅子から立ち上がって、
一歩でも二歩でも江島くんに向かって歩んでくれていたら、
きっと事態は違っていたでしょう。

彼は、天井の扇風機をじっと見上げて得意になっていた時なのですから…。


ところが、そのお医者さんは、そうはせずに江島くんの腕をつかんで、
自分の方へ引き寄せた。




そこで江島くんは激しく泣き始めたのだ。



そして、そのお医者さんは吐き捨てるように言った。


『泣く子は診られない。』



それは事実と違う。

江島くんは泣いたんと違う。

お医者さん、あんたが泣かしたんや。



そう思うと、もう僕はいたたまれない気持ちになりました。




実は、このお医者さんと僕がオーバーラップしてしまったんです。



子どもの方に向かって歩む一歩を忘れて、
子どもを力づくで自分の下へ引き寄せてしまおうとする医師・教師。

……それが、子どもの前に立つプロのすることでしょうか!


僕もきっと、これまで気付かぬうちにこのようにして、

幾人もの子どもを胸の内で泣かせてきたんだろうって…。」






1週間後、学級写真を撮る。


カメラのフラッシュが焚かれたために、
江島くんは驚き、また激しく泣き出してしまう。

写真屋さんは駆けてきて、こう言った。


「先生。
大変ショックだったようですね。

この子のあごがガクンと上がりましたからねぇ。」


写真屋さんはしゃがみこんで、
江島くんとなにやら話を始める。

やがて機嫌が直った江島くんは、
みんなのところに戻るのだが、誰かが言い出して、

みんなで肩を組んで写真を撮ってもらったそうだ。




この2つの出来事に触れて、園田さんはこう言う。



「一人ひとりを診てもらうはずの個人検診で、
『泣く子は診られない』と言ったお医者さん。

学級の全員を写してもらう集合写真で、
『大変ショックだったようですね』と駆け寄ってくれた写真屋さん。


個人検診で『個』が大切にされず、
集団撮影で『個』が大事にされた今回の2つの出来事。


それは、江島くんから僕に贈られた貴重な示唆(しさ)なのだと思っている。




あの青年写真家は、集団写真を撮るときでも、
ファインダーをのぞきながら、
いつも一人ひとりの子どもたちを活かそうと
シャッターチャンスを狙っているのだろう、きっと。



集団が構成され、何かが始まろうとするとき、
ややもすれば、集団全体の利益や体裁というものが優先され、
しばしば個の存在がおろそかにされがちである。



しかし、これはまずい。


『集団の中でこそ、個が活かされる』


容易なことではないが、
この視点を忘れた集団活動は誤った集団主義と言わねばならない。」






例によって、園田さんのくだりは、前出の「優しさとしての教育」からの抜粋だ。
まさしく、ボクにとって、この本は「宝箱」のような一冊である。



現代ほど、個人の価値が高い時代もないと思う。

スポーツ界やビジネス業界などでも、
普通のサラリーマンが一生かかっても稼ぐことができないような金額を
1年で稼ぐ人も沢山いる。


しかし、その半面で年間3万人を超える自殺者がいるということは、
個人の価値をとても低いものと見ている、
見限っている時代もないだろう。


教室の中に40人の子どもたちがいれば、
40通りの個性があり、それぞれが異なった生命を持っている。


1つとして同じものはない。


ボクは「教育」と言うものに対して、
「教える」という一方的な立場は取りたくはないし、
「導く」程の「真理」はまだ会得していない。

まして、「しつける」という画一的な価値観を植えつけるのも
(社会的な最低点の礼儀は別として)、何か違和感を覚える。


飽くまで、「添う」ことを通して、一緒に生きていきたい。



「彼にはどのようにして添ってやれば良いのか」

「彼女にはどのようにして添ってやれば良いのか。」

と、40通りの添い方を考えなければならない。


それが、子どもたちに何かを教える者としての仕事だと思う。


勿論、自戒の念も充分に含んで書いている。

2010/05/18 23:20 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

誰か教えてください・・・

みなさま、こんにちは。

突然ですが、人間の脳の解明は、人間の科学だけでなく、
文化そのものを抜本的に変えうる力があると思います。


1975年、イギリスの麻薬研究グループが研究中に
「偶然」発見したといわれる「エンケファリン」。

これは豚の脳を研究中に、モルヒネを検出する薬品に
豚の脳が反応したことから始まると言われています。
簡単に言えば、彼らの「実験が下手だった」のでしょう。(笑)


しかし、このエンケファリンは鎮痛、快感作用を身体に及ぼし、
同様の物質も人間の脳から見つかった。

「βーエンドルフィン」である。

モルヒネに似た物質だが、モルヒネの約6.5倍の鎮痛・快感作用があると言われている。

そして、これを皮切りに、次々と「脳内麻薬」は発見されていった。
つまり、人間の快感というのは、脳が出した麻薬物質によるものだったのです。


中国のツボマッサージなども、脳内麻薬を出せるツボはあるらしい。

しかし、それは長時間の激痛を伴い、
その激痛を和らげるために脳内麻薬が分泌されるので、
どこまでそれを試そうとする人がいるのかは分かりません。


しかし、ディスコで踊っているうちに恍惚となってくるのも、
阿波踊りやリオのカーニバルで感じる快感も、
このエンドルフィンが脳のA-10神経という神経を刺激することによって
ひき起こされているようです。


ヨガの行者や、修験者が覚える宗教的な恍惚も、
同様の作用からの賜物によるのかもしれません。


辛い肉体的な単純作業によって、苦痛を麻痺させるために、
脳がこういった脳内麻薬を分泌するのであれば、
とても奇妙な疑問が湧き上がる。



例えば、麻薬漬けの人は「堕落した人間」の象徴のように言われているが、
一方、修行などで宗教的な至高体験をした人(神を見た、など)は、聖人と敬われる。


しかし、大脳生理学からの見地で言えば、
両者の脳内で起こっている現象は「同じ」と言える。

麻薬物質が快感神経を刺激したことによって起こる「恍惚感」である。

違いといえば、それが「体内」で生産されたものか、
或いは、「体外」から摂取したものか、があるだけだ。



すると、そこの「差」も所謂「モラル」で考えるとよく分からないことになる。


ヘロインのような麻薬は「悪」の象徴として、
今も法の規制範囲内に位置しているが、
化学物質としてはとても良く似た分子構造を持つエンドルフィンは
法律の範囲外にある「善」なのだろうか。

将来的に、人のエンドルフィンが精製された場合、
その「麻薬」はどうなるのでしょうか。



体外から摂取する快感物質は「悪」という定義が成り立つかもしれない。
物質自体には「善」も「悪」もないからだ。

しかし、そう定義すると人が摂取する「快感をもたらす物質」は
全て「悪」の範囲にカテゴリーされることになる。

コーヒーもタバコもお酒もチョコレートも、
殆どありとあらゆる料理の全部が「悪」ということになるだろう。
人に必要な「栄養素」だけの食事のみが「善」として許されるのかもしれない。


更に、働くことも寝ることも遊ぶことも、
結果的にそこから発生する快楽を目的として行動しているのだから、
その快楽原則を全面的に否定することは、殆ど不可能だろう。

また、それを否定した「禁欲生活」をおくったとしても、
禁欲によって生じる満足感は、これもまた脳内麻薬が原因で起こっている。


もうこうなってくると永遠の「ニワトリ・タマゴ論」だろう。

ここまで読んで、ボクが「麻薬」を賛成の立場でとられることは、
とても心外です。

ボクは全く、麻薬をやろうとも思わないし、正しいとも思いません。


なぜなら、麻薬を認めてしまったら、
その先にあるのは確実に「人類の滅亡」であるからです。


働くという行為も、
そこから発生する対価に応じた生命の維持を目的にしているけれど、
そこに今は、出世欲などの自己顕示欲や、
他人が喜んでくれるような行為をしたいなどの自己充足感をからめている。

しかし、そういった「報酬的快感」をもっと純粋に、
お手軽に味わえるとしたら、
不安や苦痛もなく、心の隅々まで満ち足りた喜びだけが、
化学的に合成された「脳内麻薬」で味わえるとしたら、
誰が働きたい、と思うだろうか。


或いは、セックスによる快感も、脳内麻薬で純粋に、
そしてもっと強力に味わえるとしたら、誰がセックスをしたいと思うだろうか。

そうなれば、子どももいなくなり、国も何も100年ほどで滅んでしまうだろう。


科学が発達していくことと比例して、
人間の「種」としての維持と、
個人の快楽志向本能との壮絶なせめぎ合いの時代は、
もうそこまで来ていると思います。


私は今、江原さんをはじめとした色々な思想を勉強していますが、
「実践」ということは、
いかに自分の「人間」としての尊厳を失わずに、
「人間」として人生をおくれるかという意味を見出していかないと、
簡単に自らを滅ぼしかねないと思うのです。

2010/05/16 17:27 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

カテイの大切さ

わざわざ、カテイとカタカナにしたのは、ちゃんと意味があります。

1つは、「過程」。
もう1つは「家庭」です。
「仮定」は、科学を躍進させるのにも大切ですけどね。(笑)


『ビジネス発想源』という、素晴らしいメルマガがあります。


過去ログが公開されていないので、登録した日からのものしか見れないのですが、1408回目のメルマガに、過程の大切さが書かれてあります。


それは、著者の弘中 勝さんが塾講師として働いておられた頃、主に中学生に授業をしていると、「体験させることの大切さ」をつくづく感じた、ということです。


まずは「やり方」を教えずに、問題に当たらせる。
しかし、解法を知らないので、じきに行き詰る。
そこで、やっと解法を説明する。

そうすることで、解法の重要性を知る、という感じだそうです。

そういう「回りくどさ」が大切であると。



しかし、実際には、そういう「回りくどさ」を体験する事を面倒臭がり、
「やり方があるんなら、早く教えてくれ。」
という大人が多いことに、弘中さんご自身が辟易とされているそうです。


でも、これがある意味で、皮肉にも現在の教育の「成功」パターンなのではないかと思います。

つまり、
「最小限の努力で、最大効果を出す」
ということを、今では本当に小さな子どもから、何の疑いもなく「教え込んで」いるのですから。


「答えが出れば、やり方なんてどうでも良いんじゃないの?」
この考え方で教育も捕らえているから、子どもがドンドン子どもでなくなっています。


子どもは「間違いを体験させ」なければなりません。

「間違い」というと悪い事のようですが、
そうではなく、ただ単にその問題には当てはまらなかった思考パターンを試してみた、というだけのことです。


だから、「早く解けた」ことには何のメリットもありません。
ゆっくりと、じっくりと、丁寧に考えることで、脳の中の色々な分野を刺激して、つながっていくことが何よりも大切なのです。

大きな運河を1本だけ作るよりも、網の目のような水路を沢山作ること。
その方が、広大な土地を肥沃にすることができます。


「過程が大事」とは、そういう意味です。



そして、それを可能にさせるのは、何よりも「家庭」です。


子どもは「親に愛されたい」その一心です。

たましいのレベルでは、病気や遺伝子を使ってまでも、それを体現しようとするそうです。

(つまり、生まれる前に、子どもがそれを選んでくるそうです。

最近、「子どもが親を選んで生まれてくるんですよね?」
と聞いてくるお母さんがとても多くなった」
と、岡山では大きな産婦人科の三宅医院の三宅先生が言われていました。


親が決めた「良い子」を演じる事は、愛情に飢えた子どもにとっては死活問題ですから、自分の内面を押さえつけてでもやります。

しかし、時が経つにつれ、押さえつけていたものが大量になり、いつしか押さえつけられなくなります。
「良い子が突然~」
という事故が起こるのは、この瞬間です。


しかも、それは、本当に些細なきっかけです。
でも、もうずっと我慢してきたことが水面下にあるのです。

薬でも、本当に髪の毛1本分ほどの量で、死ぬ事もある。
大きな風船が爆発するときも、
爆発直前の空気をほんの一息入れたからです。


つまり、きっかけなんてそのくらい些細なことです。


だから、きっかけがそれほど大切なことではありません。

むしろ、その奥に隠されたその子の思い、突き詰めれば「寂しさ」を共有してあげられなかったことが、問題になるのだと思います。


一昨年の9月の4日のニュースに、育児のネグレクトが原因で次男が亡くなった事件がありました。
母親は、6歳の長男に
「お前のせいだ。お前がちゃんとご飯をあげなかったからだ。」
と厳しく怒ったそうです。
(その母親は、付き合っていた男性のところに行っていて、10日ほど家を空けていたそうです。)

事件が発覚後、その長男はこう言ったといいます。
「ママは悪くない。ボクがちゃんと言われた通りにしなかったから・・・」

どんな母親であっても、その子にとっては、たった一人の母親です。
モチロン、この問題には、多くのことが関係してくると思います。

しかし大切なのは、どんな母親であれ、子どもにとっては愛情を求める存在なのだ、ということ。


昔、ウィーンに居た頃、何気なく街を散歩していたら、ホームレスの方でしょうか。
ボロボロの布をまとっていて、髪の毛が半分くらい抜け落ちていて、顔も一見「ギョッ」とするような風貌の女性が歩いているのを見たことがあります。

ボクも無防備に歩いていたので、息が止まるほど驚いたのを覚えています。
しかし、次の瞬間に、そんな自分が恥ずかしくなりました。

その方は、2歳くらいの可愛い女の子を抱いていました。
本当に玉のように可愛い女の子でした。

そして、その方のその子を見る目が、何とも言えない柔らかな、穏やかな眼差しでした。
女の子が声を出して笑う度に、その方の笑顔が見えました。

ボクは、たぶん、その間しばらくは、その場に立ち尽くしていたと思います。
そのくらい衝撃的な出来事でした。

その日、ボクは手帳にこう記しています。

「子どもにとっては、どんな親でも、『親』なのだ。
人からどう思われていようとも、愛情の発露たるものは親なのだ。」

子供は、親が育てたように育ちます。

言葉でいくら立派なことを言ってても、
行動が伴っていなければ、
子供はちゃんと見ているのです。

子供を育てるのには、
「お手本」を見せ続けること。

言葉であれこれ言うよりも、
それが一番良いようです。

2010/05/14 23:41 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

『泣いた赤鬼』

みなさま、こんにちは。

先日、小2の息子の音楽の教科書を何気なく見ていたら、
『泣いた赤鬼』の歌があるんですね~!

知りませんでした。
『泣いた赤鬼』は、私も好きなお話の1つですので、
また、息子がこの歌を習ったときくらいに
話をしてみたいですね。


さて、この童話をお作りになったのは、
浜田ひろすけさんです。
1893年5月25日、山形県にお生まれになり、
83歳でお亡くなりになるまでに、1,000を越える子ども童話をお作りになっておられます。


その代表作の1つとも言えるこの『泣いた赤鬼』ですが、
ご存知でない方もいらっしゃるかも知れませんので、
ご紹介させて頂きますね。





昔ある山の中に、一人の赤鬼が住んでいました。
赤鬼は、人間たちとも仲良くしたいと考えて、
自分の家の前に、こう書いた立て札を立てました。


「心のやさしい鬼のうちです。
 みなさんおいでくださいね。

 おいしいお菓子もありますよ。
 おいしいお茶もありますよ。」


けれども、人間は怖がり、疑って、誰一人遊びに来ませんでした。


赤鬼は悲しみ、信用してもらえないことを悔しがり、
とうとう腹を立てて、立て札を引き抜いてしまいました。

そこへ、友達の青鬼が訪ねて来ました。


青鬼は、赤鬼からわけを聞いて、こう言いました。

「そっか、人間と仲良くしたいんだね。
今まで随分、僕たち鬼は人間に酷いことをしてきたもんね。

赤鬼クンの気持ちは、とってもよくわかるよ。


じゃあ、こうしよう。

僕が人間の村へ出かけて大暴れをする。
そこへ赤鬼クンが出てきて、僕をこらしめる。

そうすれば、人間たちにも、赤鬼クンがやさしい鬼だということがわかるだろう。」


「で、でも、それじゃあ、青鬼クンに申し訳ないよ・・・。」

そうしぶる赤鬼を、青鬼は無理やり引っ張って、村へ出かけて行きました。


計画は大成功でした。

村の人たちは、安心して赤鬼のところへ遊びにくるようになりました。

毎日、毎日、村人は村から山へ、三人、五人と連れ立って、出かけて来ました。
こうして、赤鬼には人間の友達が沢山できました。
赤鬼は、とても喜びました。

しかし、日がたつにつれて、赤鬼はあることが気になっていました。
それは、あの日から訪ねて来なくなった、青鬼のことでした。


ある日、赤鬼は、青鬼の家を訪ねてみました。
青鬼の家は、戸が堅く閉まっていました。

ふと、気がつくと、戸のわきには、貼り紙がしてあります。
それに、何か字が書かれていました。
赤鬼は何気なくそれを読んでみました。


「赤鬼クン
キミは人間たちと仲良くして、楽しく暮らしてください。

もし、僕がこのまま君と付き合っていると、
キミも悪い鬼だと思われるかもしれません。

だから僕は、旅に出るけれども、いつまでも君を忘れません。

さようなら。
体を大事にしてください。

ずっと君の親友の青鬼より」


赤鬼は声が出ませんでした。
そして、二度も三度も読みました。

戸に手をかけて顔を押し付け、シクシクと涙を流して泣きました。
                                                       (以上 浜田 廣介氏)



この物語は、
「真の友情とは何か」
そして
「真の親とは何か」
を示唆しているようです。


真の友だち、真の親とは、逆説的なようですが、

「なしでやっていけるようにすること」

です。


真の親とは、親が無くても、生きていけるようにしてやること。

その意味では、盲導犬のトレーナーと同じです。
いつまでも、トレーナーに頼っている盲導犬、
盲導犬を頼らせているトレーナーは、本来の意味をなしません。


そして、盲導犬になるための最後の試験とは、
主人の命令でも、主人に危険が及ぶ場合(前方に極端な段差があるのに、「前に進め」などの指示を出された場合)、その指示には従わないことだそうです。

今までは、忠実に主人の命令に従うように育てられたのに、
最後の最後で、自分の意思を試されるのです。


これは、人間を育てる場合も、非常に参考になる事です。


もし、今、あなたが一番「嫌だなぁ」と思うことや人が、
あの世からこの世に来る時に、
赤鬼クンと青鬼クンがしてきたような「約束」だとしたら、
どうでしょうか。


スピリチュアルに生きるとは、
そういう「現世」の嫌な事から、
占いや石や風水などで「逃げる」ことではなく、
全てに意味がある、理由がある、ということを前提として、
それを活かして現世を生きること。

ですから、本当にスピリチュアルに生きるとは、
非常に現実的に生きる、ということなのです。

2010/05/13 23:25 | 未分類COMMENT(4)TRACKBACK(0)  TOP

『捨てられないノート』~とよ爺さんのブログより~

いつも拝見させて頂いているブログの中に、
「とよ爺のつぶやき」というブログがあります。

今日、お昼休みに読んでいて、思わず涙がこぼれたものをご紹介させて頂きます。

よくよく考えると、これは「どんぐり倶楽部」で言うところの「わからん帳」です。
でも、ここまで使われると、本望でしょうね。


原文はこちら。

以下、引用です。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

『捨てられないノート』



私にも一生忘れられない教え子がいる。

私は実は自分より三歳年下の生徒から教え始めている。
今から考えると信じられないのだが、18歳の時から塾の先生を経験している。

一番最初に私が教えた生徒はたった6人、そのメンバーたちが高校1年生の時だった。
結果的にその6人は横浜市大医学部、一橋大学、横浜国大、日本女子大、東京理科大、明治大に進学していったのだから、後から考えると凄いメンバーだった。



そのうちの1人に面白い奴がいた。
私が教えていた数学はそいつがいちばんできたと思う。
みなも一目置いていたと私は当時から感じていた。

私はその子を教えているとき絶対にこいつはできると思ったことがある。
私もその頃は若かったので、彼らと同じ目線で良く話していた。
私はその子にとことん敵わないと思ったのはある日の授業の時だ。

彼は私の授業にノートを間違って持ってきたことがあった。
それは中3の時のノートだった。
授業を始めたとき、彼はそれに気づき、私に大事なノートを間違えて持ってきてしまったと言った。
「大事なノート」とは偉く意味深長な言葉だったので、私はそれがどういうノートかと聞いた。
彼の答えはなんてことはない「絶対に一生死ぬまで捨てないノートだ」と言った。




彼が一番最初にそのノートを手に入れたのは、小学生1年の時だった。
当時裕福でなかった彼の家では、その頃流行の可愛いノートを買えなかった。
それを不憫に思ったお母さんがありきたりのノートの表紙に可愛い絵を描いてくれた。
そして彼はそのノートを一年間、大事に大事に使った。

2年生になると、今度は普通のノートを買ってもらったのだが、
一冊だけお母さんのノートが混じっていた。
彼は学校で習った一番大事な事をそのノートに書き残した。

3年生以降はお母さんの手書きノートはなくなったそうだが、
一冊の大事なノートを作っていた。

それが中学3年生まで、毎年一冊必ず持っていたのだ。

そしてその時は高1バージョンも作っていた。私は
「一生懸命教えるから、1ページくらいは俺の教えたことを書いてくれ」
とよく彼に頼んだものだ。

彼は勉強のわからないことや、勉強しなければならないのだけれど、
どうもやる気がおきないときによくそのノートを小学1年生から読み返したそうである。

それを聞いて、彼が優秀なのがわかる気がした。
こういうノートを持ち続けている奴が勉強ができないわけがない。
私は初めて、自分は塾では先生だが、
この子には一生敵わないと思った生徒だった。


彼はその後、結構著名な医者になった。

10年前くらいだったと思う。
私が子供を連れて、私の街の総合公園でバッタリ会ったことがある。
彼はポケベルをいくつか持って忙しそうだったが、
私の子供と同じくらいの子供を連れて遊びに来ていた。

その時である。
私は彼に思いきって「お前、あの大事なノートどうした」と聞いてみた。
そうしたら彼は即座に答えた。

「よく覚えてますね。
あれは自分の子供に読ませようと思って今でも大事にとってあります。
この子の最初のノートは表紙に自分と女房で可愛い絵を描くつもりでいます」

と自分の子の頭を愛おしそうに撫でながら、彼はうれしそうに言っていた。


子供が優秀になるのにはそれなりの理由がある。
彼にとってその理由はその「捨てられないノート」だったことに間違いはない。




以上、引用文。


お母さんの愛情。
それをきちんと受け止めていた「彼」の愛情。

愛情とは、必要なときに、必要なだけ助けてあげることだと思う。

もちろん、「出来る範囲」でいい。

家庭は「名旅館」である必要はない。

全ての世話をお母さんがする必要など全くないのだ。
できることを精一杯心を込めてする。
努力しても出来ない事は、出来ないと正直に言う。

大切だから何度も言うが、
「プライドとは、自分はどうでも良い。
でも、自分に与えられた愛情は守る。」
という事だ。


ひょっとしたら、お母さんの絵を茶化すような子が居たかもしれない。
(それも羨ましさの裏返しかもしれないが、子どもにはそれは解らない。)

それで傷つく自分はどうでも良い。
でも、一生懸命自分のために描いてくれた、お母さんの心は守らないといけない。

その幼くイジラシイ少年の心が涙を誘う。



そして、そういう「人間関係」がきちんと出来ている子が、
成績を上げられないはずがない。


人間は、自分のためには動けなくても、
人のためには動けるものだ。


休みの日には、トイレに行くのも面倒臭いと思うような人でも、
大好きな人には、電車を何本も乗り換えても会いにいくはずだ。

自分ひとりなら、カップ麺でも良いと思うお母さんでも、
自分の子どもには、ちゃんとご飯を作っているはずだ。


「自分」の定義を広げてみること。

「自分」の中に、自分の好きな人や自分に関係のある人を入れてみること。

そうすれば、「自分」が喜ぶ事をすれば良い。

好きな人の笑顔が見れて、自分が幸せになる感じ。
それは、全ての根底にある気持ちだろう。

赤ちゃんが笑っているのを見ると、聞くと、
何故だか急に涙が出てくるほど嬉しくなること。

その気持ちに直結しているのだと思う。


「自分」の定義が地球上に広がったときに、
全ては1つであることを、実感するだろう。

エチオピアで食べる物が無くて亡くなっている人も、
「自分」の一部だ。

ラスベガスで100万ドル当たって喜んでいる人も
「自分」の一部だ。

そうすれば、右手で左手を叩く必要もない。



調和とは、違いを受け入れること。
平和とは、心の静けさ。

心の静けさの中に、愛はあるのです。

2010/05/12 23:11 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

『あなたの中の最良のものを』

みなさま、こんにちは。

マザーテレサが残した言葉に、次のような詩があります。


『あなたの中の最良のものを』

人は不合理、非論理、利己的です。
それでもとにかく、人を愛しなさい。

あなたが善を行なうと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。
それでも気にすることなく、善を行ないなさい。

目的を達しようとするとき、邪魔立てする人に出会うでしょう。
それでも気にすることなく、やり遂げなさい。

善い行ないをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう。
それでも気にすることなく、し続けなさい。

あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるかもしれません。
それでも気にすることなく正直で、誠実であり続けなさい。

あなたが作り上げたものが、一夜にして壊されることもあるでしょう。
それでも気にすることなく、作り続けなさい。

あなたが助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けることもあります。
それでも気にすることなく、助け続けなさい。


あなたの中の最良のものを、世に与えなさい。

けり返されるかもしれません。
それでも気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。

最後に振り返ると、あなたにもわかるはずです。

結局は、全てあなたと内なる神との関係のことです。
あなたと他の人の関係であったことは、一度もありません。




これは、ケント・M・キースさんの『逆説の10カ条』という詩を読んで、深く感動したマザーテレサが触発されて残した言葉だと言われていますが、今となっては本当のところは分かりません。


ただ、マザーテレサによって、沢山の方の目に触れるようになったことは事実だと思います。



原文は以下のものだそうです。


People are illogical, unreasonable, and self-centered.
Love them anyway.

If you do good, people will accuse you of selfish ulterior motives.
Do good anyway.

If you are successful, you will win false friends and true enemies.
Succeed anyway.

The good you do today will be forgotten tomorrow.
Do good anyway.

Honesty and frankness make you vulnerable.
Be honest and frank anyway.

The biggest men and women with the biggest ideas can be shot down by the smallest men and women with the smallest minds.
Think big anyway.

People favor underdogs but follow only top dogs.
Fight for a few underdogs anyway.

What you spend years building may be destroyed overnight.
Build anyway.

People really need help but may attack you if you do help them.
Help people anyway.



この「anyway」ほど、重い「anyway」を私は知りません。



「とにかく愛しなさい」



ということ。もちろん、「議論をしない」ということではないと思いますが、どれだけ議論を重ねても、行き着くところは、結局「愛」だということなのだろうと思います。


であれば、ゴチャゴチャと「やらない理由」を考えるよりは、もう「とにかく愛しなさい」という考えでもって、今目の前に居る人をどうにかしないといけない。


もちろん、マザーは「どうにかしなければならない」という覚悟を持っていたとは思いますが、そこに悲壮感は微塵もなく、「やむにやまれず」動き出したのだと思います。


つまり、ここに
「物質的な利己主義」と「心の利己主義」との違いが見られます。

物質的な利己主義とは、「自分さえ楽であれば良い」という考え方。
主に肉体的な欲求が大きいでしょう。
沢山食べたい。美味しい物が食べたい。楽に暮らしたい。快適な環境に居たい。・・・。

そのためには、誰がどうなっていようが、見て見ぬ振りをしなければいけないような生活。


一方、「心の利己主義」とは、「みんなで、みんなが幸せになるためには、私が何ができるのか。何がしたいのか」という考え方。


一番小さい人、一番弱い人がどのように扱われているかで、
そのコミュニティーの成熟度が解るのだと思います。
みんなが、その人のことを「他人事」と思っていないからです。


しかし、「どう助けるか」については、本当に深い洞察が必要です。

適切な時に、適切な援助を与えるとは、
時には全く手を出さないということも、その人のためには必要な事かもしれませんし、
嫌がられても、側にいることが必要な事もあるかもしれません。


子どもに関わっていると、それは本当に毎日思います。
「こどものため」と思って、1から10まで全部説明をしたところで、子どもが「考えて」いなければ、何の役にも立ちません。


であれば、そこは何か言いたい気持ちをグッと抑えて、
「とりあえず、好きなようにやってごらん。どんなになっても怒らないからね。」
と、自由にさせて、あえて困らせる(=考えさせる)ことも必要な時があります。


「最善のもの」は、困ったら同情の側に立つことが大切ですが、
そのときも理性的な判断だけは失いたくないものです。

2010/05/09 16:55 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

閑話休題

201002211717000[1]


みなさま、こんにちは。

アイリも先日1歳の誕生日を迎えました。


今、1歳と2ヶ月ほどたちますが、
やっと歩き始めました~!

まだまだ、酔っ払いのような感じで
足元がおぼつかないのですが、
本人は、
「やっと歩ける!」
みたいな感じで、歩けるのが楽しくて仕方ない様子です。

ほんの1週間前ほどは、
6~7歩までは何とか自力で歩けるけれど、
後は、

「誰か抱きとめて~!」

という感じで、誰彼かまわず頼っておりました。笑

ケンゴは、自分がその番になるのが嬉しいみたいでした。笑


明日は、約2ヶ月振りのお休みです。

家族サービスさせてくださいね。

2010/05/04 16:30 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

ゴールデンウィーク中の対応について

みなさま、こんにちは。

どんぐり個別指導学院のゴールデンウィーク中の対応ですが、
ひろなかの携帯にご連絡いただければ、
連絡はつきます。

月曜~木曜の授業はお休みです。

間違って来ても良いですが、
開いてませんよ~!笑

お月謝袋も、いつもお気遣い頂いて、ありがとうございます。

今月は、7日辺りからお渡ししますので、
またよろしくお願い致します。


風邪ひきさんが多いので、
しっかり休んで治しましょうね。

ええ、私もです!笑

2010/05/01 23:40 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

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