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ツライデスネ…

みなさま、こんにちは。

昨日、テレビで少しやっていましたが、こちらのニュース、ご存知ですか?


→http://www.asahi.com/national/update/0219/TKY201002180576.html?ref=goo


夕飯を食べながらテレビを見ていましたが、
ニュースを見てからは、胸が苦しくて、つかえて
食事が取れませんでした。


まだ2歳の自分の子どもに、
タバコの灰を食べさせたり、
芳香剤を食べさせようとしたり、
洗濯機の中に入れて回してみたり、
オーブンの中に入れて、火をつけてみたり、
ベビーベッドに縛り付けてみたり、
エレベーターの出口に立っていたのを、蹴り飛ばしてみたり、

いったい、何の権利があって、そんなことができるのでしょうか・・・。



自分の子供は、自分の持ち物ではありません。


子供は、親の血を分けて生まれてきていますが、
魂は別です。




しかし、これも自分の映し鏡。
相手を断罪することは、誰でもできます。

だから断罪するのではなく、自分の映し鏡として、
自らを反省すること。


自分の中にも、その虐待の種はなかったか。

自分を困らせる子供を、感情のままに叩いたり、大声で怒鳴ったり
していないか。

まず、そうすべきだと思います。



そして、優衣ちゃん。

痛かったね。
辛かったね。
寂しかったね。

苦しかったね。
悲しかったね。
切なかったね。


でも、もう大丈夫だからね。


もう、
痛くないよ。
辛くないよ。
寂しくないよ。

苦しくないよ。
悲しくないよ。
切なくないよ。


あの世はこの世とは違うからね。

もう、怪我も病気も、死もないからね。


心の故郷、魂の故郷に帰って、
ゆっくりと休んでね。

そして、愛に満たされた世界を
もう一度思い出してね。


私でよかったら、
私があの世に帰ったときに、
どれだけ大変だったのか、
ゆっくりと話を聞くからね。


でも、こっちでもやることが、まだ沢山あるから、
あと、50年くらいは待っててね。笑

でも、そんなのすぐだから。


もう、これ以上、
優衣ちゃんのような子供が増えないように、
私も今まで以上に気をつけていくからね。



優衣ちゃんは、悪くないよ。
全然、悪くない。


優衣ちゃんのお父さん、お母さんはね、
優衣ちゃんが憎くてやったんじゃないんだよ。

ただ、分からなかったんだよ。


見つけてあげられなくて、
ごめんね。

でも、ここにも優衣ちゃんのことが、
大好きなおじさんが一人いるって、
知って欲しかったんだよ。

あの世で一緒に遊ぼうね。

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2010/02/21 17:15 | 未分類COMMENT(2)TRACKBACK(0)  TOP

『人は言葉によって育てられる』

みなさま、こんにちは。

どんぐり倶楽部の「~子育てと家庭学習のヒント~」の中の一番最初には、タイトルの言葉が挙げられています。


以下、その部分を引用してみます。




§1:一番大切なこと(人は言葉によって育てられる)━━━━━━━━━━━


「人は言葉によって育てられる」という言葉があります。

子育ての基本もまた、同じです。
暖かい言葉のシャワーが心の成長を促し、豊かな言葉のやりとりが頭の成長を促します。

このことを心に刻み込んで、年齢別に子育ての要点をみていきましょう。
暖かい言葉のシャワーが大切なのです。



子育ては大きく分けて3つの時期に分かれます。

・言葉を話すようになる3才までの言語習得時期
・論理的な思考力を育てる9才までの思考力習得時期
・基礎知識を身につける15才までの知識集積時期です。

これらの時期は、不思議なことに、全て3年サイクルで成長を続けます。
これらのことからも、3年という年月が1つのことを習得するには、最低の必要時間ではないかと考えられます。 

 実は、学校で使われている教科書もこの発達過程を踏まえて構成されていますので、ここで示した各々の発達過程での十分な発達がなされていないと、学習に支障をきたすことになります。


顕著な例が、思考力習得時期における不十分な発達が原因による高学年での落ちこぼれ問題『満点落ちこぼれ現象』です。



これは、思考力をつけるべき時期に知識の集積をさせてしまい、具象から抽象への飛躍を妨げていることが主な原因となっています。
小学校低学年で先行学習をしている殆どの場合が、このパターンに陥っています。 



引用は以上です。




「言葉」というものは、一種の『容器』です。

では、何を入れる容器でしょうか。




人の気持ちだと思います。
心、感情と言っても良いかもしれません。


ですから、言葉の意味にとらわれすぎる必要はありません。

「ごめんなさいね」
という言葉も、心がこもっているかどうかは、すぐに分かると思います。

吉本新喜劇ではありませんが、池野めだかさんが、よく劇中に、
「ど~も、すみませんでしたねぇ~!」
と、メンチをきりながら言うシーンがありますが、あそこで笑えるということは、心がこもっていない言葉が分かるということだと思います。


だからと言って、気持ちを込めれば言葉をおろそかにしても良い、という意味ではありません。


「ありがとう」
という感謝の意味を込めて、
「お前なんか、殴ってやる」
と言っても、相手には何が何だか分かりませんよね。(笑)


ですから、出来るだけ正確な気持ちを、できるだけ適切な言葉遣いで、相手に伝える事。
それが大切になってきます。

特に、学年が小さい時は、丁寧に言葉を扱うことが大切だと思います。
親が言葉を大切に使えば、子どもも大切に遣うようになります。

昔の人は、家族の間であっても、ゆっくりと丁寧語で話したといいます。
「太郎さん、お母さんの前に来て、学校で何をなさったのか、はっきりとおっしゃいなさい。」
なんて、怒っても丁寧語なんですね。(笑)

もちろん、昔が正しいということばかりではありませんが、
思い出してもいい、習慣ではないでしょうか。

孟母三遷と言う言葉もありますが、一番大切なのは親の言葉だと思います。
それを置いて、環境ばかりのせいにしても、勘違いになってしまいます。

気負う必要はありませんが、1つ1つを子どもがちゃんと見ているという意識は常に持って生きたいですね。

2010/02/20 11:46 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

本当にありがとうございます!

みなさま、こんにちは。

全国的にバレンタインデーということもあって、
チョコレートを沢山頂きました!

本当にありがとうございました!

きっと、今まで生きてきた中で、
今年が一番チョコレートを頂いた年になりました。笑


でも、ホントお気遣いなく!


チョコを作る時間とお金があるなら、生徒の皆さんは、
お母さんやお父さんの肩でも揉んであげて下さいね。

親御さんも、もし私にチョコレートを買ってくださる余裕がおありでしたら、
その分、子供たちと美味しい物を食べに行って下さるか、
何か夕食を一品子供たちと一緒に作って下さるか、
そういう家族の思い出作りをして下さると本当に嬉しいです。




さて、マザーテレサが残した言葉に、次のような詩があります。



『あなたの中の最良のものを』



人は不合理、非論理、利己的です。
それでもとにかく、人を愛しなさい。


あなたが善を行なうと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。
それでも気にすることなく、善を行ないなさい。


目的を達しようとするとき、邪魔立てする人に出会うでしょう。
それでも気にすることなく、やり遂げなさい。


善い行ないをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう。
それでも気にすることなく、し続けなさい。


あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるかもしれません。
それでも気にすることなく正直で、誠実であり続けなさい。


あなたが作り上げたものが、一夜にして壊されることもあるでしょう。
それでも気にすることなく、作り続けなさい。


あなたが助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けることもあります。
それでも気にすることなく、助け続けなさい。



あなたの中の最良のものを、世に与えなさい。


けり返されるかもしれません。
それでも気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。



最後に振り返ると、あなたにもわかるはずです。


結局は、全てあなたと内なる神との関係のことです。

あなたと他の人の関係であったことは、一度もありません。



これは、ケント・M・キースさんの『逆説の10カ条』という詩を読んで、
深く感動したマザーテレサが触発されて残した言葉だと言われていますが、
今となっては本当のところは分かりません。


ただ、マザーテレサによって、沢山の方の目に触れるようになったことは事実だと思います。


原文は以下のものだそうです。



People are illogical, unreasonable, and self-centered.
Love them anyway.


If you do good, people will accuse you of selfish ulterior motives.
Do good anyway.


If you are successful, you will win false friends and true enemies.
Succeed anyway.


The good you do today will be forgotten tomorrow.
Do good anyway.


Honesty and frankness make you vulnerable.
Be honest and frank anyway.


The biggest men and women with the biggest ideas can be shot down by the smallest men and women with the smallest minds.
Think big anyway.


People favor underdogs but follow only top dogs.
Fight for a few underdogs anyway.


What you spend years building may be destroyed overnight.
Build anyway.


People really need help but may attack you if you do help them.
Help people anyway.



最後のパートが見当たりませんでしたが、
この「anyway」ほど、重い「anyway」を私は知りません。


「とにかく愛しなさい」


ということ。もちろん、「議論をしない」ということではないと思いますが、
どれだけ議論を重ねても、行き着くところは、結局「愛」なのだろうと思います。


であれば、ゴチャゴチャと「やらない理由」を考えるよりは、もう「とにかく愛しなさい」という考えでもって、今目の前に居る人をどうにかしないといけない。


もちろん、マザーは「どうにかしなければならない」という覚悟はあったと思いますが、しかし、そこに悲壮感は微塵もなく、「やむにやまれず」動き出したのだと思います。

しかもそこに「楽しみ」を見つけながら。



つまり、ここに

「物質的な利己主義」と
「心の利己主義」

との違いが見られます。


物質的な利己主義とは、「自分さえ楽であれば良い」という考え方。

主に肉体的な欲求が大きいでしょう。
沢山食べたい。
美味しい物が食べたい。
楽に暮らしたい。
安全で快適な環境に居たい。・・・。

そのためには、誰がどうなっていようが、
見て見ぬ振りをしなければいけないような生活です。



一方、「心の利己主義」とは、
「みんなで、みんなが幸せになるためには、私が何ができるのか。何がしたいのか」
という考え方。


一番小さい人、一番弱い人がどのように扱われているかで、
そのコミュニティーの成熟度が解るのだと言われています。

みんなが、虐げられている人のことを「他人事」と思っていないからです。
隣で人が苦しんでいるときに、それを見ないで本当に幸せでいることができる人など
いません。


しかし、では「どう助けるか」については、本当に深い洞察が必要です。
適切な時に、適切な援助を与えるとは、
時には全く手を出さないということも、その人のためには必要な事かもしれませんし、
嫌がられても、側にいることが必要な事もあるかもしれません。


子どもに関わっていると、それは本当に毎日思います。

「こどものため」と思って、1から10まで全部説明をしたところで、
子どもの頭がストップしているようであれば、何の役にも立ちません。
或いは、ある感情でいっぱいいっぱいであれば、
そこにはもう何も入れることはできません。


であれば、そこは何か言いたい気持ちをグッと抑えて、

「とりあえず、好きなようにやってごらん。どんなになっても怒らないからね。」とか、

「今ある気持ちを全部出してごらん。言いたいことを全部言ってごらん。
大丈夫だからね。」

などと、十分な時間を与えることも必要な時があります。


「広やかな気持ちを持たせること」

子供と接しているときには、意外にこのことが
大切なことがあります。


そのためには、物質的利己主義な価値観、
「早くこの場を何とかしたい」
「時間がもったいない」
など言うことよりも、
「相手がどうしたいのか」
を考えていった方が、解決が早かったりします。


しかし、その根底にあるのは、文頭に紹介した「決心」が
必要なのだと思うのです。

2010/02/16 11:35 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

色々と・・・

みなさま、こんにちは。


201002150916000.jpg



いきなりのアイリのアップでした。笑

バレンタインのチョコレート代わりにどうぞ!!




昨日は、バレンタインデーということで、
ケンゴにも、
「チョコを渡したいから、学校に来て!」
という連絡が入ったそうです。笑



本人もその連絡以降、上機嫌!笑



何でも、前から「いいな~」
と思っていた子かららしく、
大事そうにチョコを持って帰ってきました。

お手紙も、本当に丁寧な字で書かれてありましたよ。

まぁ、この小さな恋が、どのようになるのか、
楽しみでもありますね。
そっと見守って参りたいと思います。笑


そんな中で、アイリもいつかそんな風に

「チョコレートを渡したい人がいるの~!」

なんていう日が来るのかな~なんて、
ちょっとおセンチになるお父ちゃんでした。笑





さて、今朝もある塾のチラシが入っていました。


「自分で考える習慣をつける」
という名目でチラシをうたっていますが、
ちょっとどうなんでしょうね・・・。


チラシの表面には、こんな問題があります。


『A,B それぞれの木には一年後、いくつ花が咲くでしょうか?」

Aの木は、3ヶ月ごとに3つに枝分かれして伸びていき、
1年後、枝分かれした後全ての枝先に4つの花が咲きます。

Bの木は、4ヵ月ごとに4つに枝分かれして伸びていき、
1年後、枝か割れした後、全ての枝先に5つの花が咲きます。』


という問題。


どんぐり倶楽部の問題をしている子であれば、小1さんでも解けるかな?
年長さんの問題かもしれませんね!笑


別にバカにしているわけではありませんよ!

その位の子でも、きちんと絵を描いていけば解ける問題です。

つまり、「考える」ということがきちんと理解できていれば、
「カケザン」を習っていなくても分かるのです。



チラシの裏には、一応「絵」というか「図」が載せてありますが、
これが全然味わえない「図」なのです。
もったいないです!

そして解き方として、

【Aの方は】
3×3×3×3=81
81×4=324

【Bの方は】
4×4×4=64
64×5=320


なんて書いてあるのですね。


おまけに
『正解にたどり着くには活用力や想像力が必要な難しい問題です。
これからは「活用型」の問題が増え、私立中受験、公立中高一貫校
受験でも出題されると考えられます。』
等と言うお題目が・・・。



「自分で考える習慣」とは何か。



そこをしっかりと考えないと、子供は単に「習ったことのコピー」を
することしか学びません。

カケザンとは結果論であり、そこが「考える力」ではないのです。

考える力とは、そのカケザンにいきつくまでの「過程」のことです。
ですから、いきなり「カケザン」を出してしまってはいけません。


だから、『絵を描く』という一見地味に思われる作業が必要なのです。
地味な作業と言いましたが、やってる本人は実は、楽しいことなのです。

ピカソも、ゴッホもベートーベンも素晴らしい作品を残しましたが、
創っている最中は、きっと「地味」だったに違いありませんよね。
ベートーベンの作曲最中などは、
「見てはいけない」
気さえします。笑

髪が抜けるほど頭をかきむしっていそうで。笑

でも、頭の中に音楽が鳴り響いて、それを譜面に残していくこと。

それが音楽語である「音符」です。


算数も数学も、まずはイメージありき。
最初に絵を描いて、目で見て考えると言うこと。


ドラマ『ガリレオ』の中で、福山雅治さん演じる湯川教授も、

「仮説は実験によって確かめなければならない」

と言ってましたよね?



もちろんそれは、ガリレオ=ガリレイさんが、科学分野で、実験結果を
数学的に理解していくという手法にこだわったことに由来しています。

つまり
「目で見て確認する」
ということを徹底したのだと思うのです。

だから、劇中に湯川教授がその辺りにあるものを使って、
ダァーっと数式を書いていくシーンがありましたが、
それは湯川教授の頭にあるイメージを「数学語」或いは「物理語」
に翻訳しただけの話です。

見る人が見れば翻訳できる形になっていること。

でも、大切なのは「その頭の中にイメージがある」ということの方です。




その『イメージ』を描くことが


「実に面白い」


のですよ!

フレミング左手の法則でメガネのずれを直すかどうかは
別として!



何か、自分の今の知識や知恵で及びもつかないときに、
「無理!」
と言ってあきらめる子と、
「おもしろ~い!」
と言って興味を持つ子がいます。


「学力」のある子がどちらかなどは、言わなくても分かります。

やり方だけを習った子は、往々にして前者になりがちなのです。
できることだけが、自分のアイデンティティになっているからです。


そういうことではなく、そのこと自体、その問題自体を楽しめること。
味わうこと。

それが、本来の「学力」です。
「遊び」だと思われるかもしれませんが、
よく考えてみると、「遊び」も真剣にしないと遊びが成り立ちません。


遊んでいる子達が、時々
「もっと真剣にやれ~!」
なんて言ってるのを聞いたことがありませんか?笑

手を抜いて遊んでたら、面白くないんですね。
だから、「遊ぶ」というのは、実は「真剣にやる」というのと
同義語なのかもしれません。




そして、もっと大切なのは、

「学習とは、人とのつながりである」

ということ。



自分のためだけに、毎日ご馳走を作る人は、稀です。
でも、誰かのためなら、毎日料理することもできます。

それが好きな人だったら、なお更です。
ま、冷めるかどうかは別として。笑



ドラマの中で、こんな台詞があったそうです。
感動してしまいました。




「アイザック=ニュートンがリンゴが落ちた瞬間見つけたのは、
 重力だけではなく、世界とのつながりだ。


 ガリレオ=ガリレイはピサの斜塔から2つの玉を落としたとき、
 友人に喜びの手紙を書いた。

 科学者の日常は単調だ。
 人と出会う機会も少ない。

 しかし、退屈な実験の繰り返しの中で、
 見つかる世界がある。

 味気なく狭い研究室で、人とのつながりを感じることがある。

 科学者はけして人間嫌いではない。


 ニュートンがそうであるように。

 ガリレオがそうであるように。」



勉強とは、自分のためだけにすることではなく、
自分ひとりですることでもないことを表しているように思います。

2010/02/15 10:32 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

「ちょっと説明してくれる?」

みなさま、こんにちは。


おかげさまで、小学生の生徒も増えて参りました。

でも、増えたからと言って、
「前の方が面倒見が良くて、良かった」
なんて、言われないように頑張って参りますね。笑


さて、最近特に思うのですが、○が付いた問題(正解)ほど、
丁寧に扱わなければならないと思うのです。


生徒の中には、「今までの習慣」で、
実に問題の数字だけを足したり、引いたり、掛けたり、割ったりしただけで
「答え」を出す子がいます。

その問題が幸いにも「間違って」いたら良いのですが、
「合って」いたりして、なまじっか大人が「良くできてる」
なんて言ったりしたら、こどもは、
「このやり方でいいのだ。」
と思ってしまうのは、自然なことでしょう。


ですから、特に塾に新しく来た子たちや、
そういう文字、数字だけを適当に扱う子達には、

「どうしてそういう答えになったのか、
センセに教えてくれる?」

と必ず生徒に説明させています。
そして、その言葉を言うと、すぐに分かるんですよね。


その子が「考えて」問題を解いたのか、
考えずに問題を解いたのか。



考えずに解いた子は、必ずと言って良いほど、
「え~!」
と言って、メンドクサそうな顔をします。

そして、説明らしいことを言ってくれるのですが、

「その答えの単位は何?」とか、

「その式は、何を求めようと思ったの?」

とか聞いているうちに、途中で自分の説明が矛盾していることに自分で気づきます。


で、
「わからん!」
とさじを投げるのがパターンですかね。笑



一方、考えて問題を解いた子は、
「どうやって解いたか、センセにも聞かせて!」
と言うと、嬉々として話してくれます。


もちろん、言葉が流暢に出てこない子もいますので、
ところどころは、こちらが補ってやる必要はあります。

そういう子は、例え最後の答えを間違っていたとしても、
「あ、ここの計算で間違えたのか!」とか、
「あ、ここで補助線を引けばよかったのか!」などと、
すぐに訂正する力を持っています。



「時間がない」などの理由で、学校の先生や親御さんが、
子供一人ひとりのことをきちんと見てあげられないのであれば、
誰かが見てあげる必要があります。

答えだけを採点して、
○がついているから、「理解している」
と判断するのは、危険すぎます。

点数が良いから「わかっている」
というのも、実はよく吟味してみないといけません。


「ちょっと、説明してくれるかな?
説明してくれると嬉しいな!」
と嬉しそうに聞いてあげること。

それだけで、子供たちのやる気が出てくるように思います。


もちろん、その気持ちの根底にあるのは、
「私の言うこともちゃんと聞いてくれている。」
という安心感、そして信頼感だと思うのです。

「どうせ、答えしか見ない」
と子供たちが思うなら、そう思わせている大人の責任です。

(だから、私は学校の先生のハンコだけ押して返すような宿題は
やめて欲しいのです。お互いが楽しくないのです。)


人間関係は1対1が基本です。

教育もその基本の上にあることを忘れないようにして
おきたいと思います。

2010/02/12 10:45 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

シンポジウムでした

みなさま、こんにちは。


先日の日曜は、インターキッズ国際塾の主催で
国際交流会館にてシンポジウムが開かれました。

今日の山陽新聞には写真入りで載っていましたが、
150名もご参加くださったのですね。

スタッフの一人としてお礼申し上げます。


「ご参加、ありがとうございました!」




「自分をより良く知るために、他の文化に触れること」


鏡がないと、自分の顔さえも認識することができないように、
「違い」がないと、自分の国の文化も認識することができません。


「理解」とは、その違いを善悪の判断をすることなく、
受け入れることだと思います。


もちろん、その上で「間違っている」こともあるでしょう。

シンポジウムの中でも、ナイジェリアの方、カンボジアの方は、

「物質的に豊かになりたい!」

という気持ちが前面に出ていたように思います。



しかし、今の日本人は結構の方々が、
「物を集めても、人は幸せになれない」
ことを知っています。


でも、だからと言って、それを発展途上国の方々に伝えたところで、
理解してもらえる可能性は低いと思います。


経験すること。
体験すること。

それを踏まえて、どうするか、ということ。


色々と、思うところがありました。

いい時間だったと思います。

2010/02/10 16:21 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

ユーモアについて

みなさま、こんにちは。


こちらのサイト→http://www.ncc.go.jp/jp/ncch/division/lecture/20010630a.html
によりますと、ユーモアというのは、もともと医学的な概念だったそうです。


『身体の中の液体、つまり「体液」のラテン語“フモール” の複数形を
“フモーレス”といいます。これがユーモアの語源です。

中世の医者は、体液がスムーズに流れていれば人間は健康でいられる、
と考えていたようです。』


今の概念で言えば、人間関係の間を流れる空気のようなもの、
それがきちんと『凍りつかずに』流れていれば、それは正常な
人間関係だと言う事なのだと思います。


ユーモアとは
「にも関わらず笑うこと」
だと、デーケン教授は言います。
ドイツの諺だそうです。

それには、広い視野と心のゆとりが必要である、と。


広いところや、高い場所から周囲を眺めてみると、
自分の存在のあまりの小ささに、
自分の悩みさえも小さく思えます。

悩んでいることがバカバカしくさえ思えてきます。

しかし、自分の存在が小さい、ということが「価値がない」
ということではありません。

もちろん、「価値がない」という感覚は、幻想だと私は思います。


・・・

・・



なんて、ユーモアのことを語っても、全然笑えないんですよね。笑

料理の本を読んでも、全然美味しくないのと同じですね。



ユーモアとはちょっと違うかもしれませんが、
『笑うから楽しい』
のは、そうだと思います。


本当は、ユーモアがなくてもお互いのことを信頼しあえて、
分かり合える。
そういう関係が理想なのかもしれませんね。




2010/02/05 10:59 | 未分類COMMENT(4)TRACKBACK(0)  TOP

『2月3日』

みなさま、こんにちは。


昨日は色々と嬉しいことがあった1日でした。

ホームページをご覧頂いて、色々とご相談下さった方。

「ありがとうございました。」

その後、ご丁寧にメールもいただきました。

>岡山にひろなか先生のような先生がいると、妙な安心感がわきます。

という過分なお褒めの言葉も頂きました!
本当に嬉しいですよ~!笑



また、昨日の授業が終わってから、ある小6の女の子が、
こんなことを言ってくれました。

「センセ、この塾のチラシかなんかあるん?」


「あ~、一応あるよ。」


「1枚、ちょうだいっ!

あんな、今日、算数の時間自習をしてて、って先生が言うから、
私な、『どんぐり』の問題やっとったんよ。

そしたらな、隣の子が、『なにしょん?』ってのぞいてきたから、
見せてあげたん。

そうそう、この絵がいっぱい描いてある問題な。笑


そしたらな、その子が
『ええなぁ~。これ塾の問題?』
って聞くから、
『そうよ。』
って答えたら、
『今、私、○○(大手の塾)に行ってるけど、授業あんまり面白くないから、
△△ちゃんの塾に移ろうかな~。なんか、チラシとかある?』
って聞かれたんよ。

だから、渡しとくケンなっ!」笑


なんて嬉しいことを笑顔で言ってくれました。笑



「勉強は、本来楽しいもの。

楽しくないのは、やり方を間違っているだけ。」


「おにぎりは、本来美味しいもの。
美味しくないのは、やり方を間違っているだけ。」


まぁ、別に『おにぎり』でなくても良いのですが。笑
この言い回し、似ています。


料理は段取り八分(はちぶ)、と言います。
段取りが命です。

勉強も段取り八部、です。
何をどう教えるか、順番を間違っては素材が台無しです。


「素材を活かすことが、料理上手」
であれば、
「子供の個性を活かすことが、子育ての大前提」
になると思います。

2010/02/03 10:49 | 未分類COMMENT(4)TRACKBACK(0)  TOP

教育相談

みなさま、こんにちは。


最近は特にそうなのですが、
新年度がそろそろ始まる、ということもあってか、
教育相談のような話をちょくちょくお受けすることがあります。


そのときに私が気をつけていることは、
「今、何かに依存しておられる心を
私に摩り替えることだけはすまい。」
ということです。



「どういう子になって欲しいですか?」


ということを、大人はしっかりと考えていかないといけないと思います。



「自分でしっかりと考えられる子になって欲しい」

のであれば、早期教育でスピードを重視することは
役に立ちません。


「しっかり考えること」と「スピード」は両立しないのです。


どんなに感動的な映画も音楽も、3倍速で見たり聞いたりしても
感動しないのと同じです。



「人の気持ちの分かる子になって欲しい」

であれば、大人がまず誰よりも子供の気持ちを理解してやらなければ
なりません。

子供の話を場合によっては我慢して聞き、
時に先が見える話も、しらなかったかのように
大げさに驚いてやったり、
大笑いしてやったり、
そうして一緒に楽しんでいること、
一緒に腹を立てていること、
一緒に悲しんでいること
一緒に苦しんでいることを
表現してやらなければなりません。

大人がせずに、子供だけにやれというのは、
自分たちが子供の頃に味わったのと同じ矛盾ではありませんか?笑



「勉強くらいは出来る子になって欲しい」

小学校時代の勉強の結果、特に通知表は「先生の感想」くらいに
思いを留めておくことです。

通知表が悪かったからといって、その子の人生が駄目だという風に
烙印を押されたわけではありません。

自分の子供をしっかりと見ていれば良いだけのこと。

自分の子供の評価を他人(先生)に委ねてしまっては、
誰の子なのかわかりません。


子供には子供の生まれ持ったテンポ、スピードがあります。

食べるのも速い子もいれば、
遅い子もいます。

速い子も、とりあえずのお腹を満たせば、
それからは味わって食べることができます。

遅い子も、1つ1つを味わいながら
食べています。


そのスピードを無視しては、
何を食べても同じになってしまいます。


人はサプリメント(栄養補助食品)だけを食べて生きていくことが
できないように、
要素だけを抽出した勉強に意味はあまり感じられません。



勉強とは、自己肯定感を育むための
ツールの1つに過ぎません。


勉強とは、知恵を育むための
ツールの1つに過ぎません。


しかし、その土台に「感情の安定」ということが
前提です。


何かの感情(多いのは寂しさですが)に支配されてしまっている
心で勉強しても、もう一杯いっぱいのところには、
何も入らないのです。

私たちは、心で勉強しているからです。


今、勉強ができない、と思っておられる方。
実は、問題は勉強以外のところにあるのかも知れません。




子供は、いつか必ず親の元を旅立っていきます。

生き別れか、死に別れか、
そのいずれかが必ず訪れます。


そのときに、子供が一人でも生きていけるような
知恵と知識をつけてやること。


それこそが「教育」だと思うのです。

そこをゴールだとしたときに、
どのようなアプローチをするのか。


この先の見えない時代だからこそ、
原点に戻って考えられることだと、
私は思います。

2010/02/02 11:54 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

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