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飽きるまで与えること

久々に塾の様子を。笑


Iちゃんは小3です。
3ヶ月ほど前は、02の問題(小2用)をやっていましたが、

「難しいから嫌だ!」
とちょっと及び腰でした。


「そっか、難しいかな?

じゃあ、ちょっと簡単な問題でもやってみる?
わからなくても良いからさ。」

とどんぐり倶楽部の00シリーズ(年長さん用)の問題を渡してみました。

もともと、絵を描くことは好きな子でしたので、

「え~!」
なんて言いながらも、スラスラと解けました。


「できた~!!」
なんて笑顔も久々です。


「おお~!
ちゃんとできるじゃん。

もうやめとく?」


「いや~!
まだやる~!!」


「ええ~!
そんなに勉強したら、バカになるよ!笑

じゃあ、どうぞ。」


なんて笑いながら、もう1問もがんばっていました。



そんな感じで3ヶ月ほど経ったある日、

「私、そろそろ00シリーズ解くのも飽きてきちゃったな~。
もう少し難しい問題やってみよっかな~。」


「ええ~!
大丈夫?

まぁ、難しいと思ったら、また00シリーズに戻ったら良いからね。」


と一応アドバイスをすると、

「ガンバル!」
との声。

頼もしい笑顔でした。


その日以来、以前は
「難しいから嫌だ!」
と言ってた02の問題を、楽しくやっています。


「やっぱり、手応えが違うな~!」
なんて言いながら。笑



飽きるほど与えること。


親から十分に愛情を注いでもらったと思った子が
自立するのが早いのも、同じ理由なのかもしれませんね。

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2009/11/27 12:47 | 未分類COMMENT(4)TRACKBACK(0)  TOP

秋刀魚の歌


あはれ
秋風よ
情(こころ)あらば伝えてよ

――男ありて
今日の夕餉(ゆうげ)にひとり
秋刀魚を食らひて
思ひにふける と。


さんま、さんま、
そが上に青き蜜柑の酸(す)をしたたらせて
秋刀魚を食ふは その男が ふる里のならひなり。

そのならひを あやしみ なつかしみて女は
いくたびか 青き蜜柑を もぎ来て 夕餉にむかひけむ。


あはれ、人に捨てられんとする人妻と
妻に背かれたる男と 食卓にむかへば、
愛薄き父を持ちし 女の児は
小さき箸を あやつり なやみつつ
父ならぬ男に さんまの腸(わた)をくれむと 云ふにあらずや。


あはれ
秋風よ
汝こそは見つらめ
世の常ならぬかの団欒(まどい)を。


いかに
秋風よ
いとせめて
証せよ
かの一ときの団欒 夢に非ずと。


あはれ
秋風よ
情あれば伝えてよ。


夫を失はざりし妻と
父を失はざりし幼児とに伝へてよ。

――男ありて
今日の夕餉にひとり
さんまを食ひて
涙を流す と。


さんま、さんま、
さんま、苦いか 塩っぱいか。
そが上に 熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふは いづこの里のならひぞや。


あはれ
げにそは 問はまほしくをかし。





秋風に吹かれながら、夕日をじっと見ていると、
泣きたくなるほどの寂しさが湧きあがってくることがあります。

心から誰かに傍に居て欲しいと思う時があります。


私にとって、この佐藤春雄さんの『秋刀魚の歌』は、
そんなメランコリックな感傷に
いつでも浸ることのできるスイッチのような詩です。


ご存知の方は、ミスターチルドレンの『くるみ』のPVがフラッシュバック
するかもしれませんね。笑
私も泣きました。笑


私がこの詩を読もうと思った最初の動機は、何のことはない、
「タイトルが 泳げたいやき君みたいだったから」です。
コミックソングだと思ったのです。笑

しかし、1行目からノックアウトされました。
中1には難しすぎました。笑


その後、長らくご縁がなかったのですが、ある日、
いつも聴いていた「さだまさしのセイヤング」で、
さださんがこの詩を朗読されたではありませんか!

そして、そのあと、さださんがその詩について色々と感想を
述べておられました。

その内容は忘れてしまいましたが、翌日、私がさっそくその詩を
探しに行ったのは言うまでもありません。笑


今、二人の子の父親となって、この「男」の心境が痛いほど分かります。
本当に痛いのです。

その男性は本当にその女性(この場合は谷崎潤一郎さんの妻 千代さん)
を愛していたのですね。
そして、女の子も大好きだった。

「愛薄き」と自分で言えるほど、愛が深かったのでしょう。

そして、頼りない秋風にさえ、
「かの一ときの団欒 夢に非ずと」
確かに在ったのだと証明して欲しいと頼みます。

心中察するに余りあります。



何年か経った後、佐藤春夫さんと千代さんは一緒になりますが、
「あのときと変わらない気持ちを持ち続けている」
と言い切ったそうです。

ハッピーエンドで良かったですね。



でも、
「そいえば、あの時、一人で秋刀魚を食べたことがあって、
・・・泣いたなぁ。」
なんてしみじみ語ってもらいたいです。笑

少し寂しそうに笑う春夫さんの手を、千代さんがそっと握り締めながら、
「でも、今はみんなで笑いながら食べられるじゃありませんか。」
って、微笑んで欲しい!笑

そして、青い蜜柑がバスケットの中なんかに入って、
そっとその横に添えられたりしているのです。

2009/11/26 10:28 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

桃太郎伝説のおしえ

日本全国で「うちが桃太郎の話の発祥の地だ!」
という主張があちこちでされているそうですが、
まぁ、それはともかくとして・・・。笑


岡山県に来れば、誰でも一度は耳にするのが、ご存知「桃太郎」の話です。


むかしむかしのお話です。

あるところに、子どもが欲しかったお爺さん、お婆さんがいました。
ある日、お爺さんは山へ芝刈りに、お婆さんは川へ洗濯に出かけます。


川で洗濯をしていたお婆さん。

ふと、見上げると川上からドンブラコ、ドンブラコと大きな桃が流れてきます。
「まぁまぁ、なんと大きな桃だこと!」
お婆さんは喜んで、お爺さんと一緒に食べようと家に持って帰ります。

そして、包丁を入れると中から出てきたのは、なんと玉のような男の赤ちゃんでした。

桃から生まれたこの子を、お爺さん、お婆さんは「桃太郎」と名付け、
大切に育てました。



やがて大きくなった桃太郎は、村が鬼に襲われて困っていることを知ります。

「私が鬼を退治して参ります。」

そう、お爺さんとお婆さんに告げると、お婆さんは日本一のきび団子を作って、
桃太郎に持たせました。



道中、一匹の白い犬が桃太郎の元へやってきました。

「おお、ハチ~。」

とは桃太郎は言いません。笑


「桃太郎さん、お腰につけたきび団子
1つ私にくださいな。」

「あげましょう。
これから鬼の征伐に供いていくなら、あげましょう。」

その後、サルとキジも家来に供につけ、鬼が島へ到着。



「私は空を飛べますので、鬼たちの様子を見て参りましょう。」
キジが申し出ます。

暫くして帰ったキジは、こう報告しました。
「鬼たちは、酔っぱらって寝ています。」


「では、私は身が軽いので、扉を内側から開けて参りましょう。」
サルが申し出ます。

「桃太郎さん。鬼は角が弱点と言います。
角を切ると力が出なくなるのです。

私が鬼たちの気を引きますので、
その隙に鬼たちの角を切ってください。」
イヌが申し出ます。


イヌ、サル、キジの活躍で、桃太郎は次々と鬼の角を切っていきます。
最後には、鬼の親分である赤鬼の角も切りました。

「桃太郎さん、
もう我々は力が出ません。
降参します。
もう村も襲いません。
宝物もお返しします。」
赤鬼はひれ伏して、こう言いました。

「分かった。
もう二度と人間を襲わないと約束するならば、お前たちを許そう。」

「約束します~。」


桃太郎は宝物を持って帰って、お爺さん、お婆さんと幸せに暮らしました。


というのが大体の流れだと思います。
やや、弘中バージョンの解釈も入っているかもしれませんが。笑



よく言われるのは、
桃太郎が象徴とされているのは、「健康」。

きび団子は「経済」。「経済観念」と言っても良いかもしれません。

イヌは「忠誠心」、「誠実さ」。

サルは『サル知恵』というくらいですから、「知恵」

キジは、『焼け野の雉子(きぎす) 夜の鶴 山は焼けても 山鳥は立たぬ』
というくらいですから「勇気」を表す。


これらを持って、「渡る世間は鬼ばかり」という社会に出るなら、
きっと、「信頼」という宝を得て大成するだろう、という解釈もあるようです。



それ以外にも、この話は示唆に富む内容だと思います。

まず、子育てをするには、「親」よりも
「お爺さん、お婆さん」が適しているのではないか、という点。

お爺さん、お婆さんが子育てに適しているのは、
「気持ち的な余裕」、
「経験量」、
「知識」、
「自分よりも他人を愛せる心」、
などが若い親たちよりもあるからでしょう。


また、お婆さんが桃太郎にさずけた「きび団子」。
「日本一のきび団子」なんてものは、
当時、物産展などがなかったのですから、
本当に「日本一」なのかどうかなんて、わかりません。笑

でも、1つだけ日本一である真実があります。


それは、
『お婆さんが、日本で一番心を込めて、
桃太郎のために作ったきび団子である』
ということです。

そう考えれば、毎日、毎時間、毎食、
お母さん、お父さん方は、自分の子どもたちのために、
「日本一」
を授けてあげることができます。

「日本で一番、自分の子供を思っている」
ということ。

もちろん、日本一どころか世界一、宇宙一かもしれませんね。笑



そして、桃太郎は鬼を殺さない、ということ。

「罪を憎んで、人を憎まず」
という言葉もあります。

今は、テレビの影響もあってか、
色々な事件をリアルタイムに知ることができます。
今までも、考えられないような事件も沢山ありました。


でも、

「ありえな~い!」
の一言で、その人の全人格を否定することはなかったか。


「人の振り見て、我が振り直せ」
という言葉もあります。


何かを否定している間は、それを直すことはできません。
それを受け入れた時に、成長するチャンスが訪れると思うのです。



昔話は解釈が色々できます。
本当に面白いですよね。

2009/11/25 11:13 | 未分類COMMENT(2)TRACKBACK(0)  TOP

『あなたの中の最善のものを』

人は不合理 非論理 利己的です 

気にすることなく 人を愛しなさい


あなたが善を行なうと 利己的な目的で それをしたと人は言うでしょう 

気にすることなく 善を行ないなさい


目的を達しようとするとき じゃま立てする人に出会うでしょう 

気にすることなく やり遂げなさい


善い行いをしても おそらく次の日には忘れられるでしょう 

気にすることなく なし続けなさい

 
あなたの正直さと誠実さが あなたを傷つけるでしょう
 
気にすることなく 正直で誠実であり続けなさい


あなたが作り上げたものが 壊されるでしょう
 
気にすることなく 作り続けなさい


助けた相手から 恩知らずの仕打ちを受けるでしょう
 
気にすることなく 助け続けなさい


あなたの中の最善のものを 世に与えなさい 蹴り返されるかもしれません
 
でも気にすることなく 最善のものを与え続けなさい


 
最後に振り返ると、あなたにもわかるはず、

結局は、全てあなたと内なる神との間のことなのです 


あなたと他の人の間のことであったことは

一度もなかったのです



マザーテレサ





先日、国際塾で「恕」の話をお伺いしました。

「恕」とは優しさ。
一言で言えば、
「己の欲せざるところは、人に施すなかれ」
ということ。

自分がされたくないことは、人にもしないということ。

逆に言えば、
自分がしてもらいたいな、と思うことを人にもしてあげること。

ただ、それだけです、と。


確かにその通りだと思います。


そして、もし
「何が良いか」
を考えるときには、
心のままに従えば良いのでしょうね。

良心に聞くということ。


「恕」とは、文字通り

「心の如く」

ということでしょうから。

2009/11/24 09:45 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

watotoへのご来場、本当にありがとうございました!

みなさま、こんにちは。


先日のwatoto公演に、本当に沢山のご来場を頂きました。


関係者の一人として、心よりお礼を申し上げます。
本当にありがとうございました!

岡山にも、これだけ「チャリティーコンサート」にご賛同頂ける方々がいた
ということが、本当に嬉しかったです。

ある方も同じことを思って下さっていたようで、
「私も、あの時は自分が岡山人でいることが誇らしかったもん!」
と仰って下さっていました。



しかし、席数に対してチケットを販売し過ぎたようで、
座席でなく、通路に座ることになってしまったお客様、
また、会場にすら入れず、玄関ロビーでのプロジェクタ上演で
ご覧下さった皆様。
また、「座れないんだったら、チケットを払い戻してくれ!」
と仰っておられたお客様もいたようです。

本当に申し訳ございませんでした。

でも、雨が降っている中、
足元の悪い中で、そこまでして見に来ようの思って下さったことが、本当に嬉しかったです。


Watotoの子どもたちの笑顔が全てを物語っていたように思います。


公演が終わってから、さっきまで踊っていたwatotoの子どもたちも玄関先でお見送りをしていました。

私もその子供たちに混ざって、
「ありがとうございました!」
とお見送りをさせて頂きました。


ホントに大勢のお客様がその子たちの手を握り、
「ありがとうね!」
「がんばってね!」
「応援しているからね!」
「Thank you for your smile!」
など、色々と仰ってくださっていました。

中には、涙を流しながら、
「辛かったよね。
苦しかったよね。
でも、ホント、よかったね」
と両手でwatoto子どもの手を握り締めながら、語りかけておられるご年配の方も
いらっしゃいました。


私も、授業の関係で30分ほど遅れて会場に入りましたが、
すでに玄関ロビーまでいっぱいでした。
そこで、聴いた『アフリカの子守唄』。
聴いているうちに、色々なことを思い出してしまって、
気がついたら涙が出ていました。


親に抱きしめられなかった子どものこと。
子どもを抱きしめることができなかった親のこと。

今、私が抱きしめることのできる子どものこと。
抱きしめることのできなかった子どものこと。
我が子のこと。



みんなが、抱きしめられて生まれてきたということ。


寂しさを知ると、愛しさも理解できます。





アフリカの子守唄


誰が私に子守唄を歌ってくれるの?
誰が泣いている時に抱きしめてくれるの?

朝、目が覚めるとそこには誰もいなかった。
誰が私に子守唄を歌ってくれるの?

たった1つの藁の敷物
2人の姉妹と1人の弟を残し、
私の父は死んでしまった。

今、私は母に向かって泣く

誰が夜中私たちを守り、見守ってくれるの?
誰がろうそくの火をそっと吹き消してくれるの?

誰が子守唄を歌ってくれるの?
誰が泣いているときに抱きしめてくれるの?

朝、目が覚めると、そこには誰もいなかった。
誰が私の子守唄を歌ってくれるの?


あなたは私の子守唄を歌ってくれますか?
私が泣いているときに抱きしめてくれますか?

朝起きた時に、そこにいてくれますか?
私のために子守唄を歌ってくれますか?

あなたは私の子守唄を歌ってくれますか?
私が泣いているときに抱きしめてくれますか?

朝起きた時に、そこにいてくれますか?
あなたは私の子守唄を歌ってくれますか?





誰かが、誰かのための寄り添うことは、
与えているように見えて、
実は沢山のものを受け取っているのです。

2009/11/16 10:43 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

島田紳助さんの話より (過去ログより)

みなさま、こんにちは。


最近こんな話を聞きました。


タレントの島田紳助さんは一人っ子で、小さい頃から親にとても大きな期待をかけられて育てられたそうです。

「おまえは勉強できるんや。
だから勉強せい。
いくらでも勉強させたる」

しかし、親の期待が重すぎて、自分はそういう親にはならないと心に決めていたそうです。
その代わり、ご自身の3人のお子さんには、小さい頃からいっぱい話をしたと言います。



「何もでけへんかった親ほど、自分の子供に夢をたくすんや。
自分がでけへんかったものを、お前やれって、おかしいやろう。
やった親が言うんやったら分かるけど、でけへんかった親が言うのはおかしい。
俺は勉強でけへんかったから、おまえら勉強せえなんて言わへん。

おまえらが将来どうなろうが一切関係ない。
何の期待もしていないのとはちゃうぞ。
愛しているからこそ、期待しないんや。」

と、言い続けたそうです。



長女さんが高校生の時に、
「おっとう、3000円のCDが欲しいから買ってくれへん?」
と、父親の紳助さんに言いました。


紳助さんはこう答えたそうです。

「よその子やったらCDでも服でも買うたるわ。
その子がそれで俺を『いい人や』と思ってくれさえすれば、あとはどうなってもかまへんから。でもお前は、愛する娘やから、買うわけにはいかんのや。
俺が買うてやればお前は喜ぶ。
その喜んだ顔見て、親はメチャメチャ嬉しいのや。な。

でもそれは、自分の金でCD買うというお前の喜びを、親が奪ってるのや。
わかるか?

だから親は買うたったら、あかんねん。
その喜びはお前の喜び、自分の喜びにしなあかんねから。
自分で買いや。
がんばれや!」



長女さんは分かったと言って、その翌日から何か始めたそうです。
1ヵ月後、新しいCDをかかえて紳助さんのところにやってきました。


「おっとう見てくれ!
3000円のCD買うたで!

毎日昼食代を100円ずつ節約して買うたんや。
めっちゃ嬉しいわ。
おとうの言ったことわかったわ。
なんか、自分で買うたっていう気がすんねん。
大事にするわ!」



島田紳助さんは、子供の部屋にはテレビも電話も置かず、寝るまではみんなリビングに居させたと言います。

子供が自分の部屋に入ったら、
「降りておいで。おもろいで!」
とすぐに呼ぶ。

「こもらしたらアカン」
といって、いつもみんなと居させる。

一人にさせず、とにかく親子で話をする。
話し続けること、そして触れ合い続けることが大事なのだと、
紳助さんは語っているそうです。



紳助さんがお子さんにCDを買わずに、お子さん自身に買わせたこと。
ヒントはあげるけれど、最終的に得られる「達成感」は自分のものだということ。



スウェーデンだったか、ノルウェーだったかのことわざに、
「魚を与えれば1日生き延びるが、魚の取り方を教えれば一生生き延びる」
というようなものがあるそうです。



答えだけを教えるのは簡単ですが、子ども達は成長しません。


ジッと待つことの大変さ。

そして、ジッと待つということの大切さ。


ただ答えだけを教えるのは、
親が煩わしさから解放されたいだけです。


学習の主役は、常に子供でなければなりません。




そういえば、誰もが子どもの時分は、時間が死ぬほどありましたね。(笑)

大人と子供の時間感覚は違うということだと思います。


子どもと対峙するときは、その感覚を忘れずに、
そして、子育ての主役は子どもだということを忘れずに、
子どもの成長のスピードに合わせていくことが大切なのだと思います。

2009/11/11 12:43 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

怒りを暴力的に解決しないこと (過去ログより)

みなさま、こんにちは。


さて、今日は痛い目覚めでした。
息子のケンゴ(6歳:体重28キロ)が、朝6時半頃、私の上にいきなり飛んで乗りかかってきました。そのときに、足を曲げていたのだと思うのですが、彼の右ひざが私のみぞおちに思いっきり入り、さらに左のひざはわき腹を直撃。

全く無防備な状態にいきなりの攻撃でしたので、冗談ではなく、しばらく息ができませんでした。

激痛に耐えながらも、頭だけは冷静に周囲を感じていきました。
息子は、最初は、
「へへへ。」
と少しヘラヘラしていましたが、あまりにも私が痛がっている様子が続いていたので、取り付く島もないのか、私の背中をさすってきました。

それが、余計に痛みを感じさせるさわり方だったので、
「痛い、痛い」
というと、今度は泣きながら、
「とうちゃん、ごめんなさ~~~い!」
でした。


そこで、いっそ私も語気を荒げて、
「ばっかやろ~!!
そんなことしたら、死ぬかもしれないだろうがっ!
何考えてんだ、このボケっ!
おまえなんか、もう知らんっ!」
と上品に怒ることもできます。

しかし、子どもは一旦怒られると、それが「許される」と思ってしまいます。
懺悔をすれば、全ての罪が赦される、と思い込んでいるようなものです。
(特定の宗教のことではありません)

そうなれば、今度は「バレなきゃいい」とか、「バレても叱られればそれで済む」とか、そういう安易な思考回路になりがちです。

もし、本当にそれを子どもにやって欲しくないのであれば、「叱られない」という不快感を子どもに持たせる必要があると思うのです。


「何か大変なことをしてしまった。」
ということは、見ればわかります。
(今回も、相当痛かったので、それは息子にも十分に分かったでしょう)


「自分が悪いことをした」
と感じたから、「ごめんなさい」と泣きながらでも謝ったのだと思います。


ですから、私ももうそれ以上は責めませんでした。


しばらくして、立ち上がれるようになったとき、
傍にいる息子に向かってこう言いました。


「ケンゴ。
今の気持ちをよく覚えておくんだよ。

今の気持ちが嫌な気持ちなら、もう同じことをしちゃいけないよ。」



「うん、わかった・・・。」




「暴力を暴力で解決する方が早い」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、それでは、暴力の連鎖はいつまで経っても切れません。
子どもにも、
「小さな力に対抗するには、より大きな力で向かえば良い」
ということを教えるだけです。


片一方でそういうことを言いながら、もう片方で、
「仲良くね」
と言う声がけをするのは、矛盾していると思いませんか?


少なくとも、私は自分の子どもに、暴力を暴力で解決する人にはなってもらいなくないので、身体をはってでも、それを教えていきたいと思っています。

2009/11/11 12:30 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

江原啓之 講演会にて

みなさま、こんにちは。


先日、吉備国際大学で行われた江原先生の講演会に行って参りました。


「スピリチュアル 江原啓之の世界」

と大弾幕に描かれてありましたので、
『ストラーダ』を朗々を1時間ほど歌われた後、
アンコールで、実に寂しげに、『森のクマさん』を歌われたどうしよう、
と思っていましたが、全くの杞憂でした。

壇上から
「これから度々参りますが、宜しくお願いします。」
とご挨拶があったときは、率先して拍手させて頂きました。笑


それにしても、今回はいつもに増して早口で、
今回初めて講演会におつれした70歳近い「お友達」の方(光栄です)も

「ちゃんと、聞きとれますか? 大丈夫ですか?」

と少し心配だったのですが、終わってから、
「ああ、テレビで見る江原さん通りだったよ。
本当に綺麗なオーラをしておられるね。

今日は、本当に連れてきてくれてありがとう。」
と両手を合わせてくださっていたので、本当に良かったです。


会場は山を削って作ったような大学で、階段の多いところでした。

江原先生の講演ということで、結構お年寄りの方も目立っていたので、
足元大丈夫かな、と思っていた矢先でした。

会場への行きがけ、
私の目の前10メートルほど先で、階段を踏み外して転ばれた70歳くらいの
女性がいらっしゃいました。


「あ!」
と思った時、1歩足は出ましたが、間に合いませんでした。

急いで駆け寄ろうとした瞬間、
その女性の横のベンチに座っていた大学生の女の子がパッと駆け寄り、
「大丈夫ですか?」
と、声をかけました。

次の瞬間には、反対側にいた男の子たちも、
「怪我はありませんか?」
と駆け寄っていました。

すると、本当に見事な連携プレーで救急本部に連絡し、
数分後には携帯用の救急箱を持った学生たちが駆けつけてくれました。

湿布をし、車椅子を用意して、見事な手際の良さで、
その女性を医務室に連れて行ったようです。


私も駆けつけようと思いましたが、返って邪魔になるといけないと思い、
少し離れた場所で、無事を祈らせてもらいました。

あの女性、
ちゃんと講演会にいらっしゃることができたのか、少し心配でしたが、
学生たちの行為に心温められました。


今回の講演では、
「幸せになる10の法則」
という内容が話されました。

以下、私のメモですが、ご参考程度にどうぞ。



・感情よりも理性を優先させること

  叱るは理性。演技なんです。演技ということは、ちゃんと客観的に
  自分を分析していないといけない。
  あたるは、感情。子供を自分の感情のはけ口にしないこと。


・大我と小我を分けて、大我で生きること

  お金の貸し借りのときが分かりやすい。
  「お金を貸さないとケチだと思われたくない」という思いで貸すから、悶々と悩むことになる。
  結局は、自分が良い人だと思われたいだけ。
  つまり、人を思うよりも自分だけしか愛してないんですね。
  そういう考え方を「小我」と言います。

  一方、大我とは、自分よりも相手を思っていきること。


・バランス感覚を大事にすること
  真(しん)副(そえ)控(ひかえ)を常に考えておくこと。
  余命があと半年だと言われたら、今悩んでいることは大事なことですか?


・天職と適職を分けて考えること



・言霊と音霊を大切にすること
   自分の持つ、一番良い声で返事をするようにね。


・愛情を持つこと 
   何でも思い通りになる世界って、幸せかどうか、考えてみてください。
   そうすれば、思い通りにならないことにこそ愛情があるって、気づきます。


・美意識を持ちましょう
   花一輪飾る心の余裕につながります。


・念力を意識して生活しましょう
   思いが身体を動かします。
   思うことは、それだけでエネルギーを発します。
   だとしたら、「あいつなんかいなくなっちゃえ」というエネルギーはどこにいくのでしょうか。
   自分の思いに責任を持ってください。
   祈りも大事にね。


・波長を大事にすること


・カルマを大事にすること
   自らが撒いた種は自らが刈り取ります。
   自分が幸せになろうとおもうなら、
   人を幸せにしましょう。


当日、ご一緒しました方々、本当にありがとうございました!

2009/11/09 11:15 | 未分類COMMENT(4)TRACKBACK(0)  TOP

速さを強要しないこと

みなさま、こんにちは。

昨日は、小6と中2の授業でした。
中2の子たちは、分数が苦手のようでしたので、基本から教えていきました。


「『÷3』と『×1/3』が同じ操作を要求されている」
ということを知らなかったようで、その辺りからの説明でした。

小学校の算数で、「分数」は確かに鬼門でしょうね。
イメージしにくいと言うか、イメージがきちんとするまで「視覚化」出来ていない感じでした。


小学校の時に、具象的な数字を使っての練習(=遊び)をしっかりしていないと、中学に入っていきなり文字式で、
「文字でかける」とか、
「文字で割る」とか、
そういうことが、「何をしているのか、わからない」という風になりがちです。


だからと言って、「計算問題」を沢山すれば良いというわけではありません。

事実、この子達も「計算問題」だけは、沢山やってきた子たちなのですから。

お母さんも言われていましたが、
「小学校のときは、80点以下を取ったことなどなかった」
そうなのです。


大切なのは、
「じっくりと考えること」
「じっくりと楽しむこと」
です。

昨日の授業で、「どういう意味か」ということは大分意味が分かってきたようでしたので、もう少しだけ練習をさせていこうかと思っています。



一方の小6の授業。
昨日は時間を取って、こんな問題を考えてもらいました。


「○○○ △△ =170
 ○○○○ △ =160
 ○=?  △=?」


あれやこれや色々と考えてくれました。
A4の紙を3枚くらい使ったでしょうか。(笑)

15分くらいしたところで、
「ちょっと休憩する?」
と言っても、
「いや~! もうちょっとで解けそう!」
とずっと集中していました。(笑)


30分くらいしたところで、
「あぁあぁあぁあああ!! そうか!」
と気づいてくれました。(笑)

素晴らしく良い笑顔でした。

今日の感想に、
「今日はすっごく頭を使った感じがする。疲れたけど楽しかった!」
と書いてくれました。


こういう感覚が毎回あると、勉強も楽しくなるのかもしれません。

そして、見る人が見れば分かりますが、この問題は連立方程式の問題にもなります。

3x+2y=170
4x+y=160

という風な式にも、書こうと思えば書けます。

しかし、その式が、上記の○△の絵図に描き直せる生徒は、逆に何人くらいいるでしょうね。


「連立方程式の解き方」を教えることは簡単です。
しかし、その原理を自分で気づいて、解き方を考えること。
これは、今までの知識をフル動員してかからなければできません。

その経験こそが「宝」なのだと思います。

そういう練習をしている時期なので、スピードであおってはいけないと思うのです。

2009/11/02 12:56 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

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