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永訣の朝

みなさま、こんにちは、


今朝、小1の息子が自主勉強に何かしているようでしたので、
何気なくのぞいてみると、何と、宮沢賢治の『永訣の朝』を
ノートに写していました。


「ええ~!
ケンゴ、それって、宮沢賢治の永訣の朝、じゃが!

意味わかるん?」


「え~、わからん。」


「(ガク) まぁ、そうよなぁ~。
でも、その詩は父ちゃんも大好きな詩だよ。」


「ふ~ん。」


それだけで良いと思いました。
あえて、「覚える」とかそういうことを言わなくても、
本人が覚えたければ覚えるでしょうし、
その詩に興味がわけば、意味を教えて欲しいと聞きにくるでしょう。



それにしても、永訣の朝とは・・!

私も何度、この詩を朗読したでしょうか。

賢治の胸の張り裂けそうな痛みを、
リアルに感じる詩です。







けふのうちに
とほくへ いってしまふ わたくしの いもうとよ
みぞれがふって おもては へんに あかるいのだ
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)

うすあかく いっさう 陰惨(いんざん)な 雲から
みぞれは びちょびちょ ふってくる
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)

青い蓴菜(じゅんさい)の もやうのついた
これら ふたつの かけた 陶椀に
おまへが たべる あめゆきを とらうとして
わたくしは まがった てっぽうだまのやうに
この くらい みぞれのなかに 飛びだした
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)

蒼鉛(そうえん)いろの 暗い雲から
みぞれは びちょびちょ 沈んでくる
ああ とし子
死ぬといふ いまごろになって
わたくしを いっしゃう あかるく するために
こんな さっぱりした 雪のひとわんを
おまへは わたくしに たのんだのだ
ありがたう わたくしの けなげな いもうとよ
わたくしも まっすぐに すすんでいくから
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)

はげしい はげしい 熱や あえぎの あひだから
おまへは わたくしに たのんだのだ

銀河や 太陽、気圏(きけん)などと よばれたせかいの
そらから おちた 雪の さいごの ひとわんを……

…ふたきれの みかげせきざいに
みぞれは さびしく たまってゐる

わたくしは そのうへに あぶなくたち
雪と 水との まっしろな 二相系をたもち
すきとほる つめたい雫に みちた
このつややかな 松のえだから
わたくしの やさしい いもうとの
さいごの たべものを もらっていかう

わたしたちが いっしょに そだってきた あひだ
みなれた ちやわんの この 藍のもやうにも
もう けふ おまへは わかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)

ほんたうに けふ おまへは わかれてしまふ

ああ あの とざされた 病室の
くらい びゃうぶや かやの なかに
やさしく あをじろく 燃えてゐる
わたくしの けなげな いもうとよ

この雪は どこを えらばうにも
あんまり どこも まっしろなのだ
あんな おそろしい みだれた そらから
この うつくしい 雪が きたのだ

(うまれで くるたて
  こんどは こたに わりやの ごとばかりで
   くるしまなあよに うまれてくる)

おまへが たべる この ふたわんの ゆきに
わたくしは いま こころから いのる
どうか これが兜率(とそつ)の 天の食(じき)に 変わって
やがては おまへとみんなとに 聖い資糧を もたらすことを
わたくしの すべての さいはひを かけて ねがふ

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2009/08/27 15:20 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

北風と太陽

みなさま、こんにちは。

今日は、ちょっと覚書のような書きこみです。



力は食べ物を口に押し込むことはできるが、
食欲を湧かせることはできない。

力は人を床につかせることはできるが、
眠りに誘うことはできない。

力は他人の秘密を暴くことはできるが、
信頼を生みだすことはできない。

力はお世辞を言わせることはできるが、
真の賞賛を得ることはできない。

力は奉仕活動を行わせることはできるが、
他人に愛を生みだすことはできない。

力でできることは抑制に過ぎず、
人を真に幸せにすることはできない。



2009/08/25 11:09 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

国際塾

みなさま、こんにちは。


昨日は、国際塾がありました。

今回は、山陽放送の常務取締役でいらっしゃる原 憲一さんをお迎えして、

「今、若者に伝えたい3つの紛争、戦争」

というタイトルでお話頂きました。


1つめは、パレスチナ問題・ガザ紛争、
2つめは、湾岸戦争、
3つめは、コソボ紛争
でした。


実際に現場で撮られた映像も見ながらの講義に、
どの高校生も釘づけでした。


戦争は、決してボタンを押し合うだけのものではないこと。


そこには、人がいて、弾に当たれば血も出て、
悲しみ、心配する家族がいて、
愛する子供もいる、
ということ。


そういう現場の空気が、充分に伝わってくる映像でした。



戦争というと、「悪人」の代表のように「ヒトラー」が出てきますが、
はたして、ヒトラーは、「悪いことをしている」という意識で、ユダヤ人を虐殺したりしたのでしょうか。

否、ヒトラーは、
「ドイツ国民を助けようとして」
やったに過ぎません。

つまり、自分の価値観に照らし合わせてみれば、
何も「間違ったこと」をしているとは思っていないのです。


そういう「正義感」こそ、
よく吟味してみないといけないと思います。



そして、国際平和は、家庭と地続きである、ということ。

ノーベル平和賞を受賞した際に、マザーテレサが、インタビュアーに

「世界平和のために、私たちができることは何ですか。」

と聞かれ、マザーテレサはこう答えました。



「家に帰ったら、家族に優しくしてあげてください。」


外の平和を実現しようと思ったら、
まずは、内側の平和を実現しなければならない。


そんなことを考えさせられた2時間でした。


みなさん、どうもありがとうございました!

2009/08/24 08:09 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

子供の笑顔

みなさま、こんにちは。



200908161733000.jpg


今日も、アイリの笑顔からスタートです。笑



先程、江原啓之サポーターズ倶楽部で知りましたが、
次回の『オーラの泉』が最終回になるそうです。


確かに何の予告もありませんでしたので、
少々私も驚いてしまいました!


それにしても、4年半の長きに渡り、色々なバッシングもお受けになりお辛い気持になりながらも、
ここまで堂々とテレビの世界で話しくださった「霊能者」もいらっしゃらないでしょう。



「本当に、お疲れ様でした。

ありがとうございました!」


江原先生におかれましては、「人生の第三幕」
私も楽しみに、心を添わせて頂こうと思っております。



さて、ちょっとお知らせなのですが、
インターネットラジオをさせて頂いている

「radio camnet」さん

が、10周年をお迎えになりました!


謹んで、歓びを申し上げます!


で、な、な、なんと、その記念すべき10周年記念誌に、私の(しょーもない)コラムを
掲載して頂いております。笑

ま、ご興味のある方は、探してみてください。笑



「評判が良ければ、枠を広げる」


という、恐ろしいことを言われておりますので、
あまり褒めないでください。笑

私としては、ただ笑って頂くためだけに書いておりますのでね。笑




昨日も、子供たちの笑顔がいっぱい見れました。

問題を解き終わった後、

「ちょっと、先生に説明してくれる?」

と言ったとき、微笑んでくれる子は、間違いなく説明を聞いて欲しい子です。

色々と考えたことを褒めてもらいたいと思っている子です。


そんな子が説明を終えた時は、メチャメチャ褒めます。笑

すると、何も言わなくても、

「センセ、次(の問題)ちょうだい!」
と自分から頑張ってくれます。

そして、集中して考えてくれるのです。


そんなとき、私は黙って見守るだけです。

そして、それこそが、子供たちが望んでいることだと知ります。






先日、
ふと見上げたところに夏空がありました。


20090811125000078.jpg


でも、もうすぐ9月が来るんですね~。

2009/08/21 10:17 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

最近の娘のこと

みなさま、こんにちは。


昨日、家に帰ると、嫁が

「今日、アイリが寝返りを打ったんよ~!」

と嬉しそうに教えてくれました!笑

産まれてから、ちょうど200日目ですね!



最近はますます可愛くなってきました!

ははは。(親バカ)


最近のアイリです。


52.jpg



フフフ。可愛いでしょ?

嫁にはやらんっ! 笑

2009/08/20 12:06 | 未分類COMMENT(2)TRACKBACK(0)  TOP

他人を非難しない選挙

みなさま、こんにちは。


いよいよ、選挙が始まりますね。

しばらくは、街が騒がしい毎日が続きそうです。


昨日のニュースでもしていましたが、
民主党の党首さんが、一番時間を費やしていたのは、
与党批判だったとか・・・。


しかし、批判が建設的な話し合いにつながることはほとんどありません。
いつの間にか、感情論にすりかわって、結局、好き、嫌いというだけの話になりがちです。


そんな選挙は無意味だと思います。


人格攻撃や中傷、貶し合いのような泥仕合も必要ありません。



どの対立だと言われている候補もみんな良い人で、
公共の利益のために役に立ちたいと思い、
何かを成し遂げたいと思うから、権力を手にしたいと正直に認めること。


対立候補に関しては、ただ方法や優先順位が違うだけなのだ、
ということを明言できる政治家。


そういう方を支持したいですね。




「今は、複雑な時代です。

私たちが直面している課題、年金問題、雇用問題、日米関係、景気対策、
その他の問題には、取り組む方法が沢山あります。

私には私の考えがあり、他の立候補者には、その方々の考えがあります。

所属している政党が違うからといって、その人たちは悪人ではありません。

彼らは悪い人たちではないのです。


ただ、私と考え方が違うだけです。



どうか、私たち全員の話に耳を傾けてください。

立候補者全員の話を注意深く聞き、
納得の行かないことは、何でも気軽に聞いてください。

そのうえで、どちらに賛成するかをよく考えてください。



でも、これだけは知っておいて頂きたいのです。


ここは日本で、私たちは全て一体です。

私は知らないとか、知らなかった、ということはもう終わりにして頂きたい。


そして、私たちの政党の道が優れているのではなく、
目的を達成するための、道の1つに過ぎないのです。


分離や優越があるという、幻想の世界をもう終わらせましょう。

その幻想によって生まれる大きな相違を解決するために、
人間が殺し合うことを正当化する社会も、
もう止めましょう。


ヨーロッパでは、最近、『エデュケーション』、つまり『引き出す』という言葉の代わりに、
『ビルディング』、つまり、『建設していく』、という言葉が使われるそうです。


今こそ、違いを活かしながら、社会を建設していく時代です。

そういう選挙にしようではありませんか。」



そういう候補者はいらっしゃらないですかね~・・・?笑

2009/08/19 10:13 | 未分類COMMENT(2)TRACKBACK(0)  TOP

8月15日の『オーラの泉』を見ました

みなさま、こんにちは。


やっと時間が少し取れましたので、先日の15日放送分の
『オーラの泉』
を拝見致しました。

どのゲストの方も、終わった後は、本当に晴れやかな笑顔で
お開きにされていたようで、この番組を見ると心が温かくなります。



私としては、倉本聰さんとのお話がとても印象深いものでした。

とはいえ、倉本さんとは最初思えず、最初
「椅子に座っているのは、さだまさしさん?」
と思ってしまうほど、雰囲気がそっくりなんですね。笑


さださんが倉本先生に呼ばれて、
名作「北の国から」の第一話を一緒に見終わったとき、
倉本先生が開口一番、

「さだ、この話は暗くないか?」

とお尋ねになったそうです。さださんはすぐに、

「何を仰ってるんですか!?

全然そんなことないですし、こういう話こそ、今の社会には大切なんです!

私は、感動しました!」

などと、ベタ褒めしたそうです。

そしたら、倉本先生、ニヤと笑って、

「じゃあ、お前、曲書け。」



「はめられたんじゃないか。」

とさださんは仰っていましたが。笑


でも、そういうやり取りがなければ、さださんのあの名曲
「北の国から」
も生まれなかったわけです。

色々とつながっているのでしょうね。



そんな話を思い出しながら、見ておりました。





「見えないものへの敬いがなくなっていること」


「良心という目に見えないものを大切にせず、
法律という目に見えるものだけを大切にしてきた文明」


「便利と豊かさとをはき違えている社会」


「豊かさとは、モノが沢山あるということではなく、
心の状態なのだということ」



戦後の日本が歩んできた道は、開発という名の破壊を推し進めたのではないか。


そして、それは環境のみならず、教育というところにも、
「能力開発」という名の「人格破壊」が進んでいるのかもしれません。


できることが100個あっても、
本人がそのどれもを楽しいと思えなければ、
人生にとって、これほど不幸なことはないでしょう。


それを考えずに、ただ「生産性」だけを高めたような人間を育てても、
「豊かさ」にはたどりつけないと思います。



先の戦で亡くなった方々の思い、
その沢山の犠牲の上に、
今の「日本」が成り立っています。


しかし、「日本人」である前に、
私たちは、「地球人」であり、
また、「宇宙人」であることを忘れてはなりません。


全体でありながら、部分であるということ。

「今日」という日も、歴史の一部なのですね。

今日1日を大切にすることが、
人生を大切にすることなのだと思います。

そして、目の前の1人を大切にすることが、
人類皆を大切にすることにつながっていくのですね。


私に大切な家族があるように、
目の前の「敵」にも、大切な家族がある。


そうすれば、「殺す」ことはできないだろう。




終戦記念日に改めて、大切なことを思い出させて頂きました。


本当にありがとうございます。








フレディ あなたと出会ったのは 漢口


揚子江沿いのバンドで
あなたは人力車夫を止めた

フレディ 二人で 初めて行った レストラン
三教街を抜けて
フランス租界へとランデブー

あの頃私が一番好きだった
三教街のケーキ屋を覚えてる?

ヘイゼルウッドのおじいさんの
なんて深くて蒼い目

いつでもパイプをくゆらせて
アームチェアーで新聞をひろげてた



フレディ あなたも 年老いたらきっと
あんなすてきな おじいさんに
なると思ってたの

       
       本当に思ってたの



フレディ それから レンガ焼きのパン屋の
ボンコのおばあさんの 掃除好きなこと

フレディ 夕暮れの 鐘に十字切って
ポプラの枯葉に埋もれたあの人は一枚の絵だった

本当はあなたと私のためにも
教会の鐘の声は響くはずだった


けれどもそんな夢のすべても

       あなたさえも奪ったのは

燃えあがる紅い炎の中を飛び交う戦斗機





フレディ 私は ずっとあなたの側で
あなたはすてきな おじいさんに
なっていたはずだった



フレディ あなたと出逢ったのは 漢口


      『フレディもしくは三教街』  さだまさし

2009/08/18 11:15 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

「楽しいことをしていると、何か悪いことをしているみたい・・・」

みなさま、こんにちは。


先日の授業でのこと。

小3の女の子の授業で残り30分ほどになったときでしょうか、


突然に、
「あ! そういえば、今日はお母さんの誕生日だ!」
との声。


「お~! そうなの。
お母さん、いくつになられるのかな?」


「え~・・・。
わかんない。」(笑)


「ははは。(笑)
そっか、まぁ、15回目のハタチの誕生日かな。」(笑)


「え? どういう意味?」


「まぁ、いいや。(笑)

そしたらさ、お母さんに手紙書いてみたらどう?
あ、ついでに似顔絵も描こうか?」


「え? いいの?」


「あったりまえじゃん!」


「うん! やったぁ~!」



と、それからは、一言も喋らずに黙々と描いてくれました。

女の子らしい柔らかなタッチのとってもカラフルな絵になってました。



授業が終わる頃に
「ふぅ~! できた!」
と満足気な表情。

と次の瞬間に、ちょっと困ったような表情でこんなことを言っていました。


「今日、勉強しに来たのに、後半はほとんどお絵かきして遊んでたみたいで、
なんか悪いな~。」



「そっか、Aちゃん、そんなことを思ってたんだね。
そういうことを思うことも、センセ、とっても大切だと思うよ。

でもね、よ~く考えてごらん。

『勉強』って何のためにするのかな?」



「う~ん、頭を良くするため?」



「ははは。(笑)

じゃあ、何のために頭をよくすると思う?」



「え~! お金をいっぱい稼ぐため?」



「じゃあ、もう働かなくてもいいくらいお金を持っている人は、どうするの?
死んだ方がマシ?」



「そういうことじゃないと思うけど・・・。」



「ふふふ。(笑)
ごめんね。別にAちゃんを困らせようとして、こんな話をしたんじゃないんだよ。


何で勉強をするか。


Aちゃんにも分かる言葉で説明するとね、センセは2つ理由があると思うんだ。


1つはね、
『自分が楽しく生きられるため』

ポケモンのアニメでも何でも、見ているときは、
『ああ、次はどうなるんかな?』とか、
『ああ、なんでそんなことするのかな?!』とか、
思ってみてるじゃない?

『私だったら、こうする!』とかさ。
それが楽しいんだよね。



勉強も、本当はそうなんだよ。

『ああ、次はどうなるのかな?』とか、
『私だったら、こうするな』とか、
そういうことを思ったり、考えたりすることが、本当は勉強ってことなんだよね。

だから、楽しいことなの。



それともう1つは、
『誰かに喜んでもらうため』
に勉強をしてるんだよ。

わかる?



だからね、
『お母さんに喜んでもらいたいな~』、とか、
『こんな絵を描いたら、お母さん、喜ぶかな~』、とか、
思いながら描いた絵は、Aちゃんにとっては、ものすごい勉強になっているんだよ。


勉強ってね、
単に数字をこねくりまわしたり、
文字を読んだりすることじゃないよ。


その奥にある意味をちゃんと分かっていないとね。」



「そっか!

今日は、とっても良い勉強をしたんだね!」



「そうそう!」



お迎えに来られたお母さんに、

「お母さん、今日、これ書いたの~!」

と差し出した絵を、とても嬉しそうにご覧になっていたお母さん。



私もちょっとウルっときてしまいました。笑

2009/08/13 10:21 | 未分類COMMENT(2)TRACKBACK(0)  TOP

『好き』の気持ちに近づく

先日の高校1年生の授業での出来事。

「センセ、オレ、この間、彼女と別れました。」
と、突然のつぶやき。

「そっか・・・。
え、いつ?」

「おとといです。」

「まだ、未練タラタラじゃろ?」(笑)

「そりゃ、まだ痛いですよ~!
未練タラタラですよ~!」(笑)

「そりゃ、そうよな~!」(笑)

その後、ひとしきりなんで別れるようになったのかを聞きました。

お互い、部活などで忙しすぎて、月に1回も会えない状況。
おまけに、学校も違うし、更に彼女の部活では「恋愛禁止」という
時代錯誤なお達しが出ているそうです。(笑)

「で、『別れてくれる』って言われたん?」

「うん、まぁ、『別れる』っては言われてないけど、
『付き合うのやめようか』って、メールで言われたから・・・。」

「メールなぁ・・・。
で、どうしたん?」

「よっぽど、『俺のどこが悪いん?!』ってメールもしようかと思ったんじゃけど、
まぁ、なんかそれも変なから、『わかった』って、『でも、友達としてメールはしても良い』
って送ってみたら、『いいよ』って返事はきた。」

「そっか・・・。がんばったなぁ~!(笑)

まだ、胸が痛いんじゃろ?」

「うん、食欲もないし・・・。」

「まぁ、失恋の後って、そんなもんよ。

でもな、今、本当に良い時期にいるんよ。

何が良いかってね、『その痛みの中身』をじっくりと考える機会をもらえたことだよ。

Bくんはね、別にLさんから嫌われたんじゃないと思うんだよ。
本当に嫌われたんなら、いつのまにかメールアドレスも変えられたり、
返事をしたりもしないだろうから。(笑)

いい?
もし、こう彼女が考えていたとしたら、どうする?


『私は彼女として、B君に何もしてあげられない。

自分で選んだ部活も一生懸命したいし、勉強も中途半端にしたくない。
だけど、そういうことにかまけて、B君に何もしてあげられない自分もこれ以上たえられない。

ひょっとしたら、私よりもB君のことを支えてあげられる人がいるかもしれないし、
そんな私にしばりつけておくのも、B君に申し訳ない。
だから、お互いに今、大切に頑張っていることを後悔しないように、
距離を置いた方がいいと思う。』


今までの話を聞くとね、Lさんもどちらかと言えば、ベラベラしゃべるようなタイプじゃないでしょ? 
オレみたいに。(笑)
B君もそうじゃん? 
ベラベラしゃべらんでしょ? 
はい、センセみたいにね!(笑)


そしたら、まぁ、想像するしかないけど、今までの話を聞いていると、
本当に真面目な良い子じゃない、Lさんは。

そしたら、そう考えてもおかしくないでしょ?


今ね、B君が苦しいのは、センセ、わかるよ。
失恋すると、見るものすべてが灰色に見えるような感じがするよ。
自分が、本当に小さい存在に思えるよ。
何もしたくなくなるよ。


でもね、その気持ちの内側をよ~く見て欲しい。

その『好き』って気持ちの中身をね。

Lちゃんにそばにいて欲しい。
Lちゃんと誰か他の男が一緒にいるのは嫌だ。

その気持ちはよ~く分かる。
でもね、その気持ちをよく考えてみて。



それは、本当に相手のことが『好き』なの?



自分の傍に居て欲しい、とか、
誰か他の奴と話しているのは嫌だ、とか、
そういう気持ちは、結局自分の欲求を満たしたいだけなんじゃない?

『オレの欲求を満たさせてくれ!』
なんていう相手の言いなりになるような子なの、Lさんは?

違うんじゃない?
B君の好きなLさんは、優しくて、気が利いて、笑顔の可愛い子なんじゃない?

そんな子に、自分の言いなりというか、自分の欲求だけを満たすようなことをしてて良いの?


いい?
人を好きになったら、その『好き』の中身をよ~く、考えてごらん。

自分の欲求だけを満たしたいと思うなら、
結局、それはその人を好きになってるんじゃないくて、好きなのは自分だけなんだよ。

本当に好きなら、相手の幸せも考えるんじゃない?」




「・・・、そうじゃな・・・。
センセの言うこともわかる。

確かに、オレはオレのことだけしか、考えてなかったかもしれんな・・・。」



「でもな、それはそれで良いんよ。
みんな、そうやって1つずつ勉強していくんだから。(笑)

全てが順調にいってたら、人の痛みなんて分からない人間になるよ。


やっぱり、風邪も自分がひいたことがあるから、
誰かが風邪をひいたら、辛いだろうな、と思うだろうし、
怪我をしたことがあるから、怪我をした人の気持ちもわかるようになるんだよ。



失恋したことがあるから、失恋した人の痛みも分かるようになる。
痛みを知る人はね、それだけ人に優しくなれるんだよ。
だから、それはね、実は彼女から贈られた最大のプレゼントかもしれないんだよ。
今はその価値がわからないだろうけど。



そりゃね、好きになっていた分だけ、痛いよ。
だからね、考え方を変えてごらん。
痛い分、『オレは、こんなにも人を好きになれるんだ』ってね。
もちろん、『好き』の中身は考えて欲しいけど。(笑)


いいかな?
センセはね、
『早く忘れて、次の恋を見つけろ』とか、
『女は星の数ほどいる』とか、そんな慰めはしないよ。
だって、もったいないからね!(笑)


その気持ちをじっくり観察してごらん。
痛み具合を味わってごらん。

今の痛みは、心の成長痛だよ。」



「ふ~ん、なんか、そういうもんなんかな・・・?
まぁ、何かわからんけど、話を聞いてもらって、ちょっと楽になった。
ま、頑張らんといけんわな!」



「そうそう、その意気!
今度、高校を卒業したら、向こうから告られるような自分になろうや!」



「はい!!」


ちょっと、上の会話の中には入れませんでしたが、
この二人は殆どやりとりをメールでしていたそうです。
その辺りも原因なのかもしれませんね。

私はしきりに「会いに行きって!」と言っていましたが。




「あのね、『付き合う』って何かというと、センセはね、
『思い出を一緒に重ねていく』ってことだと思うんだよ。


だから、一緒に居ることが大切なんだよ。


その日、その時間の空気を共有すること。
何気ない風景を見ながらね、『あ、蝶々が飛んでるね』とか、
『綺麗な夕日だね』とか、そんな他愛のないやり取りが、本当は一番大切なんだよ。



別に特別なことをしなくても良いんだよ。
一緒に居て、同じものを見て、時々、同じものを食べたりして、
そうするとね、相手のことが見えてくるんだよ。


今風な言い方をすると、『オーラが馴染んでくる』んだよ。(笑)
そうやって、心を通じ合っていくの。

メールはね、形だけでも送れるんだよ。
極端な話、トイレでもメールは打てるんだから。(笑)


そんなメール、嬉しい?(笑)

ね、だから、会って話をするって、ホント、大事なんです。」



みたいなことも話した感じです。
あ~、改めて、話長いですね。(笑)
気をつけます!

2009/08/11 08:20 | 未分類COMMENT(2)TRACKBACK(0)  TOP

本日8月8日は

みなさま、こんにちは。

本日8月8日は、FFカフェで行わせて頂く夜カフェの最終日です。

本当に残念ながら、今月の下旬でFFカフェさんが閉店されますが、
夜カフェは、再び場所を変えて続けますよ~!笑


それで、感謝の気持ちも込めまして、
私が、岡山県の隠れた名産品

「マッシュルーム」
(しかも、今朝の朝摘みのものだけ)

を厳選して、FFカフェに持って参ります。

今晩は、それをサラダにしたり、
フライにして楽しみますよ~!


マッシュルームのフライ。

あんまり、食べたことないでしょ?

ウィーンの名物なのですが、これをタルタルソースで食べると
めちゃめちゃ美味いっ!笑


ということで、楽しみに来て下さいね!
もちろん、今日、初めていらっしゃるという方でもOKですよ。

一応、材料費ということで、600円程度、ご用意頂けるとうれしいです。

それでは、今晩7時から、FFカフェでお会いしましょう!


あ、昨日は、清久さん、ありがとうございました!
今日、お越し頂けないのが、本当に残念です!

2009/08/08 08:15 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

8月4日

みなさま、こんにちは。

昨日は、小3と中1の授業でした。
小3の二人が良い感じですね。

お互いに良いライバル関係になって欲しいなと思います。


ライバルと言っても、「昨日の自分」よりも頑張るという目安です。

「昨日の自分」を目に見える形で演じてくれているのが、ライバル。

だから、自分と同じくらいの力量でないと、ライバルにならないのですね。


そして、大切なのは、目安を演じてくれているライバルに感謝できることです。

ライバルがいなければ、自分の力量もわからなかったのですから。
だから、ライバルは良い関係になれるのだと思うのです。






覚書から





不思議だと思わないかね。


生まれてからずっと、「自分が一番望んでいること」に罪悪感を感じさせられてきたんだよ。

だが、私は言う。

望むものをいくらでも愛しなさい。
好きになりなさい。
何かを愛すれば、自分のところに引き寄せられるのだから。



そういうものは、生命の糧だ。

それを愛するということは、人生を愛することだ。
それを望むと宣言すれば、人生が与えてくれる良いものを全て選びとる、と宣言することになる。




だから、得られる限りのモノを選び取りなさい。

身につけられるだけの力を選び取りなさい。

獲得できる限りの名声を選び取りなさい。

達成できる限りの成功を選び取りなさい。

体験できる限りの勝利を選び取りなさい。




愛の代わりに身体を求めるのではなく、
愛を称えるために選びなさい。


力を振るうためではなく、
強くなるために選びなさい。


名声を目的とするのではなく、
もっと大きな目的のために選びなさい。


それから、他者を犠牲にするのではなく、
他者を助ける道具として選びなさい。


また、他者を代償にするのではなく、
誰にも代償を払わせずに、いや、他者にも得をさせるために選びなさい。


かまわないから、他者にへつらいなさい。
ただし、へつらっても良い人を探しなさい。


人より優れることも構わない。
ただし、他者より優れようとするのではなく、
過去の自分よりも優れた者になりなさい。


人より豊かになるのも構わない。
ただし、より多くを与えるために、豊かになりなさい。



人よりも賢くなるのも構わない。
ただし、その知識を他者と分かち合うために賢くなりなさい。



あなたは今まで受けることよりも与えることの方が大切だ、と教えられてきた。



しかし、自分が持っていないものを与えることができるだろうか。


だからこそ、「自分の喜び」が大切なのだ。



自分の喜びが醜いもののように聞こえるのは、とても不幸なことだ。


もちろん、他者を犠牲にするような喜びのことを言っているのではないよ。


他人の欲求を無視することではない。

だが、自分自身の欲求を無視することもよくない。



自分にたっぷりと喜びを与えなさい。





そうすれば、他人にもふんだんに喜びを与えることになるだろう。

2009/08/04 11:25 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

過程が大切③ ~コトノハ寄稿文より~


人生の過程を楽しむ



答えを出すことよりも、工夫する過程を楽しむこと。


『答えが大事なのではなくて、過程が大事。

わからないときに試行錯誤することや工夫することによって思考回路が増えている。
だから、答えが出ても出なくても、工夫し続けることに意味がある。
そして何より「楽しく」工夫することが大事。』


これは人生の指針そのものです。

分からないときは、試行錯誤することこそが大切です。
マニュアルは、「正解」を教えてはくれません。
何より、マニュアルは「察する」「感じる」という一番大切なことを奪っていきます。


ですから、ハンバーガー屋さんで、
「お客様、おひとりですか?」
「はい。」
「ご注文をどうぞ。」
「ハンバーガー30個お願いします。」
「はい、こちらでお召し上がりですか?」
などという笑い話もできます。


世の中にはマニュアルにないことの方が、圧倒的に多い。
ですから、何かあったら、その都度マニュアルを探すのではなくて、
「なぜ」を深めていくことで、本質を見つけていくこと。

もちろん、本質は1つではないかもしれませんし、
本質の奥に、さらに本質があるのかもしれません。


人生を上手に生きようとするならば、「結果に執着しないこと」だと思います。
人生そのものが、創造のプロセスの連続だからです。

例えば、焼き物の作家さんは、
「高く売れるものを作ろう」
として、お皿や鉢を作るでしょうか。

中にはそういう方もいらっしゃるかもしれませんが、
大方の人は作品を作ることに一心不乱で打ち込むと思います。

その作品に思いと技術の全てを込める。
その作業がたまらなく素晴らしい時間であるでしょうし、
その思いをお客さんは対価として買っていくわけです。



料理人もそうでしょう。
値段の高い料理を食べさせたい、という思いではなくて、
素材をどう料理すれば一番美味しく食べられるかに一番時間を使うのだと思います。

そして、そんな料理を考えている時間がとても楽しい。
そうやって作られた料理が美味しいのは当たり前です。



好きな人とのデートプランを考えているときも、
遠足の準備をあれこれしているときも、
音楽を演奏したり、聴いたりしているときも、
それらが「終わること=結果」を目標にしているわけではありません。


美味しい料理も、完食が目的だと実に味気ないものになりますよね?
これだと、いつも残り物を食べているのと変わりませんからね。(笑)


つまり、私たちが楽しんでいるのは、常に試行錯誤する過程だということです。

「結果よりも過程が大事」と主張するどんぐり倶楽部の主旨は、
私にとっては正に「我が意を得たり!」という気持ちでした。



それは、私が長年追い続けていた疑問、

「人は必ず死ぬのに、なぜ生きるのか」

に見事に答えを出してくれました。

そう、「結果よりも過程が大事」とは、
「人生の結果である『死』よりも、いかに生きたか、という過程が大事」
という考え方に見事に合致します。



マザーテレサも、
「大切なのは、どれだけ沢山のことをしたか、ではなく、
どれだけ心を込めたか、です」
という言葉を残しています。

「結果よりも過程が大事」という考え方は、人生に対する声援そのものです。




では、私たち親が子供たちにしてあげられる事は何でしょう。
それは、試行錯誤する経験、成功だとか、失敗だとか言われる
沢山の経験をさせてあげることだと思います。


この経験の蓄積こそが、実は勉強においても、人生においても、一番大切です。
何かが上手くいかないときは、誰もが立ち止まって考えます。
それこそが『宝』。
失敗は成功の母、とはそういう意味だと思います。


『つつがない人生』でなかったから、色々と考え、工夫して生きていくことができた。
病気をしたことがあるから、病気をしている人の痛みがわかる。
挫折したことがあるから、挫折した人の苦しみもわかる。
つまり、優しさとは、苦労あっての優しさなのです。


「優しい子」「人の気持ちの分かる子」に育って欲しいのであれば、
苦労の経験が不可欠です。もちろん、苦労だけが大切なのではありません。

自分が楽しんだ経験があるから、人を楽しませたいと思えることもまた真理です。




本物の愛情




親は自然にいけば、子供よりも先に死にます。
そして、子供もいつかは社会に巣立っていきます。

そのときに、
「お前はもう、一人でも十分に生きていける。
人生を楽しむことを学んでいる。
だから、安心して歩いて行きなさい。」
と笑顔で送り出してやることが
親としての最大の勤めであると私は思います。



そして、子供を社会に送り出した後は、親は親でまた、
自分の人生を輝かせるために日々を大切に生きていくこと。

親が「子供の役に立っている」という安心感を求めてはいけません。
それは結局自分のためにも、子供のためにもならないのです。
なぜなら、それは依存心であり、愛ではないからです。
愛とは不安の要素を含まないものです。


また、子育てに「結果」を求めてもいけません。
子供は投資信託や株ではありません。
いくら投資したから、いくら回収できるという計算は、
子供を愛するのではなく、自分しか愛していないのです。


「いくら掛ったと思っているの!」とか、
「誰が食わしてやっていると思っているんだ!」などという言葉は、
子供を惨めな気持ちにさせるだけです。

自己嫌悪はやる気を根っこから奪っていきます。

親に罰せられた後で、
「よし、今度からは自分の行いを改めよう!
これからは罰してくれる親を喜ばせたいから、
もっと自分に責任を持って、協力的に頑張ろう!」等と、
前向きに自分に言い聞かせる子供を、少なくとも私は見たことがありません。


子供の旅立ちの日のために、私たち親は毎日、毎時間、毎分、毎秒、
子供たちとどう接していくのか。



おそらく、今これを読んで下さっておられる方々は、
「愛情深い親になるためには、どうするか」ということは十分に考えてこられたと思います。

今後はそれを考えることはもう止めて、
「今、私が十分に愛情深い親ならどうするのか」
と実践することが大切なのだと思います。




あるお母さんが、保護者懇談の席でこんなことを仰っておられました。

「私、子供に止めさせたいと思っていることを、
自分が考えずにやっていました。

驚きました。

確かに、子供に騒がないで欲しいときに、自分は子供たちよりも大きな声を出していましたし、
ケンカをやめさせるために、子供を叩いたり、引っ張ったりしていました。

人に失礼なことを言ったときは、私が子供に無愛想に接していました。

子供が『バカ、アホ、死ね』などの使って欲しくない言葉を使ったとき、
私が『バカなことを言うな』とか、『アホなことをするな!』とか言っていました。

子供には『優しい人になってね』と常々言っているのに、
自分がそうじゃないことをしていたんですね。

まず、自分の言動を意識的に変えていきます。」




親の思い通りに子供をコントロールして、親の思い通りの結果を出させること。
それは、子供の幸せというよりも、親のエゴのようです。

しかし、子供が自分で考えて行動することができて、
その過程を楽しめるようになれば、
結果がどうあれ、それに執着することなく、日々を楽しく幸せに過ごすことができます。




子供たちは、両手を広げて待っています。

私たちの目の前にいる子供の笑顔を取り戻せるのは、誰でもない私たちです。

子供が生まれてきてくれた日。
そのときの気持ちが全てです。




「生まれてきてくれて、ありがとう。」

その気持ちは、私たちが生まれてきたときも同様に、
私たちにも与えられたものです。



そして、世界中の全ての子供たち、全ての人たち、
全ての生命がそのように生まれてきたとしたら、どうでしょうか。




「愛」とはそういうことだと、私は思います。

2009/08/03 13:46 | 未分類COMMENT(4)TRACKBACK(0)  TOP

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