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過程が大切② ~コトノハ寄稿文より~

当時、高1で医学部志望だった子が、家族を殺して家に放火をした事件がありました。
怒りの矛先はいつも自分を苦しめた父親に向かず、弱者であった母や妹に向かいました。



考えるべきことは、これらのご家族は
「子供部屋を与えること」
「医者になるために様々な環境を整えてやること」
など、つまり「モノをそろえてやること」を「良かれ」と思ってしていたということです。
誰もが、子供の将来のためにと真剣に思ってしています。

であれば、
「なぜこのような結果になってしまったのか」
ということを、私たちは自分のこととして考えていく必要があると思うのです。





考え方を奪う安易な学習法




「良かれ」と思って親が子供に与えることの1つに、考えることを奪う学習法があります。


子供の成績を上げること。

それ自体は、そんなに難しいことではありません。
元々何もしていなかった子が、先生と気が合って少し勉強するようになれば、
極端な話、どんな勉強法でも『成績』は必ず上がります。

百ます計算や公文式のようなトレーニング方式だと、安易な達成感も手伝って、
目に見えて成績が上がっていくこともあるでしょう。

しかし、安易さには安易さの限界が必ずあります。


事実として、私の担当していた教室にも、小4くらいの生徒沢山、公文をやめてきていました。
そして、お母さん方は、異口同音にこうおっしゃいます。



「計算は速いのですが、文章問題をすごく嫌がるのです。」





この言葉は、そのまま、「じっくりと考える力を養えていませんでした」という意味になります。

そうなると、実は算数だけの問題ではありません。
生活自体にも影響が出始めてきます。

ちょっと考え(るふりをし)て、
答えが出ないと「ウザイ」「ダルイ」と問題を考え続けられない。

頭をかきむしる。

鉛筆を噛む。

消しゴムに鉛筆の芯を刺す。

消しゴムをちぎる。

貧乏ゆすりをする。

「わからん!」と言いながら、プリントを投げ捨てる。

ちょっとのことで非常に攻撃的になる子など、色々なパターンを見てきました。




ある日、公文の英語で高1レベルをしているという小6の子が、
入塾体験にやってきたことがあります。

「へぇ~! すごいね!
じゃあ、こんな日本語もすぐ英語になるんじゃない?
これは中3くらいのレベルだから。」
と、英作文を2題出してみました。


・彼は将来医者になりたいと思っています。

・これは、彼女がずっと欲しがっている車です。



これだけの文章でもチェックできることはかなりあります。

・代名詞がきちんと使えるか
・3単元のSを理解しているか
・be動詞を忘れずに書けるか
・aを忘れないか
・doctorをdocterと書いたりしないか
・in the futureという重要な熟語は使えるか
・関係代名詞はどうか
・現在完了の概念は理解できているか
などなど



結果、どうだったか。


彼は「He」と書いたきり、動きませんでした。
お母さんも少しバツが悪そうでした。
そして、彼はこう言い放ちました。

「こんな問題、知らんし!」



そう、もし彼が
「この問題は分からない」
と言うのであれば、まだその場の救いはあったかもしれません。

しかし、
「知らない」から「できない」であれば、彼は考え方を教わっていないことになります。
もっと恐ろしいのは、彼が「できる自分」にアイデンティティを求めていた場合です。


彼は結局、私の勤めていた塾には入会しませんでした。
「できなかった自分」を認めたくなかったのかもしれません。
私も、もう少し穏やかなやり方を選べば良かったのかもしれません。
しかし、プライドをはき違えている彼には、ある種のショックが必要なのだと思います。



前に公文をやっていたという生徒がいて、その子に英語のプリントを見せてもらいましたが、
プリントの中で、前に出てきた単語をそのまま次のカッコの中に入れればいいような問題も多く、
英文や日本語の文が理解できているかどうかは、
そのプリントだけでは分からないのではないかと私は思います。


それ以降、公文で英語をやっていた、と言う子には、その話は聞かなかったことにして、
基礎からさせていくようにしました。


英語を学ぶ目的は、英語で自分の考えが言えたり、書けたりするようになること。
そして、英語で言われたり書かれたりした相手の考えを理解することです。
カッコを埋めるのがいくら上手で速くても、意味がないのです。





どんぐりに出会い、急にやってきた「そのとき」




『どんぐり倶楽部』に出会ったのは、
現在の塾(元フイユ、現在はどんぐり個別指導学院)で使う教材を
インターネットで調べているときでした。

たしか、百ます計算について書かれてあった、こだま塾の
こだま先生のコメントだったように思います。

それから、こだま先生のサイトにお邪魔し、ブログも読ませて頂きました。
非常に得心しました。

そして、本家、どんぐり倶楽部のサイトにもお邪魔して、膨大な過去ログを読破しました。
1週間かかりました。
とても長い道のりでした。(笑)



私も失礼ながら、最初からどんぐり倶楽部の良質の算数問題を
「こんなに素晴らしいものだ」
とは思っていませんでした。

しかし、「そのとき」は、急にやってきました。



塾でおあずかりしている小2の女の子。
仮にマキちゃんとしておきます。
マキちゃんは、なかなか机の前に座って勉強しない女の子でした。

最初、どんぐり倶楽部の問題を見せても、開口一番、
「なぁ、センセ、これって、足し算? 引き算?」
でした。私は、笑顔で、
「ふふふ」
とだけ答えておきました。(笑)

そうこうしているうちに、教室を歩き回って、ホワイトボードに落書きをして、
一通り気が済んだら、また問題をやり始める。

問題をやるといっても、最初は絵だけを描いて、半分遊んでいるような時間でした。


そんなある日、いつものように何枚かあるプリントの中から、
マキちゃんが適当に3枚ほどを「これやる~!」と選んでやりはじめました。

塾に来出して3ヶ月目位だったでしょうか。
そろそろ私が「絵だけで良いからね~。式は書かなくても良いからね~。」
と言わなくても絵を描き始める頃だったと思います。


いつものようにお絵かきをしていたマキちゃんが、キョトンとした顔で私の方を見ていました。

「どうしたの?」
と言うと
「あれ? 問題が解けちゃた?」
というのです。
そう、マキちゃんは、文章を読んで絵に描いて、
それを操作していたら問題の答えが出てしまったようです。



「結構簡単なんだね~!」
得意顔のマキちゃん。

学校の算数の時間は頭が痛くなる、と言っていた子です。

私も笑顔で応えました。
「そうでしょ~!」

だからと言って、その後もマキちゃんは、大して以前と変わるものでもなく、
塾に来てもプリントの絵を描いたりするだけの日もありましたし、
答えまでたどり着く日もあったりでした。

ただ、明らかに変わったなと思ったのは、前よりも
「わからん、わからん」とか、
「答えは?」とか、そういうことを言わなくなったことです。



しかし、その後のマキちゃんは急速に変化を見せ始めました。
庭に蒔いていたヒマワリの種が、ある日急に芽を出していた、
そんな気がしました。



そのときの問題はこんな感じです。




『お日さまとカミナリさまがかけっこをしています。
お日さまが地球を1周する間に、カミナリさまは地球を6周することができます。
では、お日さまが地球を3周している間に、カミナリさまは地球を何周できるかな?』



「う~ん、お日さまって、どんな感じで描こうかな?」
そして絵を描き終えると数を数え始め、
「18周!」と答えまで出しました。
そこから急に、マキちゃんが天才になっていきました。


「あっ、センセ! これって、6+6+6のことでしょ?」

「うわぁ~! マキちゃん、スゴイね! 
そうそう、式にするとそういうことになるよね!」

「それでね、センセ。マキね、6+6+6の簡単なやり方、分かっちゃった!」

「え?! どうやるの? センセにも教えて!」


「いいよぉ~!(笑) 

あのね、最初に6を5と1に分けるの。
そしたら、5が3つになって、5と5で10で、もう1つ5を足して15でしょ?
で、あと1が3つあるから3で、15と3を足したら、18ぃ~!!」


いきなりのマキちゃんの流暢な説明に、私は感動してしまいました。
「うわぁ~! マキちゃん、天才っ!!(笑)
へぇ~! センセ、感動したよ!」


マキちゃんも単に答えを出したことを褒めてもらいたいわけではないでしょう。
あれこれと工夫した考えを聞いてもらいたかったに違いありません。

そして、それを考えているときは、マキちゃんもきっと楽しくて仕方なかった筈です。

この時点のマキちゃんは掛け算を習う前でした。

今は掛け算を習った後ですので、
もう一度解かせてみても良いかもしれませんね。


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2009/07/30 09:51 | 未分類COMMENT(2)TRACKBACK(0)  TOP

皮肉なこと

みなさま、こんにちは。


昨日は、小3の授業と、中1の授業でした。


小3の子たちは、元気ですね!笑

プールに行ったりで、真っ黒に日焼けしていました。
ただ、最近は雨が多いので、なかなかプールに入れないとブーたれていましたが。笑


中1の子もなかなか心を開いてくれない子だったのですが、
昨日は、色々と話をしてくれました。


その中で、
「期末テスト、英語は38点だった・・。」
と呟いていました。


「いいよ。38点で。

そこからスタートだよ。ね。
38点取ったときに、
『あ~、もうちょっと頑張ろう』とか、
『ちょっと、まずいな』とか、
思ったんでしょ?

それが大事なんだから。

そこから新しい自分をスタートさせればいいんだよ。

いつでも新しい自分をスタートさせたらいいんだからね!」


そういうと、少し笑顔になりました。




皮肉なことです。


教育熱心な親御さんで、テストのたびに

「今回は○○点でした。
もう少し頑張らせて頂きたいのですが・・・。」

と仰る親御さんほど、子供が点が取れません。

私が勉強を見ている限りでは、そんなに問題がある生徒でもないのですが、
テストになると、点が取れない。


一度、ゆっくりそういう生徒と話をしてみれば、よくわかります。

「失敗したら、お母さんに怒られる」
という無意識の鎖が、その子の心を縛り付けているのです。


だから、パニックになる。
分からないと、頭が真っ白になる。

そう言います。


そういう理由もあるでしょう。


そして、もう1つ本人も気づいていないかもしれませんが、
親が『悪い点』にしか、反応しない場合、子供が無意識に『悪い点』を選ぶようになります。

そう、そこまでして、「親の関心」を引きたいのです。


無関心が一番怖い。



そういう不安がどこかにあるのだと思います。




だから、テストの点にあまり過剰に反応するのは、得策とは私は思えません。

子供は、悪い点を取ってきた、ということは、自分で充分すぎるくらいにわかっているのですから、
それ以上に、傷口に塩を塗らなくても良いと思うのです。


悪い点だと子供が思っているならば、

「そっか、じゃあ、どうしようっか?」
と一緒に次の手を考えてあげるとか、対策を考えることが大事です。

怒ってみても、何の解決にもならないと思うのです。

ただ、怒っている人の方が、「教育熱心」だと思われるのは、
本当に皮肉なことですよね。

2009/07/28 12:06 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

イメージフィクス法の活用 【英語編】

みなさま、こんにちは。

さて、昨日は中1の女の子の体験授業がありました。

なんでも、先の期末テストの英語で、30点くらいだったそう。

以前、学校の先生や、塾の先生に
「どうやったら、単語が覚えられますか?」
と質問に行ったところ、
「とにかく、沢山書きなさい!」
と言われて、広告の裏一面に
「international」
を書いたこともあるそうです。


「ほら、こんなペンダコができたんです!」
と見せてくれました。(笑)


で、そこまでして書いた「international」ですが、
昨日、チェックしたら見事に忘れていました。(涙)

「inte」
までは書けたのですが、後が続きません。




「あのさ、覚え方、教えようか?」


「うん! ぜひっっつつ!!」


「あのね、Aさんは、多分もう書いても覚えられないよ。
だって、いつの間にかね、覚えることよりも、書くことが目的になっているから。

自分で広告の裏一面に字で埋まっていくことが、ちょっと快感になってきてたんじゃない?」



「ん?
あはは。笑

あ~、そうかも!
ちょっとうれしかったかも!」



「うん、そうだと思うんだよね。
だから、覚えるために書いているってよりも、書くために書いているから、
覚えるってことにエネルギーがうまく使われていなかったんだよ。


覚えるって何かと言うと、頭の中で再現できるかどうか、ってことだよ。


はい、じゃあ、さっき覚えられていなかった、international をこれから覚えてみようか?


え~、まずは、ちょっと大きめに書きます。

あ、今は、あの4本線が入ってるノートを使っているわけね。
そしたら、それの2行位を使って、ちょっと大きめに
『international』
って書いてみて。


そうそう、あんまり小さい字だと、Aさんの脳が認識できないんだよ。
だから、最初はある程度大きな字でね。



書けた?

そうそう。




そしたら、今度はそれをよく見ます。

じーっと見ます。
頭に焼き付けてください。
いんたーなしょなる・・・なんて言いながらでも良いよ。


で、覚えたかな~っと思ったら、一旦、目を閉じて、頭の中に書いてみて。

うん、そうそう、頭振っても良いからね。笑
だいたい、頭の中に字を書くときは、首を動かすよね?笑

完璧に書けた?

あ、ちょっと忘れたところもあった?

いいんだよ。

そしたら、もう一度目を開けて、忘れてたとこだけ、集中して見てごらん。


で、覚えたら、また目を閉じて、頭の中に書いてみて。


・・・・って、頭の中にちゃんと書けるまでやってごらん。





できた?

よし、じゃあ、1回だけ、ここの紙に書いてみようか。



書けた?


OK!
じゃあ、覚えたね。」



「え~!
こんなんでいいの?!」



「こんなんでいいの!笑

あのね、覚えるって結局、『思い出す練習』をしてるんだよ。

思い出すっていうのは、頭の中にそれが思い描けるかってこと。

今、何回か、頭の中に思い描く練習をして、できるようになったでしょ?
だから、それで良いんだよ。

まぁ、またあとで検証してみるから、今は良いよ。」




1時間後。

授業中に、急に説明を停止させて、

「はい、あの覚えた単語、今書けるかやってみようか?」


「ええっ!? 今っ?!! そんな急に言われても・・・・


 ・

 ・

 ・


あ! 書けた!


あああぁぁぁぁぁああぁああぁああああ~!


あれだけ書いて覚えられなかったのにぃぃぃいいいいい!!!


なんか、悔しいわぁ~!」笑



「ふふふ。
でしょ?」


良い笑顔でした。

2009/07/24 09:47 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

過程が大切① ~コトノハ寄稿文より~

みなさま、こんにちは。

元データが無くなってしまいましたので、
ここにもう一度書き起こして、保存させておいてください。






『学習、子育て、人生 全て過程が大切です』
              



◆教育への思い◆

「塾の先生をしていて、本当によかったな。」

そう思うことが、年に何回かあります。
静寂の中、生徒たちが「あ!」と一瞬動きを止め、しばらくすると目をキラキラさせて、一気に問題をダーッと解いていく姿。

「ああでもない、こうでもない」と問題を一生懸命考えている姿。
そんな場面に立ち会えると、いじらしささえ感じる嬉しさがこみ上げてきます。
子供の成長を実感できる瞬間です。


さて、最初に私のことを少しお話させて頂こうと思います。

私自身は、平成18年の8月にそれまで8年間勤めていた塾業界から身を引きました。
勤めていた大手の塾は全国展開をしており、私はそこの個別指導のある教室の責任者でした。

教室は岡山の中心街からは程遠い場所にありながら、
1日に多い時には180名の生徒たちと30人以上の先生たちが出入りするような、
岡山県でも有数の大所帯の教室の成長しました。


私個人としては、責任者になったことで直接生徒の教科指導をすることは減りましたが、
その分生徒たちとのカウンセリングに使う時間が増えましたし、
親御さんたちとお話する時間もできました。

また、大学生を中心とした先生方とのやり取りができる時間も増えました。
今思えば、本当に楽しい時間でした。


一方で、長期休み前になると、大半の塾で『講習会を売る』という業務が始まります。
生徒主体の講習会なのか、それとも会社主体の講習会なのかという視点で見ると、
大手は残念ながら後者です。


もちろん、善意で講習会をされている塾も沢山あるとは思います。
しかし、大手塾は社員のボーナスを捻出しなければなりません。
子供の成長よりも、会社の存続。
勿論、理解はできますが、教育としては動機を完全に誤っているように思えました。


塾で働くお一人おひとりは本当に良い方が多いです。
生徒の成長を何よりも楽しみにされていて、教育という仕事に生きがいを感じておられる方たち。
学校の管理教育に行き詰まりを感じているから、塾で伸び伸びと教えたい、
そんな純粋な気持ちを持っておられる方が大半でした。


しかし、それが組織となり、会社となったときに存続が第一目標になり、安定成長が求められます。
存続自体は大切なことです。しかし、私の求める教育はありませんでした。
ですので、大変悩みましたが、その塾を辞めました。


ある日、そのことを子供たちに伝えていくと、泣きながら教室を出て行く子が何人かいました。
そこまで慕ってくれている嬉しさと、もう何もできないことの寂しさとで複雑な気持ちでした。



しかし、退職後2年ほど経ち、縁あって去年、今の教室の立ち上げを任されるようになりました。
『個別指導のフイユ』(現在は『どんぐり個別指導学院』です)です。

そこでは、どんぐり倶楽部の思想に賛同して、子供たちの成長を大切にする教育を心掛けています。





◆ 愛情を求めている子供たち◆


塾で子供たちに接していると、子供たちは色々な話をしてくれるようになります。
そうすると、彼ら、彼女らは少しずつ心の闇を共有させてくれるようになります。


以前勤めていた塾に、夜の10時を過ぎても自習室から帰らない中2の女の子がいました。
「お~い! そろそろ帰ろうや~!」
と声をかけると、
「うん・・・」
とは言うものの、ぽつりと
「家に帰っても、誰もおらんしなぁ・・・」
と寂しそうに呟いたりします。
聞くと、お母さんは夜勤で遅くまで帰らないとのこと。


日本には古来より「察する文化」がありました。

「あえて『あなたは大事』とは直接言わないけれど、きっと分かってくれているだろう」という文化です。お父さん、お母さんがこれだけ一生懸命、家族のため、子供たちのために働いているのだから、
子供もその苦労くらいは理解してくれているだろう、寂しさも我慢してくれるだろう、
と考えておられる方も多いと聞きます。


しかし、よく考えてみると親が苦労している姿も何も見せないで、
「理解だけしてくれ!」
なんて、子供にとっても無茶な話です。

昔の人は確かに、自分の子供には直接「あなたは大事だからね」
ということを言わなかったかもしれませんが、
それを間接的に伝える機会が沢山あったのだと思います。


例えば、お墓参り。
お墓の掃除やお花やお線香をあげて、親が、
「ご先祖の皆さん、今までどうもありがとうございます。
これからも、子供たちが健康に育ちますよう、見守ってやってください。」
と家族の前で言うこと。


例えば、お宮参り。初詣。
よそ行きの服を着て神社に行き、境内で、
「この子がここまで無事に成長できました。ありがとうございます。
また、来年もお礼参りに来られますよう、宜しくお願い致します。」
などと言葉にすること。


子供の日に菖蒲湯を準備することも、
お正月に真新しい下着を準備することも、
もちろん、そんな特別な時ばかりではなく、
毎日のご飯を準備すること、
お風呂を沸かすこと、
洗濯をすること、
やぶれた服を繕ってやること等、
そういう手間暇(てまひま)、つまり、
「お父さん、お母さんが、わざわざ自分のためにやってくれたんだ」
ということが、子供たちにとって親の愛情が確認できる場所だったと思うのです。


今は、そういう手間暇は、殆ど機械でやってしまいます。
スイッチ1つでお風呂。
ボタン1つで洗濯、乾燥。
ご飯も、無洗米にお水を入れて、スイッチポンで炊き上がる。
おかずは「チン」して出来上がり。
やぶれた服も繕う手間を考えると買った方が良い。


そうなると、子供たちには、
「お母さんがわざわざやってくれている」とか、
「自分のことを考えてくれている」という感覚が育ちにくいのではないかと思います。



つまり、そういう「手間暇」にこそ、思いが込められるのだと思うのです。


前出の「10時を過ぎても帰らない女の子」のお母さんともお話をする機会がありました。
そのときに、私は1つの提案をしました。それは、
「メモで良いので、この子に何か手紙を書いてもらえませんか。」
という些細なことでした。

次の日、その子が嬉しそうに塾にやってきて、少し照れたような顔で1枚のメモを見せてくれました。
そこにはこうありました。


「A へ。
今までちゃんと話もせずにごめんね。Aの寂しさを分かってあげられなくてごめんね。
でも、お母さんが大変なのはわかっているよね。
できるだけAも、自分のことは自分でしてくれるたら、お母さんも嬉しいです。
このあいだ作ってくれたハンバーク、おいしかったよ。
またお花見に2人で行こうね。
お母さんもがんばるから、Aもがんばってね。」


このメモはAちゃんにとって宝物になりました。
Aちゃんの成績が伸び始めたのは言うまでもありません。
英語はいつも30点台だったのに、初めて70点台を取るようになったのです。


子供は常に、親からの愛情を今か今かと待っています。
ですから、親が向けてくれた愛情が、純粋に子供に向けられたものなのか、
それとも、自分を通して親自身に向けられたものなのか、その辺りを鋭く見抜きます。

実父母でない方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、実父母でなくても、
子供が求める100%の愛情でなくても、関係ありません。


1%でも良い。
子供は本物の愛情を求めています。
生身の人間には、生身の愛情が必要なのです。
そんなことを塾の現場で感じてきました。





◆親の心が変わること◆


子供の成績を上げるために、今一番必要なことは、
実は親御さんの心が変わることだと、私は思っています。
親の価値観が変わることです。視点や信念を変えると言っても良いかもしれません。


勤めていた塾でどうしても越えられなかった壁。
それは、親御さんの心に訴えかけることでした。
塾ではそこまで踏み込めないのです。


親が子供に無関心になることは、子供を卑屈にしてしまいますし、
過保護は、子供を無機質な心にしてしまいます。
良かれと思って子供にしていることが、
実は子供の生きる力、考える力を奪い去っていることが多い。

場合によっては取り返しのつかないことにもなってしまう。
そんな悲しい場面も沢山見てきました。


中学受験をするからと、子供に勉強部屋を与えるために、
お父さんもお母さんも一生懸命働いて、新しくて広いマンションに引っ越した。
その時点では夢がいっぱいの筈だったと思います。

しかし、ローンを返すためにと、ご両親ともに毎晩遅くまで働いて、
以前のように子供と心を通わすことが減ってしまった。
その結果、子供が、
「僕なんか、いなくてもいい」
という寂しさに耐えきれずに、部屋で自殺をしてしまった。
そんな話もありました。

2009/07/23 09:03 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

皆既日食ですね!

みなさま、こんにちは。


昨日は衆議院の解散があり、そして今日は46年ぶりの皆既日食と
何かと忙しない日本列島です。(笑)

ここ岡山地方でも、午前11時前後に皆既日食が最大となるようですので、
私も楽しみにしていたいと思います。

でも、ちょっと曇りがちですね~。
どうかな?


皆既日食で検索をしてみると、本当に色々な人が色々なことを書かれておられます。

占星術的には、日食はあまり良いことではないとか、
はたまた、1000倍の「願いをかなえるパワー」があるとか、
悪石島という名前から、悪霊が降ってくるなんてことを書かれているところもありましたね。


私は、
「そんなことはありません!」
とお伝えしたいと思います。


月も地球も周っている以上、日食のようなことも確実にあるということは分かっていることです。
それに意味づけをするのは、人間の勝手です。


水たまりに足を突っ込んだからといって、
人生が全てダメだという風に判断するようなことはないですよね?


気持ちの良い音楽を1回聞いたからといって、
人生が残りずっと幸せでいられるという人も稀でしょう。



自分の外的な環境は、実は自分の内的なものの映し出しです。

であれば、外的な環境に何を求めるかで自分の内面が見えそうな感じです。


皆既日食は、今の忙しない社会に内観のチャンスを与えてくれているのかも
しれませんね。

2009/07/22 10:19 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

国際塾

みなさん、こんにちは。


さて、日曜は『国際塾』でした。
今回は、岡山大学の元教授の斎藤先生にお越し頂き、
「日本語の美しさ」
についての講義を頂きました。


その斎藤先生も仰っていたのですが、私も最近小学生などの授業を持っていて
気になっていたことがあったのです。

それは、「あ」とか「お」などの最後の「払い」のある字を最後まで払わずに中途半端に止めてしまう子が出てきているということ。

それは、過去の「丸文字」のような流行りなのかなと思っていましたが、斎藤先生曰く、
「昨今は縦書きよりも横書きの方が多いから、横に書きやすくするために、途中で止めているのではないか。」
とのこと。

なるほど、そういう見方もあるのですね。




国際化していくに従って、新しい言葉もドンドン入ってくる。
その言葉を、そのまま外来語としてカタカナ表記をするという手もあるでしょう。

しかし、明治の人たちは、必死で頭を捻って日本語にしてきた。
西周さんが、「right」を「権利」、「duty」を「義務」と訳したように、
今では、当たり前のように使われている日本語も、200年前の造語です。


今では、IT関係の言葉が分かりにくいとされているようですね。



例えば「log in」を日本語にするとしたら、どうするでしょうか?










文部科学省の発表ですと、
「接続開始」
という日本語はどうか、と上がっているそうです。



まぁ、なんにしても、「違う」ということがお互いを引き立て、活かしあうことに活用されるべきなのに、いつの間にか、「違い」は優越になって、「どっちが良い」、「どっちが悪い」という話になりがちです。


そういったあやふやな倫理観に基準を求めるのではなく、
「機能性」に判断をもとめるのであれば、
もっとシンプルに答えが出るのだと思います。



国際塾のあと、塾長さんのお宅にキャノンさん、ソフィーさんを招いてのパーティーが行われました。

その席で、キャノンさんがバイオリンを、
塾長さんがピアノを披露して下さいました。


もちろん、ピアノとバイオリンの音色は違います。

しかし、その違う音が響き合って、美しいメロディーを作り上げていること。


それこそが、「違いを活かしあう」ということなのだと思います。

それが、「調和」であり、
「協調」
「共振」
「平和」
であり、

「愛」
なのだと思います。



「愛」を感じたとき、感動して涙を流す塾生がいたのも、頷ける話です。

2009/07/21 09:41 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

内なる呟き 内なる叫び



そうか!

ボクがちょいとばかり

みんなよりも背が高いのは、

みんなを抱きしめてあげられるためだったんだ。


そうか、そういうことだったのか。



・・・でも、皮肉だなぁ~。

実はボクが一番抱きしめられたいって思っているのに・・・。




心の中で誰かが呟く。



その瞬間に、もう一人の僕が叫ぶ。




でも、よおーく見てごらん。

よおーく感じてごらん。



あなたが誰かを抱きしめているときに、

あなたもまた、その人に抱きしめられているのだよ。



その人の微熱を感じるでしょう。

それは、相手を認識することと、自分を認識することが

同時に起こっているんだよ。



違いがあるから、認識できるんだよ。

だから、違いがあるって素晴らしいんだ。

違いを優越と一緒にしてはいけないんだよ。





あなたが誰かを抱きしめているとき、

あなたもまた、その人に抱きしめられている。



そのとき、あなたは強烈な「一体感」を感じているだろう。

泣きたくなるほどの感情を味わっているだろう。



それが、魂が喜ぶという感覚だよ。




そして、その一体感を感じるためには、

私たち一人一人が違わないといけない。




違いを際立たせるために、

私たちはバラバラの個性になったんじゃないんだよ。

一体感の歓びを感じるために個々性を活かすのだ。

2009/07/18 09:27 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

今日もありがとうございます

みなさま、こんにちは。

そろそろ「夏休み」がチラチラする時期ですね。

一部の小学校では、あの『夏休みの友』が復活したようです!

とはいえ、僕らの時代の頃のものとは全然違い、フルカラーなのですが。(笑)


「自主勉強」に困っている人は、是非、この夏「どんぐり倶楽部の良質の算数文章問題」に挑戦してみてはいかがでしょうか。
夏休みであれば、1日1問くらいのペースで充分だと思いますよ。
逆に、1日に5問も10問もしないでくださいね。
勉強のしすぎで「あほ」になっても知りませんよ!(笑)


中学生も、各教科1冊くらいのワークが出ているようです。
もう、終わった子もいたとか、いないとか・・・?(笑)

なんにしても、計画的にです。
8月31日までは、まだまだ余裕がありますが、その日に徹夜しなくても良いように、
少しずつ終わらせていきましょう。


どんぐり個別指導学院では、夏休みの宿題に関する質問は、いつでもお受けしております。


高校生は、補習という名の、普通授業がありますね。(笑)
もうしばらくは頑張ってください!


とてつもなく、暑かったり、急に雨が降って気温が下がったり、ムシムシしたり、
へんな気候ですが、体調管理に気をつけて乗り切って参りましょう。


保護者の皆様、お中元などは、本当にお気遣いなさいませんよう、
よろしくお願いいたします。

来て頂いているだけで充分です。

でも、ときどき頂くお野菜は、本当に嫁が喜びます。(笑)

本当にいつもありがとうございます。


夏休み、特に「夏期講習」というのはやりませんが、
ちょっと夏休みに頑張ってみようかな、コマ数をふやしてみようかな?
という場合は、ご相談くださいね。


必要ないときは、
「必要ありません!」
とちゃんと言いますので。(笑)

2009/07/16 14:40 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

世界平和と個人 【覚書】

人生最大の幸福が外部世界での経験、ーつまり外部にある物質的な世界ー、
によってのみ得られるのだとしたら、
あなたがた人間は、個人として、或いは国として、幸せになるために積み上げてきたものを
一かけらたりとも手放すまいとするだろう。


苦労して手に入れた家も、
苦労して手に入れた土地も、
車も、
素晴らしい肉体も
美しい容貌も、
可愛らしい子供たちも、
冷蔵庫に山積みになっている食料も、
「自分のもの」という権利を主張して、決して手放すことはないだろう。


そして、「持たざる者」が自分の不幸を、物質的な欠乏のせいにしていたら、
彼らもまた同じ罠に陥るだろう。

常に、あなた方が持っているものを欲しがり、
あなた方は常に分かち合うことを拒み続けるだろう。


全ての争いごと、戦争から、家庭内の小さな喧嘩に至るまで、
その争いごとの解決方法は、ちゃんとある。

それは、精神的、霊的な解決方法だ。


(あなたは、今、自分が見て、触って認識している『身体』という物質ではない。
あなたの身体という物質を動かしているのは、精神、霊というエネルギーだ。

ちょうど、冷蔵庫やパソコンが電気がなければ動かないのと同じように、
あなたも、精神、心、霊がなければ、肉体を動かすことができない。

電気と違うのは、精神、心、霊は、意識をもったエネルギー体だということだ)



最終的には、全ての地政学的な問題は個人の問題と同様に、霊的な問題に行きつく。


地球上に争いが起こるのは、誰かが持っているものを持っていない人が欲しがるからだ。
そのために相手がして欲しくないことを思っていることをするようになる。
全ての紛争は、この間違った欲望から始まる。

世界中で持続しうる唯一の平和は、内的な平和だ。



それぞれの人が、内的な平和を見出したとしよう。

そうすれば、あなた方は「なし」でやっていくことができる。
つまり、あなた方は、外部世界のものを必要としなくなる。



「必要としない」
それは偉大なる自由だ。



まず、不安から自由になれる。
自分には持てないものがある、という不安だ。
それに、特定のものがなければ幸せになれないという不安だ。


第二に、「必要としない」と、怒りからも自由になれる。
怒りとは、不安の表現だ。
不安に思うことがなければ、怒ることもない。


欲しいものが得られなくても、あなたは怒らない。
なぜなら、欲しいと思ってもそれは好みの問題であって、
絶対に必要だというわけではないからだ。

だから、あなたは「得られないかもしれない」という思いにつきものの不安を感じない。
したがって、怒りも感じない。


誰かがあなたの意に反することをしても、怒りは感じない。
なぜなら、どうしても誰かに何かをさせなければならないという必要を感じないから。
だから怒りも感じない。

あなたは誰かが不親切であっても、怒りはしない。
なぜなら、親切にされる必要性を感じないから。

誰かに冷たくされても怒りはしない。
なぜなら、愛される必要性を感じないから。

誰かがあなたに酷いことをしたり、傷つけようとしたり、損害を与えようとしても、
あなたは相手に別の振る舞いをさせる必要性を感じないし、
自分が傷つけられはしないことを知っている。


例え、誰かがあなたの命を奪おうとしても、あなたは怒りはしない。
なぜなら、あなたは死を恐れないから。
恐れがなくなれば、他の全てもなくなり、
あなたは怒らなくなる。


あなたは心の中で直感的に自分が創り出したものは
全て再び創り出せることを知っているし、
もっと重要なことには、
それが実はどうでもいいことを知っている。


内的な平和を見出した時、
人であれ、
場所であれ、
物事であれ、
条件であれ、
環境であれ、
そうしたことの有無では、心の状態も、自分という存在の体験も
影響を受けなくなる。


だからと言って、肉体に関わる全てのことを拒絶するということではないよ。

あなたはかつてなかったほど、肉体を充分に体験し、歓びを得るだろう。

だが、肉体的なことへの関わりは、自発的なものであって、強制ではなくなる。
肉体的な感覚を経験するのは、自分がそれを選択したからであって、
幸せに必要だからとか、悲しみを正当化するのに必要だからではない。


この単純な、-内側の平和を求めて、見出すー 変化が万人に起これば、
全ての戦争はなくなり、世界には永遠の平和がもたらされるだろう。

他に必要な方策はないし、またありえない。




世界平和は個人的な事柄だ。


必要なのは環境を変化させることではなく、意識を変化させることだ。

2009/07/15 09:12 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

『囚人のジレンマ』

みなさま、こんにちは。


『囚人のジレンマ』というお話があります。

二人の人が捕まって、それぞれ別の牢屋に入れられます。
二人の人は、それぞれ黙秘を続けますが、それに業を煮やした刑務官がある条件を出します。

「先に自白をした方を、釈放してやろう。」




さて、あなたならどうするでしょうか。



先に自白をして、自分は楽になりますか?


それとも、黙秘を続けますか?

ただ、黙秘を続けるとなると、相手を信じ続ける必要がありますね。


どうでしょうか・・・?






私は過去にある企業で、「赤黒の実習」というものを受けたことがあります。

ただ、これはネタを知ってしまうとできない実習なので、一生に1回しかできない、と言われています。

ですから、まだ生涯でまだ「赤黒の実習」を受けたことがない方は、以下の書き込みを読まない方がいいですよ!(笑)
いや、ホントに!















簡単に説明しておきますと、人数が5~10名くらいのチームを2つ作ります。
あと必要なのは、司会者がそれぞれ1名と、記録者が1名です。

2チームは別の部屋などに分かれて、お互いの声が聞こえないようにします。
それぞれの司会者は、ホワイトボードなどに、野球のスコアボードのようなものを書きます。


そこまで準備ができたら、2つのチームは、それぞれチーム内で話し合い、
「赤」、「黒」どちらに投票するかを決めます。

双方「黒」なら両チームとも3点プラス。
双方「赤」なら両チームとも3点マイナス。

「赤」「黒」で投票結果が別れた場合は、
「黒」側が5点マイナス、「赤」側が3点プラスというルールです。

5分ほどの話し合いの後、司会者が最終的な判断を多数決で聞き、決まった結果をお互いに同時に発表し合い、高得点を目指します。


これを何度か繰り返し、合計点を出します。


ゲーム開始前にトレーナーから、
「このゲームの目的は、勝つことです」
などと説明されます。

ちなみに、私がしたときは、
「あなた方全員の責任において、最後の点数をできるだけ多くしてください。」
と伝えられました。


「赤」を出し続ければ、仮に相手が「黒」を出した場合に、こちらは5点プラスで相手は3点マイナスとなり、相手より多い点数を得ることができます。

両チームが同じことを考え、双方「赤」を出し続けると、互いに、負けることはありませんが、合計点はマイナスになります。

「勝つことが目的」と言われるので、相手チームを打ち負かそうと、「赤」を投票するケースが多いようです。


確かに、この実習の最初は、相手が黒を出して、自分の方が赤を出し、「独り勝ち」にもっていくのが、「賢いやり方」のように感じます。


しかし、この実習を続けていくと、不思議な感覚になっていくのが分かります。



相手を信じてみたくなるんですね。

「騙されるかもしれない。」

でも「黒」「黒」がそろったとき、悲鳴にも似た喜びが会場から湧き上がります。

そして、「黒」「黒」がずっと続いたとき、その興奮は会場を覆い尽くします。


最後まで「黒」「黒」であったとき、涙を流しながら、
「ありがとう!」
と相手チームの方へ走っていく人もいました。




一時的に得をしたと思っても、あとあとずっと、
「人を裏切った」
という自責の念にかられて生きる方がいいか。


一時的に損をしても、
「自分の信念は守った」
と堂々と生きていく方がいいか。


この実習は色々なことを教えてくれました。

2009/07/14 09:47 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

LEGO

みなさま、こんにちは。


昨日は、9日に誕生日を迎えた息子のお祝いをしました。

9日は平日だったので、
「お祝いは日曜にしよう」
と事前に何度も言っていたにも関わらず、9日の朝、

「今日はオレの誕生日なのに、なぁ~んもプレゼントねぇし!」
などと言っておりました。(笑)



そんな息子も、昨日は朝からニコニコ。
掃除や風呂掃除も、自分から
「やっとこうか?!」
と声をかけ、とっても良い子でした。(笑)


お昼過ぎから、近くのおもちゃ屋さんへ。
彼の希望は、
「レゴっ!」
でした。


買って帰ると、早速部屋に広げて、作成開始!


あ~でもない、こ~でもない、と楽しみながら作っておりましたよ。


平面の説明書を見ながら、立体を組み立てていくという作業は、とっても良いですね。


ときおり
「あれ?」
などとも言いながら、直したり、
「お父さん、これ硬くて取れんから、ちょっと取って~」
と頼んできたり。


本当に楽しい時間でした。



当然ですが、レゴは最初、箱から出すとバラバラのパーツになっています。


それを組み立てていくのですが、それが本当に楽しい。
もちろん、ときどき分からなくなってしまうこともあって、
「お父さ~ん、ここ分からん」
と持ってくることもありますが、そんな時はまず私は、

「ケンゴ、説明書をよ~く見てごらん。
それでもわからなかったら、まず自分が思うようにやってみてごらん。

間違ってたって、いいんだよ。
何度もやり直しができるんだからね。」

と励まします。

そのうちに、組み立てるポイントが分かってくるようです。
「硬くて取れない」ところも、段々と自分で取れるようにもなってきます。
それでも取れないところは、ちゃんと親に頼んでくるようになります。

出来上がったもので、しばらく遊んでいたら、いつの間にか自分で改造して、
オリジナルの作品で自分が
「カッコいい」
と思うものを作り出しています。


そういう一連の流れが楽しいんでしょうね。

だから、そこに下手に親が入らない方がいい。


「なに、○○ちゃん、できないの?
ほら、お父さんが作ってあげようね~。」

などとやってしまっては、自分で作るという楽しみを奪ってしまいます。
レゴの楽しさには到達できないのです。

最初に説明書通りつくるときも、
「あぁ~、そういう風に作るんだ!」
と感心させられることも、多いのです。

それを「勉強(=楽しむ)」するために、まず説明書通り作ってみるのです。

もちろん、完成図がもうすでに頭の中にある人は、思い通りに作ってみるのも、あり!です。
ですから、説明書(=教科書)も、方法の1つなんですね。

「それしか方法がない!」
と思ってしまった途端に、自分で考えることをやめてしまいます。
そうなると、レゴも単なる「作業」になってしまい、面白味をなくします。



それに、レゴにはスピードは関係ありません。

「うわっ! このピースって羽にしたら、かっこいいんじゃない?」とか、
「これって、飛行機の先みたい!」とか、
そんなことを色々と思いながら、考えの寄り道をしながら、楽しめること。


それが、レゴの楽しさだと思います。





でも、レゴって大人も夢中になりますよ。(笑)
一緒に遊んでたら、ついつい自分の方が夢中になっていたりね!(笑)

「ちょっと、そのパーツ、父ちゃんにちょうだいっ!」
なんて。(笑)


でも、そんな大人の作ったものを子供が見ながら、
「うわぁ~、そんなものも作れるんだ~!」とか、
「ああ~、そういう風にすればよかったのか~!」とか、
自然に自分の作品に取りこんでいくみたいです。


これって、人生も同じですね。



それでも、「レゴってなんか、子供っぽくて・・・」と思われていらっしゃる方!

『こちら』をご覧ください。(笑)

「子供の遊び」のレベルを超えていますよ!

2009/07/13 08:55 | 未分類COMMENT(4)TRACKBACK(0)  TOP

『マザーテレサ」

みなさま、こんにちは。


最近は、マザーテレサのことを知らない人もいるそうですが、サンシャインという中2の英語の教科書にはマザーテレサを題材にしたプログラムがありますので、多くの中学生は目にしたことがあると思います。

でも、できればそこから興味を持って、自分で色々と調べてみる、或いは、学校の先生がそこから話を広げてみるというところまでいけたらいいですよね。


マザーテレサは何より、実践の人でした。

何もなくても、地面に枝で字を書き、言葉を教えていました。
使わなくなった寺院を介護場所に作り変えました。

そして、アイデアの人でした。
飛行機代を安く上げるために、飛行機会社に
「私たちに飛行機上でサービスをさせて欲しい」
と直談判しに行くような人でした。

貰った車を、自分で使わず、くじの商品にして、お金を集めました。


そして、何よりも、その全てを楽しんでいた人でした。
ドキュメンタリー等を見ると、マザーテレサが慈しみの表情で介護している風景も沢山ありますが、それと同じくらいにある風景が、マザーが仲間の修道女たちと笑っているものでした。



マザーテレサ程の人でも、非難を受けることがあったようです。

それについては、マザーは以下のことを心に刻んでいたそうです。




ガンジーは、キリストのことを知った時、興味をいだきました。
しかし、キリスト信者たちに会って、がっかりしたそうです。

キリストに近づこうとしている人たちにとって、
キリスト信者たちが最悪の障害物になっていることがよくあります。

言葉だけきれいなことを言って、自分は実行していないことがあるからです。
人々がキリストを信じようとしない一番の原因はそこにあります。


マザー・テレサ愛と祈りのことば  より





私は、コスタリカという国に行ったとき、
町の中心にある、それはそれは立派なカテドラル(教会)を訪れました。

ちょうどその日が、キリスト教のお祭りか何かで、金のローブをきた牧師さんたち一団が、
金ぴかの杖を持って、厳かにカテドラルの中に入っていくのを見ました。


そして、次の瞬間に私は驚愕しました。

彼らの足元には、ホームレスの子供たちが何人も寝ていたのです。



もし、その場にイエス・キリストがいて、その風景を見たとしたら、彼は何を思うでしょうか。



「私は、
『あなたの隣人を愛しなさい』
とただそれをあなた方に望んでいるだけだ。」


と、キリスト教のエライ人には目もくれず、きっとホームレスの子供たちに手を差し伸べていたことでしょう。


私も、その場に立ちすくんでしまいましたが、ポケットからなけなしの小銭を取り出して、彼らに、
「何か食べ物でも買ってくれ」
と英語で言って渡しました。

とてもいい笑顔で、
「グラシアス!」
と言ってくれたのを思い出します。







親切で慈しみ深くありなさい



あなたに会った人がだれでも

前よりももっと気持ちよく

明るくなって帰るようにしなさい



親切があなたの表情に

まなざしに、ほほえみに

温かく声をかける言葉にあらわれるように



子どもにも貧しい人にも

苦しんでいる孤独な人すべてに

いつでもよろこびにあふれた笑顔をむけなさい



世話するだけでなく

あなたの心をあたえなさい



マザー・テレサ あふれる愛より



単にモノを与えるだけではなく、モノを介して心を与えるのだということ。
そこを忘れると、本末転倒になってしまいます。





大切なのは、

どれだけたくさんのことをしたかではなく、

どれだけ心をこめたかです。




大切なのは、
どれだけたくさんのプリントをやり散らしたか、ではなく、
どれだけ1枚のプリントに頭を悩ませたか、そしてそれを楽しんだか、です。



そう、この言葉は教育の言葉でもあります。

2009/07/11 11:36 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

ブログを再開しました! よろしくお願い致します。

みなさま、こんにちは。

「はじめまして!」
と言うべきかもしれませんね。(笑)

やっと、ブログを始めることができました!


「はじめまして」もありますので、簡単に自己紹介をさせて頂きますね。

岡山で個別指導の塾「どんぐり個別指導学院」をさせて頂いております、ひろなかと申します。
宜しくお願い致します。

8年ほど塾業界にいましたが、生徒よりも売り上げ優先という塾の体質や、事なかれ主義、わかるよりも出来る子どもを作るという会社の体質に失望し、一旦はその業界からは身を引きました。


「やめる」ということを生徒たちに伝えると、泣きながら教室を出て行った子が何人かいました。


「こんなに切ない思いをさせるくらいなら、もう塾という職業につくことだけはやめよう」
そう思っていました。


しかし、色々な事情もあって、自分の好むと好まざるとに関わらず、再び塾業界に引き戻された感じがします。
本当に不思議な気がします。

今、来てくださっている生徒たち、応援してくださっている保護者の方々、
そして、ついて来てくれた講師の人。
その皆さんに感謝しながら、今後も頑張って参りたいと思っています。


その塾は岡山市の平田というところでさせて頂いている、個別指導の塾です。

HPはこちらです。⇒http://dongurikobetsu.web.fc2.com

問い合わせ等は、どうぞお気軽になさって頂けると幸いです。
私も堅苦しいのは苦手ですのでね。(笑)



さて、私たちの教育理念は、「ゆっくり、じっくり、丁寧に」です。


「速く(早く)、無駄なく、数多く」を推奨している、昨今の教育界の指針とは、
真っ向から対立するものかもしれません。


しかし、特に戦後から推し進められてきた教育の結果が、
今のこのめちゃくちゃな日本、めちゃくちゃな世界だとしたら、
私たちは、そろそろ立ち止まって考える時期に来ているのだと思うのです。


幸せとは何なのか、ということについて。



確かに便利にはなりました。
ボタン1つで、お風呂も湧かせる。
スイッチ1つで、ご飯も炊ける。
コンビニでいつでも好きなものを買える。
テレビやDVD、インターネットで好きなときに好きなものを見られる。
携帯でいつでも連絡がつけられる。


でも、どんなにモノを集めても、人は幸せにはなれません。


それはなぜか。



人は必ず死ぬからです。



どんなに沢山のモノを集めても、
どんなにお金を稼いでも、
どんなに素晴らしい肉体を持っていたとしても、
どんなに素晴らしい地位や名誉を得たとしても、
死とともに、それが無くなるのであれば、ただ私たちは失うことを前提に
それらを得ているのでしょうか。

そんな虚しい活動をしているのでしょうか。



そうではないと、思うのです。



特に日本人は、「開発」と言う名の「破壊」を、1990年、バブルが弾けたその時に
もう良くわかったのではないかと思うのです。


価値観は変わります。

だから、これまでの価値観や倫理観を支えていた意識、考えを見直してみる、ということ。



しかし、これは、場合によっては自分のアイデンティティそのものを否定するものになるかもしれません。


でも、今の自分の価値観で、子どもたちに次のような質問をされたら、何と答えますか。


・暴力なしに、争いごとを解決する方法ってないの?
 大人はよく「話し合いなさい」って言うけど、なんで大人の世界はそうしないの?
 大人がしないのに、なんで子どもには押し付けるの?


・私たちは常に何かを恐れて生きていかなくてはいけないの?
 明日食べるものがなくなったら困るのに、なんで沢山の食べ物を捨てるの?
 健康が一番とか言いながら、なんで体に悪いとわかっているものを飲んだり、食べたり、吸ったりしてるの?
 死んだら無になるんだったら、生きている意味がないんじゃないの?


・「静かにしなさい!」って言うお母さんの声が一番大きいんだけど、いいの?


・僕たちが「良い子」にしていないと、お母さんやお父さんから愛してもらえないの?
 「あなたが生まれたときは、本当にお母さん、お父さん、嬉しかったんだよ。」って言うのに、
 今は怒ってばかりだよね。もう、僕のことは飽きちゃったの? 居なくてもいいの?
 僕がいなくなったら、お母さん、少しは悲しんでくれるのかな・・・?




つい先日も、お店に放火をして、人が亡くなるという事件が起こりました。
昨日も、人に直接火を着けるという、痛ましい事件が起こりました。


「攻撃は最大防御」と言う言葉がありますが、もし、それらの行動が彼らの心を守るための最大の、そして最後の「防御」だとしたら、彼らの今まで殺されてきた心を察するに余りあります。

そして、彼らもまた、「今の教育の成果」なのだということです。


なるべくなら、そういう「悲しい人」を一人でも減らしたい。
私に出来ることは、大海に小石を投げることのようなことかも知れませんが、
それでも、自分の出来る範囲のことだけでも、できることをしていきたい。


価値があるから、勉強をして、結果を残すのではない。
勉強すること自体に価値があるのです。


そして「勉強」という枠にしばられず、
人生を味わうことを楽しめるような子どもになって欲しい。


そんな思いで、塾をしています。

いきなりの、重い話でのスタートだったかもしれませんが、許してくださいね。(笑)
ホントは、いつもくだらないことばかり言ってます。

ご興味のある方は、是非、お気軽にお問い合わせください。

それでは、今後とも、お付き合いを宜しくお願い致します。

テーマ : 子育て・教育 - ジャンル : 学校・教育

2009/07/09 12:16 | 塾のことCOMMENT(6)TRACKBACK(0)  TOP

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